天皇記『仁徳天皇とヤタノワキ』

仁徳天皇とヤタノワキ

ヤタノワキ

前回に引き続き、仁徳天皇にんとくてんのうの女性がらみのエピソードをお届けする。
2人目はヤタノワキという名の姫だ。

熱しやすく冷めやすい仁徳にんとくにとっては、クロヒメのようなパターンが多かったのだが、彼女の場合は少し違う事情があった。

仁徳にんとくと皇位を譲り合っていた弟のウジノワキには2人の妹がいて、彼は『自分が死んだら妹たちを頼む』仁徳にんとくに遺言を残していたのだ。ヤタノワキは、そのうち上の妹だった。

なので仁徳にんとくは皇后を選ぶ際、ヤタノワキにするかイワノにするか、とても悩んだ。しかし、イワノを選んだ。ヤタノワキを側室にすることも考えたが、彼女は応神天皇の娘なので、イワノよりも位が高くなってしまう。そんなこんなで、いろいろと複雑な大人の事情が入り混じり、一緒にいることも難しかったため、天皇になってから2人で過ごしたことは一度も無かった。

 

そんなある日、皇后のイワノが新嘗祭にいなめさいで使う柏の葉を採るために紀伊国まで出かけることになった。イワノを見送り一人残された仁徳にんとく『今ならヤタに会える ・ ・ ・ 』なんてマズイ考えが頭によぎってしまう。バレたらシャレにならないくらいヤバイ。

 

しかし気付けば、全力疾走でヤタノワキの家に押し掛けていた。

 

「ヤタっっ!!!!」

 

彼の訪問を全く予想していなかったヤタノワキはポカンと仁徳にんとくを眺めた。

 

どないしよ。数年前より格段に可愛くなっとる。

 

「サザキ兄??久しぶり ・ ・ ・ 。ていうか、真っ昼間からどうしたの??」

「ヤタ ・ ・ ・ オレは今、自由を手に入れた!!」

「はぁ?意味わかんないんだけど。天皇辞めたの???」

よかった ・ ・ ・ 昔とノリが変わらない。

「ちゃうわ。イワノが留守なんや。」

「うわぁ ・ ・ ・ サザキ兄の自由ちっちゃ!!国民のみなさーん!!この聖帝、皇后の尻に敷かれてます~!!

「あほか。オレの聖帝伝説は、デカ乳の姫が隣にいないと完成せぇへんのやっ!!
・ ・ ・ つーわけで、短い期間になるんやけど ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一緒にいてくれへん?」

 

するとヤタノワキは、パアッと笑顔を向けた。まずい。笑顔が眩しすぎます。ヤタノワキは夢みたいだと言って、涙を浮かべながらとても喜んだ。彼女もずっと前から自分のことを想ってくれていたらしい。

 

仁徳にんとくはヤタノワキを片時も離したくなくなってしまい、イワノのいない宮殿で昼夜問わず一緒に過ごした。周りには信頼できる家臣だけを置き「本当、ホンマのお願い!!イワノにはバラさんでっ!!」と、頼み込んだ。

しかし、こんなスキャンダル、恋バナ好きの家臣たちが放っておく訳がない。仁徳にんとくの努力虚しく、噂はあっという間に朝廷中に広まってしまった。

イワノの家出

一方イワノは、新嘗祭にいなめさいに使う柏の葉を船に乗せて大和に戻ろうとしていた。

しかし、大和から遅れて船に乗って来たイワノの侍女が、ヤタノワキの噂を聞きつけ、彼女に報告してしまう。

「実は ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 仁徳陛下が昼夜問わずヤタノワキを連れて遊んでいると朝廷ではもっぱらの噂で ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」

「 ・ ・ ・ ヤタノワキっっ??」

イワノは彼女の名前を聞くや否やヒステリックに声を荒げ、怒り狂って船に積んだ柏の葉をことごとく海に投げ捨てた。

 

「なんでっっっ!!!!なんであの女なのよっっ!!!!!」

 

実のところイワノは、ウジノワキの遺言も、仁徳にんとくの想いも知っていた。自分が留守にすることで、2、3人くらいもしかしたら ・ ・ ・ とは覚悟していたものの、よりによって一番警戒していた女とずっと過ごしていたなんて、耐えられなかった。心もプライドもズタズタにされたイワノは「あんなところ帰りたくないっ!」と言って、船を実家の葛城に向けさせた。

しかし、そうは言っても彼女が仁徳にんとくを嫌いになった訳ではなかった。彼がどちらを選ぶのかハッキリとさせたい。そこでイワノは「家出します」という内容の歌を仁徳にんとくに送った。

 

山の山を越えて、山城の川を上って、緑の美しい大和も過ぎて、私が見たいのは生まれ故郷よ。

 

そしてイワノは京都で、ヌリノミという百済出身の帰化人の屋敷に居座った。

この歌を受け取ると、仁徳にんとく「まじかぁー ・ ・ ・ 」と深くため息を漏らした。ヤタノワキは慌てて、早く歌を送り返すよう催促さいそくし、自分は帰ると言った。しかし、仁徳にんとく「気にせんでえぇから」と彼女を引き止め、イワノには『あんたのこと愛していますよ。一番大好きですよ。』といった感じの歌を送った。

しかし、1通送っても全く反応が無かったので「やっぱり帰るよ」とヤタノワキに言われたが「あと少しだけ」とまた彼女を引き止め、イワノへの2通目の手紙をクチコという家臣に届けさせた。 ・ ・ ・ しかしこの結果、この夫婦喧嘩に全く関係の無い第三者のクチコがとばっちりを喰らうことになる。

 

その日はひどい雨だった。

 

クチコがヌリノミの屋敷に着くと、イワノが表玄関に迎え出たので、彼は雨にも関わらずビチャビチャの地面にひざまづき、歌を献上しようとした。しかし、イワノは踵を返し裏の玄関に向かった。クチコは彼女を追いかけ、屋敷をぐるりと周り、裏口でまた膝を付き歌を献上しようとする。すると、またイワノは表玄関へと歩く。クチコはまたぐるりと表玄関に向かい ・ ・ ・ と、こんな八つ当たりを何度も何度も繰り返され、ついに一歩も動けなくなるほど疲れ果て、水たまりの中で倒れ込んでしまった。

クチコが巻いていた赤色の帯紐は色が落ち、水たまりを真っ赤に染め、藍色の着物まで赤く染まっている。

そんなクチコの姿を見たヌリノミの侍女、クチヒメが急に泣き出した。

「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ なんであんたが泣くのよ。デキてんの??」

「いえ、クチコは私の兄なんです ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」

そういうと、彼女は泣き崩れてしまった。さすがのイワノも悪い気がして、とりあえず歌は受け取った。しかし、その歌に対しても返事をすることは無かった。

 

2通送っても全く反応が無かったので、だんだん面倒になってきた仁徳にんとくは、投げ遣りな歌を書いた。

 

山の山を耕して、山城の女が作った大根みたいに白い腕は誰が盗んだんやろか。あの腕はオレが枕に使こうとったんやけど。 ・ ・ ・ 知らない仲でもないくせに。

 

この歌を持たされたクチコは、ヌメノリの家の前で胃に穴が空きそうな気持ちになりながら立ち尽くしていた。

 

『この夫婦喧嘩、胃に悪ぃ。』

 

すると、ほんの数日で、ゲッソリとせ細った兄を、妹のクチヒメが見つけて声をかけてきた。

「お兄ぃ!裏から入って。話しがあるの ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」

『裏口に回ったところで入れてもらえるのだろうか。』と半ばトラウマを引きづりながら、クチコは裏口に向かった。するとそこには家の主のヌリノミが待ち構えており「実はご相談がありまして ・ ・ ・ 」と、部屋の中のに通された。どうやら、イワノに居着かれているヌリノミもかなり困惑しているようだ。

「私は元々、百済の出身なので、イワノ様が謀反の心を持っていると疑われたらどうしようかと、本当に困っていて ・ ・ ・ 。謀反は死罪です。とばっちりで殺されたらたまりません。

「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 確かに。とばっちりはもう、ご免です。」

クチコは、くすんだ視線で天を仰いだ。

「ねぇねぇ、おにぃ、陛下に直接迎えに来てもらえないのかな?イワノ様は迎えに来て欲しいだけだと思うんだけど・・・」

「どうだろう ・ ・ ・ 正直、陛下はヤタノワキ様にゾッコンって感じで・・・帰って来ないならそれはそれでみたいな空気が・・・・」

「ちょっ!!それは困りますっっっっ!!!!!」

 

ヌリノミは、絶望的な声を上げた。どうやら心底困っているらしい。しばらく押し黙って考えを巡らせるとひとつの案を思い付いた。

 

「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ あの ・ ・ ・ ウチ、実は百済から持って来たカイコを飼っているんです。ちょうど繭を作って孵化する頃だし、まだ日本には、ほとんど入って来てないから、陛下にとっても珍しいはず。」

カイコ? ・ ・ ・ 白い繭を作るってやつですよね?丈夫な糸ができるって、話だけなら聞いたことがある。」

「はい、イワノ様はこれを見に来ただけで、謀反の心配は無いって伝えるんです。 ・ ・ ・ ついでに『陛下も見に来て』って手紙を書けばっ!!」

「なるほど ・ ・ ・ それなら陛下だってさすがに離婚する気は無いだろうし、空気読んで迎えに来てくれるかも!!

「ですよねっ!!私、早速手紙を書きます!!」

 

こうしてヌメノリは、仁徳にんとく宛ての手紙を書いた。

 

クチコが宮殿に帰りその手紙を届けると、仁徳にんとくはしばらく沈黙し「 ・ ・ ・ そりゃ珍しい虫やな。ほんなら、オレも見に行かな。ヌメノリには明日行くって伝えとって。」と言って微笑んだ。クチコは安心し、喜んでヌメノリに伝えに行った。

 

そしてその夜、仁徳にんとくはヤタノワキに、イワノを迎えに行くことを伝えた。彼女は一瞬動揺したように見えたが「皇后様なんだから当たり前でしょ?」と何でもないように言葉を返した。しかし仁徳にんとくの方は下を向いたままボソっと「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 行きたない。」と呟いた。

 

「なぁ、ヤタ。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 皇后にならへん?オレ、ヤタとの子供が欲しい。」

 

ヤタノワキは、言葉につまった。仁徳にんとくは本気だったが、彼女は断るしかなかった。だって既に、仁徳にんとくとイワノの間には息子がいるのだ。その上、自分にまで息子ができてしまったら、ただでさえ複雑な大人の事情がさらに複雑化し、ドロドロの皇位争いが発生することは分かりきっている。下手したら、大和 対 葛城、大きくなれば、大和 対 百済の戦いにだって成り兼ねない。どう考えたって国民の犠牲が出る。

 

彼女は「無理だよ。」と消えそうな声でつぶやいた。仁徳にんとくは「それでも一緒にいたいんや。」と女々しく縋った。

 

するとヤタノワキは、彼の手を強く握り、まっすぐ目を見つめた。

 

「ねぇ、サザキ兄 ・ ・ ・ しっかりして。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 何のために天皇がいると思ってるの?」

 

「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」

 

そんな、イキナリ何のためかって言われたって、答えは1つしかなかった。しかし、答えられずに黙りこくる。

 

「 ・ ・ ・ 私のため?」

 

「違う ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 国民のため ・ ・ ・ 」

 

言わされてしまった。そんなこと最初から分かってるに。

そう。天皇の存在する理由なんて国民のため以外に何もなかった。

だって、そもそも、オオクニヌシが、治めていた国を、自分達の方が国民を幸せにできるからって理由で譲ってもらったのだ。どんなに昔の話しだろうが、恩を仇で返すわけにはいかない。

でも、まぁ、そうは言っても、天皇だって人間だもの。投げ出したくなることもある。

今だってそうだ。

しかし、言葉に出したことで、仁徳にんとくの中で何かが変わった気がした。

ヤタノワキは彼の答えを聞いて、誇らしそうに微笑む。そんな彼女の笑顔がなんだかうれしくて、いろいろな思いが込み上げてきた。

 

「親父も、じぃちゃんも、先代の天皇はみんな、国民が一人でも飢えたら自分の無力さを恥じてきた ・ ・ ・ ・ 親父らはオレの誇りや。」

 

「うん ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」

 

「国民が豊かにならへんと、オレも豊かになられへん。オレはみんなに生かしてもろーとる。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ だから ・ ・ ・ オレも国民のための存在する。」

 

「うん。」

 

『ほんま ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ かなわへん。』

 

「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ オレ、明日、行ってくる。」

 

「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ うん。」

 

「 ・ ・ ・ ヤタ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 愛しとる ・ ・ ・ 世界で一番 ・ ・ ・ ・ ・ ・ それはずっと変わらへん。 ・ ・ ・ 離れててもそれだけは忘れんといて ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」

 

「うん ・ ・ ・ 私は大丈夫。サザキ兄ならみんなのこと幸せにできるって信じてるから。」

 

ヤタノワキは凛とした微笑みを浮かべた。仁徳にんとくは今まで何人の女性を見てきたかなんて、もう覚えていなかったが、その中の誰よりも誰よりも美しいと思った。

 


 

翌日。もう仁徳にんとくに迷いは無かった。

 

久しぶりに会うイワノは不機嫌そうに頬をプクーッと膨らませたが、少しやつれたような気がした。彼女は彼女で不安だったのだろう。そんなイワノの姿を見て、仁徳にんとくは照れ隠しに歌を詠んだ。

 

山代の大根の葉がワサワサワサワサうっさいもんだから、ぎょーさん家来 引き連れて、こないなとこまで迎えに来てもうたやないか。

 

そんなふざけた歌を聴いたイワノは、みんなの前にも関わらず、半べそで仁徳にんとくに飛びついてきた。いつも「人前でいちゃつくヤツがこの世から消えていいなくなれば世界は平和になる。」とかなんとか言ってたくせに。

仁徳にんとくも、あまり不安にさせるような浮気は控えようと反省をした。まぁ、一夫多妻性のご時世で「浮気を止める」という選択肢は無かったようだが。

イワノはどこか安心したように機嫌を直し、一緒に宮殿に戻ってくれた。

 

それからしばらく経ち、仁徳にんとくとヤタノワキは密かに歌を送り合った。

 

なぁ ・ ・ ・ 八田の野原に凛と生える一本菅は子供も持たないまま枯れちまうんか?あんたみたいに清爽な人がずっと一人なんて、惜しいやん。

 

八田の一本菅はそれでいいんです。あなたがそう願うから ・ ・ ・ 私は一生一人でも寂しいなんて思わない。

 

こうしてヤタノワキは生涯独身を貫いた。

 

仁徳にんとくはせめて彼女の名前を後世に残したいと思い、八田部という部を定めた。イワノもそれに対して文句を垂れることはなかった。ちなみに「部」っていうのは、朝廷で働く人の役職のことだ。そのうち部は苗字と変化し、現代でも受け継がれている。

『系図』応神天皇、ナカツヒメ、ヤカワエヒメ、武内宿禰、ヤカワエヒメ、イワノヒメ、仁徳天皇、ウジノワキ、ヤタノワキ、メドリ、履中、墨江、反正、允恭

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