帝紀と旧辞

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古事記は、日本に現存する最古の本だけど、どうやら古事記よりも前から日本には本があったっぽい。

 

とゆうのも、

 

 

「稗田阿礼は28才の時に天武天皇にスカウトされ、帝紀と旧辞を暗誦した。」

 

 

って感じの文章が、古事記の「序」(←まえがきみたいなやつ。)に書いてあるからだ。

 

日本に現存する最古の本が古事記なので、それより前にあったとされる、帝紀と旧辞については、どんな本なのか全然わかっていない。一応、一般論としては、帝紀は天皇の系図を書いたもので、旧辞は歴史を書いたものなんじゃないかって言われている。

 

 

天武「と、ゆうわけで阿礼ちゃん、早速だけど仕事場に案内するよ。 君には帝紀と旧辞を全て丸暗記してもらう。ココが書庫ね。カギあげるから、いつでも使っていいよ。」

 

 

阿礼「え??本に書かれてることを暗記するのか??別に本があるなら覚えなくてもいいじゃないか。」天武「いや、暗記して欲しいんだ・・・・・・・・・・・」

 

 

天武「これ全部。」

 

 

阿礼「っっっっ!? へっ!?帝紀と旧辞って2冊じゃないのかっ!?」天武「まさか。たった2冊のために、君を雇うとでも?? ココに、日本全国から帝紀と旧辞を集めた。各地の神話や歴史、系図がまとめられている。」

 

 

天武「漏れなく覚えてくれ。ここに書かれている全ての神の名を古事記に収める。」阿礼「全部って・・・スゴい量じゃないか!!コレ、全部、覚えるのどんだけかかるんだよっ!!」

 

 

天武「1ヶ月あげるよ。」阿礼「はぁっっ!?1ヶ月っっ!?無理じゃないっっ!? え・・・こ・・・・これ・・・・・・覚えらんなかったら・・・・・」

 

 

天武「・・・・・・。」

 

 

天武「掘る。」阿礼「ヒィィィ!!!」

 

 

どんな本だったのか、全然わからない帝紀と旧辞だけど、たった2冊。しかも既に書籍化されてるものを暗記させるためだけに、わざわざ身分の低い人をスカウトするかなぁ・・・

 

と思い、私は「帝紀」と「旧辞」ってのは本じゃなくてカテゴリーの名前だったんじゃないかなぁ〜なんて妄想している。

 

たぶん、

「帝紀」・・・「天皇家」と「関わりの深い豪族」の血縁関係を示した家系図(記?)。

「旧辞」・・・天皇家や豪族に古くから伝わる言い伝え。特に「語り部」の語りを文章に起こしたもの。

なんじゃないかな〜と。

 

つっても、ほんとは一冊なんじゃないか、とか、そもそも存在しなかったんじゃないかとか、専門家の中でもいろんな説があるので、意見の1つとして。

 

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“帝紀と旧辞” への2件の返信

  1. 稗田 阿礼さん
    こんばんは。
    帝紀と旧辞の原本はたしか
    乙巳の変(昔は大化の改新といっていた)の折に蘇我のイルカのとーちゃんが
    イルカを殺されてはらたてて
    国の大事な帝紀と旧辞を管理していた
    図書館ごと、焼身自殺でもえちゃったとかなんとか
    猛者な人が炎の中にとびこんで
    焼け残っている一部をもちだしたとか読んだ記憶が

    そんでもって、いままで、帝紀と旧辞を
    読んだことのある偉い学者さんの話を
    稗田 阿礼ちゃんが読んだことあるひとが
    この世にいなくなるまえに
    全部学者さまに聞いておぼえたとかなんとか。

    だから、当時も稗田 阿礼ちゃんの、脳のメモリーにしか
    完全体がなかったはずです。

    2代あたりから空気の天皇がいるのは
    この燃えちゃった部分の検証できないから
    名前だけとかでどういう人か適当になったのかもと
    わたしは勝手に妄想してます。

    1. おぉ!!詳しいコメントありがとうございます♡
      そして、お返事が遅れてしまってごめんなさい> <!! 史書が保管された書庫が焼かれたってのは読んだ事あったんですけど、お父ちゃん、焼身自殺してたんですかっっ!? 知らなかった・・・なんてダイナミックな最期!!! 蘇我さんのお宅、仏教推しだったから、神代から続く歴史書を全部燃やしたかったんじゃないかなー。 とはなんとなく思っていたのですが。。。 にしても、その説、とっても自然ですね〜♡ よし、私もそれ採用っっwww

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