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古代の文化
投稿日:2022/05/28 最終編集日:2023/09/17
日本はセックスでできた!?
さて。突然ですが、あなたは『日本列島』がどうやってできたかご存知でしょうか?
『ユーラシアプレートの東端』と『北アメリカプレートの南西端』の2つの大陸プレートの下に『太平洋プレート』と『フィリピン海プレート』の2つの海洋プレートが沈み込む運動によって、大陸から切り離された弧状列島になった…ですか。そうですか…うん、そうですよね!
しかし、古事記の時代に生きていた古代の日本人はそんなこと知りません。
それでは、古代の人たちは、どのようにして日本列島ができたと考えていたのでしょう。
日本神話では、『イザナキとイザナミという夫婦の神様の子供として、日本の島々が生まれてきた』と伝えられいます。
つまり、セックスで日本の島々ができたということですね!
斬新!!!!!
近代ではセックスについて触れることがタブー視されてきたので、とにかく性について喋りづらくなってしまったことから、今になって『日本の性教育の遅れ』が問題視されています。
しかし古事記をみても、平安時代の源氏物語をみても、江戸時代の春画をみても、性に関してかなり楽しんでるし、寛容な印象…それがなぜ、今では、性教育後進国になってしまったのでしょうか…?
この記事では、原点に帰り、えらく和風な古事記目線で、セックスについて、考えてみようと思います!
苦手な方はスルーでよろしくお願いします。
古代の日本人におけるセックスの価値観について考えてみる。
まずは、ひとつ質問をさせてください。
あなたにとって、『セックス』ってどんなイメージですか??
恥ずかしいこと。大人の欲望。いけないこと。触れられない話題。武器。快楽。罪。
人によって、さまざまだとは思いますが、私はだいたいこんなイメージでした。みなさんの中にもマイナスなイメージを持ってる人は多いのではないでしょうか。
しかし人間も動物の一種なわけで、セックス無しに繁殖できるわけもなく、みんな大人になれば当たり前にすることなのに、なんでこんなにマイナスなイメージが多いのでしょうか。
まずは、私たちの価値観の根源を探ってみようと思います。
実のところ、このような命に関する価値観というものは、神話から繋がっていることが多いそうなのですが…
しかし、古事記をはじめ日本の神話は下ネタまみれ…
それでは『セックス=罪』の公式はどこから来たのか。
まずは誰もが知ってる、あの神様の神話を思い出してみましょう。
セックスは罪なの?
『処女の母親から生まれた、クリスマスが誕生日の神様』といったら誰でしょう。はい、有名なあの人ですよね。
キリスト様。
(注:厳密にいうとキリストは神様ではなく、神の子。多神教の感覚で見ると、神様ですけどね。あと、クリスマスも誕生日ではないらしく、誕生を祝う日だそうで…略して、誕生日。)
キリストはマリアの処女懐胎で生まれました。このことから、『神の子』と呼ばれています。
ではなぜマリアは『処女』のまま妊娠したという設定になったのでしょうか。
それはキリストの父。つまり、この世界を作った神。『God』の神話にヒントが隠されています。
唯一神Godが出てくる神話といえば『旧約聖書』ですね。
そして、旧約聖書に出てくる最初の人間といえば、またまた有名なあの2人。
アダムとイブです。
アダムとイブは苦しみのない『エデンの園』の住人だったのですが、ヘビにそそのかされ『禁断の果実』を食べてしまった『罪』により、追放されてしまいました。これが人間の起源とされる神話です。
この2人の罪によって『人間』の存在自体が『罪』となり、その人間を繁殖させる行為である『セックス』も邪悪な行為になったとのこと。(蛇を男性器、禁断の果実(いちじく?)を女性器の比喩として、セックスをしたという罪で下界に落とされたという説も)
つまり『セックス=罪』の公式は、この旧約聖書から来た価値観ということになります。
だから旧約聖書の価値観を受け継いだ、『神の子』であるキリストは、罪(セックス)を犯していない女性から生まれなければならなかったんですね。
このように私たちがなんとなく感じていた価値観の紐を解いていくと、他の国の神話までさかのぼれるのは、なかなか興味深いです。また、自分たちは「無宗教だ」と感じている日本人が、神話によって思いっきり価値観に影響を受けているのがまた面白いですね。
古事記におけるセックスの記述について
現代人がなんとなく感じていた「セックス=罪」という価値観の根源は、どうやら旧約聖書のアダムとイブから来たっぽい。ということが分かったところで、次は日本の神話を振り返ってみようと思います。
ここで聖書と古事記を比較するのも野暮だよなと思いつつ、立ち位置を把握するために、聖書と古事記の人物を比較していきます。
古事記の中でキリストに当たるの人物は、初代・神武天皇です。
無理がありますけどね。あくまで立ち位置として考えていただければ。。
神武天皇がどうやって生まれたのかというと、父神・ウガヤフキアエズと母神・玉依姫がラブラブイチャイチャして産まれてきました。
そして唯一神・Godを、最初に生まれた神・アメノミナカヌシとすると『アダムとイブ』に当たるのは、『イザナキとイザナミ』になります。
ここで冒頭の話に戻ります。イザナキとイザナミが日本の国土を産む国生み神話ですね。
男神・イザナキにはこんな有名なセリフがあります。
吾が身の成り余れる処をもちて、汝が身の成り合はざる処にさし塞ぎて、国土を生み成さむとおもふ。
引用:古事記
現代語訳にすると、「セックスをして国土を産もうと思う」ということですね。
つまり、そもそもこの国には「セックス=罪」という公式が存在しなかったことになります。
それどころか、セックスは命を産み出すための神聖な行為だったんです。
人は大好きな人と一緒に神様と同じ神聖な行為をすることで命を育むことができるって考え方です。…なんだか神秘的。
また、古事記ではセックスのことを「まぐわい」と表現します。直訳すると「目が交わう」という意味。つまり、お互いの目が合って惹かれ会うってこと。
「まぐわい」とは、お互いが惹かれあって、大好きで大好きで大好きすぎるからする行為なんです。
これは完全に少女マンガな思考ですね。超ロマンチックです。
また、女性器のことを古事記では「みほと」と表現されています。
この言葉の意味を分けると
み→「御」と一緒で、大切なものとか、尊敬するものにつける接続語。
ほ→「ほの字」とかでも使う、大好きなもの。燃え上がるもの。素晴らしいもの。
と→「戸」と一緒で、出入り口。
つまり、命が産まれる素晴らしい場所って意味です。
なんだかさっきから、めちゃくちゃ素敵な表現しますね、古代人。
もー、こーゆう、昔の日本人のひとつひとつの価値観が大好きでしょーがないんですよね。。
もちろん、古事記にも性犯罪の概念はあって、特に獣姦と近親姦は明確に罪であるという記述があるので、性行為は性行為、性犯罪は性犯罪。と、ちゃんと区別して考えられていたのでしょうね。(現代人、ここの区別をするのが苦手な人が多い)
神話が私たちに伝えたいこと
おそらく、聖書も、日本神話も伝えたいことは一緒だと思うんです。
『欲望のままに無闇やたらにセックスをするな。』ということ。
でも、その理由が、「罪だから」というのと、「神聖な行為だから」というのとでは、その先に子供ができた時の考え方が全然変わってきますよね。
「できちゃった」のか。「授かった」のか。
セックスが罪なら、人は産まれてくること自体が罪になってしまいます。『人間は生まれながらにして罪人』という、旧約聖書の価値観そのままですね。
そんな、悲壮感漂う価値観と一緒に生きてたら人生つらいでしょ。。。
アメリカでは国民の半分以上、約63%(2021年)がキリスト教なのですが、ハリウッド映画で濡れ場は欠かせないし、世界でいち早く複数人と同時に性愛関係を築く『ポリアモリー』が広まっていたりなど、「お前ら、絶対、セックスに罪の意識感じてないだろ」と思うこともしばしば。(アメリカ人のそういうところ好き 笑)
明治時代以降、海外との貿易が盛んになり、徐々に日本で当たり前になった「セックス=罪」の意識ですが、こうして神話を比較をしてみると、罪の意識を感じやすい日本人にとっては、合わない価値観だったのではないかなと感じています。
セックスというものは、神様も行っていた神聖なもので、大好きな人と惹かれあって、きゅんきゅんして、とっても幸せだからすることなんだって。
私はこちらの価値観の方が好きなので、今はそう考えています。
だってセックスなんて、人間、大人になれば誰しも当たり前にすることですもんね。「セックスは罪だ」と言われながら育ったのに、大人になった瞬間、「結婚は?子供はまだ?」と周囲から言われて戸惑っている日本人は、少なくないと思います。
やっぱり、「セックス=罪」の公式は、なんか、ちょっと、ズレている気がする。
せっかくだもの。大好きの結果がセックスであってほしい。
そして、その幸せの結果が子供であってほしい。
スッカリ忘れ去られた日本人の元々のこの価値観が、また当たり前の世の中が戻ってきてくれたらなー。なんて、個人的には思っています。
こんな価値観が当たり前になったら、世界は今よりもっと、キラキラして、おおらかになって、もっともっと、幸せがたくさん増える。
そんな気がしてるんです。
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