少名毗古那神

(スクナビコナノカミ)

古事記に出てくる日本神話の神様『少名毗古那神』について、わかりやすく解説します。

スクナビコナ

スクナビコナについて

波に乗って海の彼方からやって来たという小さな神様。

カムムスヒの子で、オオクニヌシと一緒に国造りをしました。国造りの途中で常世国へと渡ってしまいます。

一寸法師のモデル説あり。山や岡を造り、命名もした神様。体こそ小さいですが、その知識量は膨大。酒造り、特に医薬の神様として信仰されています。

また、オオクニヌシと共に温泉の神様ともされています。

 

スクナビコナの名前の意味や由来について

少名毗古那神/スクナビコナノカミ

スクナヒコナは医薬・酒造・温泉の神様としての信仰もあり、身体健康にかかわる霊力を発揮する神様。

スクナヒコナは日本神話の中の人気者であり、中世の『日本霊異記(にほんりょういき)』の道場法師や近世の『御伽草子(おとぎぞうし)』の一寸法師などの『小さ子(ちいさご)』のルーツとされています。

また、海の彼方から海をやって来て技術や文化を伝え、また常世国に帰っていくという行動のパターンは、他の世界から豊穣や富を運んでくる来方神(らいほうしん)と重なる性格を示しているとも考えられています。

『酒は百楽の長』といわれるように酒作りの神様としても知られ、酒造会社などに祀られていることも多いスクナヒコナ。

神功皇后の大神神社での酒の神様としての御歌もあり、酒の神様として篤く信仰されています。古来、お酒の消毒力や肉体を興奮させて生命力を高める働きは、薬としてとても重要視されました。その尊く不可思議な働きを人々に教えた神様というわけで、今日も製薬会社や北海道ビール会社などに大事にお祀りされています。

他にも、温泉を初めて医療に使ったスクナヒコナは、温泉の神様としても有名です。

スクナビコナの別名

古事記

少名毗古那神/スクナビコナノカミ

日本書記

少名彦命/スクナヒコノミコト

その他

少名毘古那神/スクナビコナノカミ

須久奈比古命/スクナヒコナノミコト

宿奈毘古那/スクナヒコナ

須久那美迦微/スクナミカミ

須久奈比古/スクナヒコ

少日子根(小比古尼)/スクナヒコネ

小彦/スクナヒコ

小日子/スクナヒコ

小名牟遅神/スクナムチノカミ

久斯神/クシノカミ

スクナビコナが出てくる神話

古事記

少名毗古那神との国作り >>

出雲の美保岬でオオクニヌシと出会い、国造りをするお話し。

日本書紀

古事記ではカムムスヒの子と表記されていますが、日本書記ではタカミムスヒの子と記されています。いたずらっ子で、タカミムスヒの指の間から零れ落ちました。

オオナムチがミソサザイの羽を着たスクナヒコナを手の平で弄んでいると、飛んできて頬に噛みつきます。オオナムチと一緒に国造りをしました。

一書では「私たちの造った国はよく出来ているだろうか」とスクナヒコナに聞く話があります。オオナムチの問いに対しスクナヒコナは「あるいはよく出来ている所もあるが、あるいは不出来の所もある」と答えています。その後、スクナヒコナは国造りの途中で常世国(とこよのくに)へ渡たり、オオナムチをとっても悲しませました。

 

スクナビコナ 伝承の地

風土記

埴岡の里(はにおかのさと)

オオクニヌシとスクナヒコナは、とっても仲の良い神様。

ある日のこと。

2柱は我慢比べをしようと言います。
我慢比べの内容は、埴(赤土の粘土)の荷物を背負って歩いて行く場合と、ウンチを我慢して歩く場合とでは、どちらが遠くまで行けるかという内容でした。オオクニヌシはうんちを我慢し、スクナヒコナは埴を背負う事になり、我慢比べが数日間続きます。

そんな中・・。
我慢の限界を超えたオオナムチが、その場でウンチをしました。
そのウンチが笹の葉にはじかれて、オオクニヌシの着物に付きました。その場所は『波自賀の村(はじかのむら)』と名付けられます。波自賀の村も比定地は、初鹿野山(はじかのやま)とその周辺とされています。

一方、スクナヒコナもオオナムチの姿を見て、自分も苦しかったと笑いながら話すと、埴を道端に投げ出しました。

この埴が投げ出された岡を『埴岡(はにおか)』と名付けたといいます。

埴と便は固まって石に姿を変えたそうです。

現在、兵庫県神崎郡神河町比延(ひえ)に鎮座している日吉神社の辺りは、『埴岡の里』の伝承地といわれています。
そして、スクナヒコナが投げた埴から変わったと言われる大きな岩が、社殿の裏山の中腹に注連縄をかけて祀られています。
この物語の後に、応神天皇がこの地を訪れて「この土は土器作りに使える」と言ったので『埴岡(はにおか)』という名前になったとも記されています。

道後温泉(どうごおんせん)

愛媛県松山市道後湯之町5-6

道後温泉の伝説に、オオクニヌシとスクナヒコナが登場します。
2柱が伊予国(いよのくに。愛媛県)に来た時。
重い病にかかったスクナヒコナを、オオクニヌシが手のひらに乗せて道後温泉の湯で温めました。すると、スクナヒコナはたちまち元気に。

大喜びしたスクナヒコナは石の上で踊ったという説話があります。
その石は『玉の石』と呼ばれ、道後温泉本館の北側に祀られています。
道後温泉は、日本書紀にも登場する日本で最古といわれる温泉とされており、古くから大勢の偉人や書画を書く風流人に愛され、神話の時代のオオクニヌシ、斉明天皇や聖徳太子をはじめとした皇室の方々、万葉歌人の山部赤人、正岡子規、夏目漱石といった文化人など、多くの来訪記録が残っています。

稲種山(いねだねやま)

兵庫県姫路市伊勢にある峰相山(みねあいさん)のお話。

オオナムチとスクナヒコナが、埴岡の里にある『生野の峰』からこの山を見て「あの山に稲種(いなだね)を置こう」と話しあい、ここに稲種を積み上げました。なので、山の姿も稲積に似ているとか。山を『稲種山(いねだねやま)』と名付けたといいます。『稲積』は『刈り取ったままの穂がついた稲』という意味とされています。

枚野の里(ひらののさと)

オオクニヌシとスクナヒコナが、姫路城が建つ姫山の女神様である日女道丘の神(ヒメジオカノカミ)と約束をして会った時、ヒメジオカノカミは丘に食べ物、また、筥器(はこ)などの器物を準備しました。それで『筥丘(はこおか)』というそうです。

凡海(おおしあま)

凡海の由来について。

昔、地上世界を治めたオオクニヌシとスクナヒコナがこの地に来た時。
海中に散らばっていた大きな島と小さな島を引き寄せて集め、大地を作りました。
小島を10個合わせたものを『大島』としたといいます。
比定地は丹後国(たんごのくに。現在の京都府北部)とされています。

登々川(ととがわ)

登々川の由来について。

愛知県に轟川(とどめきがわ。木曽川支流の川)という川があります。
オオクニヌシとスクナヒコナが、国造りで全国を回った時。
2柱が歩いて行った足跡が川になったので『跡々(とと)』という名前をつけたとも、土地の人は『足跡を“トト”と言うんだよ』と話していたとも伝えらえています。このようなことから、登々川には『ダイダラボッチ伝説』があります。

温泉(おんせん)

ニニギが地上に降りてくる前の国造りの時代。

オオクニヌシとスクナヒコナが、人が生活をするための環境を作ろうと国を造っていました。2柱は日本国民が早死にする事をとても可哀そうに思い、人々が長く生きられるように、薬になる物と効果のある温泉を定めます。

定められた温泉に、伊豆国(いずこく。静岡県南部の半島および東京都下の伊豆諸島)の『神の湯』、箱根の『元湯(もとゆ。神奈川県足柄郡箱根町)』があります。

ですが、伊豆の走湯(はしりゆ。静岡県熱海市伊豆山温泉)はそれに入らず、元正天皇の養老年間に発見されました。ただし、普通の温泉ではなく、一日に二度、山の麓の窟の中から炎を盛んに吹き出しながら温泉を噴出します。とても怪しい火が光ります。湧き出す湯はぬるく、水を送る為に掛け渡した管から温泉を湯船に入れます。その温泉に入ると霊力により色々な病気が全て治ると伝えられています。

 

その他 補足

生石神社(おうしこじんじゃ)

兵庫県高砂市阿弥陀町生石171

生石神社の社伝より一部抜擢。

神様が日本を治めていたという時代の頃。
オオクニヌシとスクナヒコナの2柱が天津神の言いつけを受け、国を造るために出雲の国からこの地にやって来ました。
「一緒に国土を治めるの相応しい石の宮殿を造ろう!」と2柱は言いました。

早速、一晩の内に工事を進めようとしました。
ですが、工事の途中の時に阿賀の神様達の反乱を受けます。
そのため2柱は山を下り、沢山の神様を兵庫県高砂市米田町神爪(当時の神詰)に集めて、なんとか反乱を治めました。
この反乱によって夜明けになってしまい、石の宮殿を正面に起こすことが出来ませんでした。なので、石の宮殿は未完成のままになってしまったといいます。
「たとえこの宮殿が未完成でも、私達2柱の霊は、この石に宿り、永遠に国土を治めよう」
その時に2柱は、そう言ったそうです

それ以来、この宮殿を『石乃寶殿(石の宝殿)・鎮の石室』と言うようになったと伝えられています。

また、別のお話もあります。
崇神天皇の時代、国内に疫病が流行していた時。
石の宝殿に鎮まるオオナムチとスクナヒコナが崇神天皇の夢に現れ
「私達を祀れば世の中は平和に治まるようになる」
と須仁天皇に告げたことから、生石神社が創建されたそうです。
播磨国風土記の伝承では、聖徳太子の時代に物部守屋が作った石とされています。

荒田神社(あらだじんじゃ)

兵庫県多可郡多可町加美区的場145

荒田神社の由来について。
天平勝宝元年(749年)、スクナヒコナが村内の福原字神立に天から降り、その夜、村内に大雨が降りました。村人は雨があがるのを祈ったところ、願いが叶います。感激した村人たちは村内字野尻に小社を建て、『荒田神社』と名付けたと伝えられています。

湯泉神社(おんせんじんじゃ)

兵庫県神戸市北区有馬町1908

神様の時代。
オオクニヌシとスクナヒコナの2柱が、人々を病気から守るために日本を旅し、薬草を探しに歩いていました。

ある時。
2柱が有馬(ありま)を訪れた時、傷ついた3羽のカラスが赤い水たまりを浴びていました。数日後、カラスの傷は治っていました。
カラスが水たまりに入り、傷を治していた様子を見た2柱は、その水たまりが温泉であることを知りました。その温泉が『有馬温泉(ありまおんせん)』と伝えられています。

有馬温泉の中心に鎮座する『湯泉神社(おんせんじんじゃ)』は、大己貴命(大黒様。オオクニヌシ)と少彦名命(医薬の神様)と熊野久須美命の3神をお祀りしています。有馬の氏神・温泉の守護神として崇敬されています。

粟嶋神社(あわしまじんじゃ)

鳥取県米子市彦名町1404

粟島の由来について。
今では米子市内と陸続きの粟嶋。
江戸時代までは、中海に浮かぶ小さな島でした。遥か昔より『神の宿る山』として信仰され、伯耆風土記によると、スクナヒコナが粟の穂に弾かれて常世の国へ渡ったので、この地は『粟島』と名付けられたといいます。

その他に・・

伊予国風土記(いよのくにふどき)の逸文には、オオクニヌシが病気になった時に大分県の速水の温泉を地下のパイプを海底に通して運び、入浴させて治療しました。

やがて病状は回復して健康になりました。
この時に開いた温泉が、現在の道後温泉のもとになったといいます。
また、病気平癒という薬師信仰との共通性から、神仏習合の際にはその姿が薬師如来とされたりしています。

他にも、オオクニヌシが大黒様とされたことから、スクナヒコナは恵比須様とされます。

 

スクナビコナの御利益

❀医薬守護❀温泉守護❀難病排除❀健康増進❀経営❀産業開発❀商売繁盛❀航海安全❀造酒❀禁厭(まじない)❀縁結び❀国土安寧❀漁業・航海守護❀縁結び❀安産❀育児守護

など

 

スクナビコナの祀られている神社

少彦名神社
湯泉神社
大洗磯崎神社
大神神社
北海道神宮
波上宮(主祭神にイザナミ)
神田明神
淡島神社
沙沙貴神社
小祝神社
布多天神社
生根神社

その他、各地の少彦名神社など


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