日本の宗教戦争「仏教 VS 神道」=「蘇我氏 VS 物部氏」??
このお話は、もうちょい先に公開するつもりだったのですが、後藤健二さんのニュースを受けて、どうもやるせなくなって、先にアップしちゃいました。
なので、中途半端な始まり方です。すみません。
乙巳の変の後、蘇我蝦夷さんが書庫を焼いて自殺しちゃったんだよー。
ってな話を軽くした後の続きです。
ちっこい子は安万侶です。
天武の特別授業
蘇我氏ってのは聖徳太子の時代らから、オレの親父や御袋が天皇やってた時代の約100年間、巨大な勢力を持っていた一族だ。
有名なのは、蘇我馬子、蘇我蝦夷、そんで兄貴に殺された、蘇我入鹿の3人だな。
まぁ、振り返ってみればこの3代だけの短い繁栄だったけど。それでも当時は「天皇を超えたんじゃないか」って言われるくらい、すんごい勢いだった。
そんな蘇我氏が絶大な権力を握ることができたのには、実は仏教の伝来と深い関係がある。
仏教の伝来
日本に仏教が入ってきたのは、538年と言われている。
今からだいたい、150年前だな。
もともと日本には八百万の神々がいて、それぞれの神様を崇めてたから、みんな、海外の神様を見るのははじめてだった。
そりゃービックリしたと思うぜ??
だって、日本の神様は、鏡とか、剣とか、勾玉とか、岩とか、山とか、なんかに宿っている目に見えない漠然としたものだったのに、その時に伝えられた仏像ときたら、キラキラの金ピカだったんだ!!!
だから、みんな、「うおぉ〜!!!なんじゃこりゃ、かっけぇぇ〜!!!!」ってなったワケ。
とは言っても、『昔ながらの神様をないがしろにするのもな。』って想いもあって、しばらくの間、仏教は一部のファンがいるだけで、全国的には広まらなかった。
でも、今はお寺とか、仏像がいっぱいあるだろ??
こんなに一気に広まったのは、今からだいたい100年前。仏教が日本に伝わって50年も経ってからなんだ。
蘇我氏と仏教
仏教の伝来後、蘇我氏は熱心な仏教信者になった。
仏教が入ってくる前は、日本の神様しかいなかっただろ??朝廷の中って、神代からの直系で働いてる奴が多いから、家系で役職が決まったり、昇進したりすることがあるんだ。
蘇我氏も天皇家と血は繋がっているものの、かなり昔の時代の分家だったからさ。そのへんの劣等感もあったんだろうな。
ちなみに、蘇我氏の氏祖は武内宿禰(たけしうちのすくね)ね。300歳くらいまで生きたって言われてる伝説のおじいちゃん。
そこに出てきた「仏教」の神様は「海外の神様」だから、朝廷内の誰とも血縁関係が無い、みんなにとって平等な神様だったわけだ。
蘇我氏と物部氏
こうして蘇我氏は仏教を広めるためにいろいろ行動をはじめるんだけど、その頃から物部氏とのミゾが深くなっていった。物部氏って聞いたことあるだろ??蘇我氏と犬猿の仲って言われてる。
と言うのも、物部氏はニギハヤヒの末裔だったんだ。ニギハヤヒってのは、神武が東征した時、大和を治めていた重要な天つ神な。物部氏は蘇我氏にとっちゃ、まさに大敵だ。神代からの直系で、大切にされてきた血筋だったんだから。
当時、蘇我氏と物部氏は2大勢力だったからさ。蘇我氏の代表だった馬子さんは「ニギハヤヒの血筋さえなければ自分たちの方が優っているのに。」ってな想いがあったと思うぜ??
仏教と神道の戦い
こうして、「蘇我氏 VS 物部氏」=「仏教 VS 神道」みたいな公式が成り立っちゃったわけだ。
そんで、この2者間の対立が激化したのが、今から約100年前。用明天皇が亡くなった時。聖徳太子の親父さんな。
用明天皇の後に、誰を天皇にするかって話で、「蘇我氏」は仏教推しの「崇峻」を、「物部氏」は神道推しの「穴穂部」を立てて戦った。ちなみに、不比等のご先祖様の「中臣氏」も、アメノコヤネの直系だからな。神道推しの物部氏側についた。
これがもぅ、ドロッドロの戦いだったわけよ。
「仏像を壊したりするから祟りで呪われたんだー!!」とか、「仏教なんか信じるから八百万の神々が怒って役病が流行ったんだー!!」とか、なんの根拠も無いことでお互いに罵りあってさ。たくさんの血が流れた。
まぁ、いろいろあったんだけど、最終的には、仏教推しの蘇我馬子が勝利して、そこから蘇我氏&仏教の繁栄が始まることになる。それに、聖徳太子も仏教推しだったからな。彼の活躍もあって、さらに広く仏教の教えが伝わったんだ。
蘇我氏の繁栄
こうして、蘇我氏は仏教の広まりと比例するように勢力を拡大し、この戦争に負けた物部氏は滅ぼされた。中臣氏も負けた側だったから、鎌足さんは若い頃ずいぶんと苦労したらしい。あ、不比等の親父さんね。
さらに、聖徳太子と推古天皇が死んだ後なんかは、蘇我氏の天下と言ってもよかった。このころ、蘇我馬子さんはさすがに亡くなってたから、息子の蝦夷さんが大臣だったんだけどな。
ちょうど、オレの親父、舒明天皇の時代だ。
で、これがさぁー、うちの親父、けっこーな平和主義者でさ。。。暇さえあればすぐに温泉に行っちゃうようなユルイ性格だったわけよ。蝦夷さんの横行も「なんか、蘇我さん怖いし、あんまり歯向かわない方がいいんでない??」みたいなテンションでさ。まぁ、そんなおおらかな人柄もあってか、外交は結構うまくやってたけどな。
でも、そーやって、蘇我氏を放って置いてるうちに、行動がどんどんエスカレートしていっちゃって。終いには、蝦夷さんは勝手に息子の入鹿さんを大臣にしちやわうわ、入鹿さんは聖徳太子の子を殺しちゃうわで、そりゃもぉー、半端ない横行っぷりだったんだ。
乙巳の変
まー、そんなユルイ親父を見て育ったもんだから、兄貴は、なんか、こー、いろんなフラストレーションが溜まってたんだろうな。ガキの頃からいつもピリピリしててさ。「俺は親父みたいにはならねぇ!」とか、ありがちなセリフ言っちゃって。
あ、兄貴ってあれね。中大兄皇子。天智天皇。
そのうちに親父が死んで、御袋が後を継いで数年経った頃・・・入鹿さんが皇居を見下ろせる場所にすんごい豪邸を建てたんだ。
いやぁー、今でも覚えてるよ。もぅ、最先端の技術は全て詰め込みました!みたいなカッチョイイ豪邸でさ。なんっつーのかな。変な圧力というか、緊迫感ってか、危機感っていうか・・・。ガキながらに「あー、これやべーな。」って思ったよ。今から40年くらい前だったかな。兄貴がハタチ手前で、オレが思春期真っ只中の頃だ。
でもまぁ、それで朝廷には波紋が広がったわけだ。「天皇を見下ろすようなところに豪邸建てるなんて、神にでもなったつもりかー??」ってな。
そんでブチギレた兄貴が、鎌足さんと一緒にクーデターを起こして入鹿さんを切ったんだ。それに、鎌足さんには「敵討ち」って想いもあった。中臣氏は物部氏と共に戦って、蘇我氏に負けてたからな。
それが、「乙巳の変」。 学校で習っただろ?
まぁ、乙巳の変の詳細は、教科書にも書いてあるからいいよな。
蘇我氏の滅亡
で、入鹿さんを殺された父親の蝦夷さんは激怒して、書庫に火をつけて、その中に飛び込んで自害した。
こうして、蘇我氏の繁栄は100年くらいで幕を閉じたわけだ。
この焼かれた書庫には、聖徳太子が編纂した「天皇記」と「国記」が保管されていた。ここには、神代から続く日本の歴史が書かれてあってな。
史書の一部は、その火の中に飛び込んでくれた勇者が持ち出して、残ったんだけど、かなりの量が焼けちゃったんだ。おかげさまで、今になって慌てて「古事記」と「日本書紀」を編纂してるってわけ。
・・・・・なんとも言えない最期だよなぁ・・。
蝦夷さんのそんな最期をみちゃったもんだからさ、あの人は心底、日本の神々を嫌ってたんだろうなぁー。なんて思えちゃって。切ないっつーか。やるせないっつーか。まぁ、そんだけ仏教への信仰心が高かったのかもしれないけど。
神様と信仰心
でもさ、オレとしては、蘇我氏の仏教への信仰心をどうも信じられないところがあるわけよ。
だって、入鹿さんは「自分が」天皇を見下ろす場所に屋敷を建てただろ??あの頃、誰も蘇我氏には口答えできなかったからさ。神にでもなった気分だったんだろうな。
でもさ、どう足掻いたって、オレらは地に足ついた人間なわけよ。
「神様」ってのは「人間」がモノを言うよりも遥かに力があるからさ。蘇我氏はその力をうまく利用して自分達がのし上がってきたんだ。結局のところ、蘇我氏は自分の地位を築くために仏教を利用していたってことだ。
あれが、自分の豪邸じゃなくて、寺院だったら結末は変わっていたかもしれない。でも、蘇我氏が最終的に求めたものは、信仰心じゃなくて、自尊心だった。仏教は無欲を善としてるっていうのにさ。
長くなっちゃってすみませんでした。。。
私の能力的に伝えたい事がちゃんと伝えられたかわかんないけれど!!!
いろいろとなんか、こう、もやもやしちゃって、蘇我さんには悪いと思いつつ、悪役に徹していただき、周辺の歴史をまとめました。蘇我さん悪くない説もあることは知ってます。(私は、悪役説推しだけど。)歴史に詳しい人で、もし、異説など補足したい方は、コメント欄使って自由に語ってくださいw
日本に住んでると全然わからないけど、世界ではいまだに、神様のために、たくさんの人が亡くなっているんですよね。
とっても幸せなことに、日本ではこの時の仏教と神道の戦い以来、キリスト教が入ってきた時しか、「宗教戦争」って呼べるような大きな戦いは起こってません。(戦国時代のお坊さん同士の政治権力争いはなんか違うので省いて考えています。)その有名なキリスト教弾圧ですら世界と比べたらずっと小さくて短かいものでした。
現代の日本人は、生まれたら神社で祝って、結婚したらキリストさんに誓って、死ねば寺に埋まります。
そんな日本人を世界の人は「信仰心が無い」って言ってバカにするんだけど、私にとっては、こうして人様の宗教も神様も否定せずに受け入れることができる日本人が誇りなんです。
日本の神々をまとめなおして、薬師寺を建てて、両者に祈りを捧げた天武天皇が、どこまで考えてやってくれたのかはわからないけれど・・・こんな日本を作ってくれたことに、心から感謝しています。
宗教にも神様にも罪はありません。もし、そこに罪があるのなら、それは人の行動が生んだものです。神様のせいじゃない。
いつの日か、少しでも早く、この世界から神様の名前を使った殺人が無くなりますように。
願いを込めて、微力ながらこの歴史を届けます。
詳しいご説明感謝です^^現在、公私で幾つかの異なる宗派の方々と関わってる所です。
イスラム教・ユダヤ教・キリスト教って、実は旧約聖書という根っこが一緒なはずなのに、歴史を調べれば調べるほど、もう古今東西、物凄く長く恐ろしいほどに争ってて、しかも同じキリスト教内でも、カトリックとプロテスタントでまた争ってたりして(今年はドイツ三十年戦争400周年です~)
そんな中「そう言えば仏教や神道で、宗教戦争ってあったのかなぁ?」って考えてたところでしたので、この講義、絶妙に…いえ、最高に有難かったです(^▽^)
なるほど…、本当に、日本での宗教戦争らしいものって、これ一度っきりだったんですね。何か日本人でもう、ホント良かったと思いました(涙)
先日、ヨーロッパ人の友人が、家庭事情で暫く教会に行けなくなってしまい、気の毒に思ったので、十字架を手作りしてプレゼントし「教会に行けなくても、あなたの傍に神様はいつもいます」というメッセージを添えたら「あなたはキリスト教徒じゃないのに、キリスト教徒の私の気持ちがどうして解るの?」と言われ、物凄く感謝されました。
数年前には、私は日本で祈る場所が無くてお困りだったムスリムの方々の為に、公共の場所に小さな祈りのスペースを作って差し上げて下さいということで、役所などにあれこれと動いたことがあります。
日本人の宗教観は八方美人ですが、どんな宗派の方に対しても、等しく彼らの信仰を守る為に一緒に悩み、共感し、何かしてあげられないかと努力することができる、というのは、多神教の日本人ならではの自由な良さかもしれないと思いました^人^
私はなんちゃって仏教徒ですが(勿論クリスマスも大好きです☆)私の家のお墓のある寺院には鳥居があります。
神仏混淆で、神様と仏様とが仲良くお住まいになってるんですね^▽^
日本で、神様のお名前が都合よく政治利用されてしまった、一番酷い例…
と言えば、実は70年前の戦争がそうだったのかな…
「ラノベ古事記」を拝読しました時に「日本の神話を(都合つかない部分を削り落としたりなんかした、ただ畏敬の対象みたいにされた書でもなく、逆に、必要以上に残酷な部分だけ抜き出した、神様を貶めるのが目的みたいな書でもなく)誰でも神様たちに親しめるように面白おかしく、楽しく書かれたこういう書籍が、70年前当時にもし出版されていたら、日本は、もしかしたらあのような悲しい歴史を経ずに済んだかもしれない…」
「古事記や日本書紀が、こんなに楽しく読めるなんて。今は、本当に自由な良い時代になったんだ…」「そうそう、こういうの、もっと書かれてほしいんだよなぁ…」と、ふと思ったことを覚えています^^
色々エラそうなコメントごめんなさい!応援しています^^
続投申し訳ないです。体調はいかがですか?
陣痛の合間に赤富士のジンクスは初めて知りました。
しかし神功様みたいで凄いです。
実は仲哀天皇陵にも行った事があるのですがこの方の
場合は父親と違って何も悪くないような・・・?
天皇として自分の国をきちんと治めたかっただけなのにどうして(-_-;)
以前TVで愛染祭りのゴミの実態を見ましたが、やっぱり教育が足りない、と
いうか彼らが自分でこの国について勉強しなくちゃいけないですね。
祭=祀。 政=祀。 知らなくても捨てる場所が無ければ持って帰るという意識
くらい持って頂きたいです。それに聖徳太子のお膝元って事完全に自覚がない様子・・・。
ちなみに聖徳太子は両親共に蘇我氏の系統です。馬子大臣の父親、稲目が娘2人
を天皇に嫁がせていまして、異母兄弟で結婚しているんです。
おじいさんがもともと欽明天皇しかいない事になります。
さらに推古女帝は馬子大臣が3歳の時に生まれていて、叔父と姪の関係です。
大臣はお姉さまとは随分年が離れているんですね。稲目も子沢山だったのでしょうね。
ももさん、コメントありがとうございます^^
また、お返事が遅れてしまってすみません(汗;;)ブログの方だと、スマホからお返事がしづらくて。。。
もしTwitterかFBされてるようであれば、そっちの方が早くお返事できます!!
私も古事記を知る前は、弥生時代の次は平安時代だと思ってた人なので、あまり人様のことをどうこう言える立場ではないんですよね〜^^;;;
聖徳太子については萌えることしか理解していないので()またお勉強し直してきますね(笑)
ももさんみたいに、日本のことが大好きな人がもっと増えたら素敵ですね^^♪♪
小野寺さんご出産おめでとうございます!
自分もラノベ古事記購入させて頂きました(^^♪
チャラ男は人類の敵! そういえばアマテラス様って超がつく純潔ですよね・・・。
彼女自身がイザナギの禊だけで生まれた訳だし、子供も
自分一人で生み出してますし・・・。神宮も彼女が認めた人しか入れて
くれなさそうな雰囲気ですね。実は私は2度神宮を訪れています。
沖ノ島が世界遺産になりましたが沖ノ島だけでなくこの日本列島
全体が御神体だという事をもっと言って欲しいところですね。
そして自分たちがその御神体に住まわせて頂いている事を皆に
自覚してもらえたら、と思うのです。
現在の日本が多宗教国家になったのは実は聖徳太子が多宗教の人
だったからと四天王寺さんからお話を聞きました。
実際四天王寺さんの周囲には聖徳太子が建立した神社が点在して
いるし、大阪のえべっさんも実はそうだったり(アマテラス様も祀られてます)。
このHPで”天皇家は最高神の末裔”って書いてあるのを見て”あ~っ!”
と気付いたのですが聖徳太子って両親の父親が欽明天皇だし出生に
ついては救世観音がお母さんのお腹に飛び込んで・・・ですよね。
出生の話は何度も聞いてるのに今までボケっとしてて聖徳太子が
”神仏両方の血が入っている事”に気付かなかったんです・・・。
ももさん、コメント&お祝いのお言葉、ありがとうございます!
ラノベ古事記楽しんでいただけていたら嬉しいです^^
そうですね〜。
日本の神話が一般常識になれば、もっと自分の国が好きになると思うんですけどねぇ〜。
ゆかりの土地がいっぱいありますもんね^^♪♪
聖徳太子、そんなに詳しくないですけど、ほんと、尊いです。
出生の云々は伝説なのでなんとも言えないですが、お母さんが蘇我系ですもんね。
天武もここでは蘇我さんディスってますけど(蘇我さんマジでごめんなさい。これ書いた時まだ蘇我萌え無かったの;;)ささらちゃん(持統天皇)も蘇我系なので、その影響もあって神道も仏教も両方信仰があったのかなぁーと思っています^^
はじめまして。
蘇我氏と神道の関係をググって辿り着きました。
私も古事記や日本書紀がとても好きで、たまに気になって調べているのですが、大変わかりやすく勉強になりました。
貴ホームページも手間暇かかっていると推測いたしますが、気軽に読めて読書としては嬉しい限りです。
市販の書籍以外にも、山雅書房や古学アカデミーでも解釈の仕方やヒントが得られて同じく勉強になります。 クリスチャンにとっての聖書は人生の指針ですが、本来、日本人にとっては古事記がそうであるはずなので、私ももっと勉強したいとモチベがアップしました。
ありがとうございました。
コメントありがとうございますmm
お役に立てて幸いです!最近はWEBサイトでも分かりやすいものが多いので、ありがたいですよね^^
古事記、本当に奥が深くて底なし沼状態なので、是非、泥沼仲間にw
窒息死寸前ですけど、幸せです。
やはりそうでしたか…腑に落ちない歴史が多々…にてもしや…と思い聖徳太子と物部守屋様の戦いに疑問がわきアクセスしてみたらば説得力のある解説文…(誠ならば…“すみません”) 素晴らしい御解答を有難うございます。謝罪…
コメントありがとうございます!
資料の少ない時代なので、ご参考までに~^^
詳しく聞かせてくれてありがとうございます。
古事記がすきで、今気になってた蘇我氏と物部氏のこと検索して見つけました。
ほかも読ませていただきますね。
コメントありがとうございます!
数ある説のなかのひとつとして参考にしていただければ幸いです^^
個人的には古代の歴史って古事記や日本書記を知ってないと理解しづらいと思うんですけどね〜
学校だと、マニアックすぎてなかなか教えてもらえないので(笑)お役に立てれば幸いです!
稗田 阿礼さん、すごく、思いがつたわる
文章だと思います。
人って、ちょっと自分と違う部分があると
相手の事を受け入れられない部分てのが
あるんだけど、そこを少しだけ相手の事を
理解できれば、ムダな争いを生まない事が
できるはずなのにとも思います。
歴史的には争いは、神の名の元にはじまる事が
多いんだけど。
結局は人間の主義、主張のぶつかり合いの
結果なんだと思います。
だから、私たち日本人の御先祖さまが
考えた神宮寺システムや八百万精神を
私は、誇りに思うし。
またこのような、考えは
次の時代の人に、受け継いで
いくのが、今を生きる、私たちが
することなのかもしれません。
漫画の最後の、天武帝の台詞
両方だよ
この一言が日本人の良さなのだと
私も思います。
D2さんっっ!!!
嬉しいコメントありがとうございますっ> <!! なんだか、こうゆう事件があると、いつも自分の無力さを痛感します。 もちろん、自分で何かができるとは思っていないですが・・・それでもツラいですorz あ、あと、この記事は、前回D2さんにいただいたコメントのおかげで書く事ができました。 ありがとうございますmm 私もご先祖さまたちが誇りです。 今、忘れられつつあるこの価値観が消えてしまわないように。。。 やはり微力ですが、私なりに語って行きたいなぁ。 なんて思っています。