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ゆかりの地巡り
投稿日:2022/07/14 最終編集日:2022/07/13
昔、むかし。神代の昔。
イザナミ神とイザナギ神は、日本列島の島々を産み出しました。次に、家を守る神、風や水など様々な自然の神、と産み出していきます。
またさらに、その次には生産に関わる神を産み出そうと、産屋でイザナミ神は出産に備えます。しかしイザナミ神は火の神であるヒノカグツチ神を産み出したとき、その火に焼かれて体に大火傷を負ってしまいます。
ついには、イザナミ神は死んでしましました……。
(意訳などについては諸説あると思いますが、簡単なまとめ書きまで。ご容赦ください。)
さて、このあとどうなってしまったでしょうか。
続きが気になる方は、ラノベ風古事記の 上つ巻 日本神話『神生みとお別れ』 まで。よかったらどうぞ。
https://kojiki.co/nihonshinwa/episode03.html
こんにちは。ぴちょんさんです。
今回は神産みとイザナギ神とイザナミ神の黄泉の国の話につながる、花窟(はなのいわや)神社と産田(うぶた)神社の話。
日本最古の神社などとも言われており、パワースポットなどと多くの記事などでも紹介されていますね。また「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産にも含まれている神社です。
▼もくじ
花窟神社
神社名 花窟神社
御祭神 伊弉冉尊(イザナミノミコト)【本文中は ‘イザナミ神’ 記載】
軻遇突智尊(カグツチノミコト)【本文中は ‘ヒノカグツチ神’ 記載】
所在 三重県熊野市有馬町
HP https://hananoiwaya.com/index.html
海から道路を挟んですぐ、道の駅の横にあります。(下の写真では、画面左側の道路を渡ってすぐ)
見晴らしのよい海岸沿いにひときわ目立つ大きな岩盤が見えてくると、海の青さと山の青さ、岩盤の特徴的な白さが映えてとても美しい雰囲気です。海沿いの国道の交通量も多く、すぐ近くに道の駅や民家などの活気も感じながら、神社の中に1足入ると厳かで神聖な空気に包まれています。
紀の国 熊野 花窟神社 と書いてあります。このため奉拝の文字は上方に位置しています。
熊野の「野」の字が特徴的に書かれていますね。上に絵柄のついた花窟神社の印と、下に絵柄のない印がおされています。
日本書紀の異伝などの1つに「陰部を焼かれて死んだイザナミ神を紀伊国の熊野の有馬村に埋葬した。以降、住民たちは季節の花を手向けて大切にした。」という記述があるそうです。
花窟神社という名前は「花で飾られた大きな岩」という意味から名付けられたと伝えられているそうです。
多くの神社では社殿があり、その中に鏡などが飾られた祭壇があります。
この花窟神社は写真にあるように、イザナミ神やヒノカグツチ神をお祀りする場所として、白い石が広げられた場所があり、建物に覆われていません。無社殿神社と言うそうです。(お守りや御朱印をいただくための社務所などの建物は別にあります。)また、盤座(写真後方の大きな岩)がご神体とされているそうです。
太古からの信仰の形が見え、社殿がない点で珍しい神社だと思いました。面白いですよね。これは、古来より地元の人たちにはこの場所が「イザナミ神の墓所」としての意味合いが強かったため、とも言われているそうです。
イザナミ神をお祀りする場所のすぐ横に、ヒノカグツチ神も祀られていました。
母であるイザナミ神を自身の火で殺してしまった・・・それを怒り悲しんだイザナギ神に殺されてしまった。という、悲しい運命にあったヒノカグツチ神です。が、殺されてしまったあとは、こうして母を守るようにすぐ脇に構えている。
想いを馳せると、実に奥ゆかしいというか、感慨深い思いに駆られました。
花窟神社から歩いて1分! 道の駅があります。
駐車場も困らないですし、道の駅のように整ったお手洗い施設があるというのは、子供連れやお年寄りなどと一緒に行きやすいですし、参拝者にはとてもありがたいですよね。木造でありながら平成24年開業の綺麗で新しい建物です。
名物はこの地域で栽培されている古代米で、その名も「イザナミ米」と名付けられているそうです! お餅やお団子としてこちらで売られているそうですよ。
花の窟・花窟神社 お綱茶屋HP
https://hananoiwaya.com/otunacyaya/cyaya_index.html
産田神社
神社名 産田神社
御祭神 伊弉諾尊(イザナギノミコト)、伊弉冉尊(イザナミノミコト)、軻遇突智命(カグツチノミコト)
天照皇大神、大山祇命、木華開耶姫命、神武天皇
所在 三重県熊野市有馬町
HP 三重県神社庁教化委員会 産田神社
※神社が運営するHPが見つからなかったため、祭神などは下記HPより。
http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%E7%94%A3%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE/
花窟神社が海沿いに位置するのに対して、産田神社は海から山のほうへ入って住宅や田畑に囲まれた場所にありました。太い杉の木が多く立ち並び、歴史を感じさせます。 また一歩中に入ると、イザナミ神が神を産んだ地とされるように神聖で厳かな雰囲気に包まれていました。
神々の郷 熊野 産田神社 と書いてあります。このため奉拝の文字は上方に位置しています。印や文字の配置などは花窟神社の御朱印と同じ構成になっていました。上の印は 軻遇突智 という印ですね。
なお、産田神社の御朱印は花窟神社でいただくことができました。(平成30年末時点)
花窟神社から産田神社へは、海に近い花窟神社から山方面へ向かって、バイクで5分程度だったと記憶しています。歩くと20分くらいでしょうか。
決して歩くことができない距離でもないと思いますが、海に近いため夏は暑く冬は冷たい風が強い地域ですので、要すればタクシーやバスなどを考えてもよいと思います。
花窟神社がイザナミ神を埋葬した地と伝えられるのに対して、産田神社はヒノカグツチ神をイザナミ神が産んだ場所、とされています。そこから「産んだ場所」という意味の産田と名付けられたと伝えられているそうです。
産田神社内にある古代の祭祀台の遺跡のこと。
古代の神社では社殿のような建物がなかったと言われています。この産田神社で見られるひもろぎは、石で囲んだ様式で、しめ縄を張って神を招く祭事を行っていた場所と言われています。「神籬(ひもろぎ)」と書かれ“神の宿るところ”という意味だそうです。
この地方の人たちは子供を授かると安産祈願に産田神社にお参りして、石を目をつむって拾う。
その石が 丸ければ女の子
長細ければ男の子 ・・・が生まれる
と伝えられ、無事に子供が産まれるとお宮参りの際に七里御浜で白石を拾い、元の石と一緒にここに返すと言われているそうです。
現在でも行われているか私は分かりませんし「一家繁栄のためにはなんとしても長男が欲しいという時代」でもなくなりましたので必要性は薄れてしまっているかもしれませんが。これもすべては「イザナミ神が神を産んだ地」としての、出産に関する御利益や不思議にまつわるお話だと思います。
※ただし、現代において石を動かしたり持ち帰ったりすることはすべきでないように思います。僭越ながら、下文「はしがき」をご覧いただけますと幸いです。
有名な神産み・イザナミ神の死の場面にゆかり深い花窟神社・産田神社。
歴史などの他にも、自然崇拝の形や祭祀場遺跡なども見学でき、私としても「一度訪れることができて本当に良かった」と思う神社です。この記事を読んでいただいた方にも、いつか訪れるきっかけとなったら嬉しいです。
ぴちょ的指数
歴史・見どころ | 太古の遺跡とされています。間違いなく歴史深い |
ご利益 | 安産・縁結び・商売繁盛などのご利益があると言われています |
パワースポット | 太古の祭事遺跡ということもありパワースポットと言われる |
アクセス | 紀勢本線 有井駅 より徒歩15分、もしくはバス。無料駐車場もあり |
お買い物・グルメ | 花窟神社近くの道の駅がオススメ。それ以外は多くはないが多少ある |
はしがきに。 2000年守られてきた遺跡。今後守り続けていくのは。
上文で今回ご紹介した「ひもろぎ」ですが、これは有識者の方から太古の祭事遺跡だと認定を受けているそうです。これが地元の方々に、現代までずっと守られてきたということに驚きました。驚いたというのは、この「ひもろぎ」という遺跡は、石を置いて並べただけのものなのです。
例えば、2000年もの間にたった10年忘れていられたら、土に埋まってしまうでしょう。2年もサボることがあれば、きっと雑草に埋もれていたことでしょう。いや、もしかしたら1年サボれば、枯れ葉に埋もれてしまうかもしれません。いやいや、1人だけでも悪意のある人間が石をどこかに捨ててしまえば、30分でなくなってしまうかもしれません。
それを1度もサボることなくこの地の人々に代々語り継がれ、代々数百人、いや数千人という人々が、この「並べられた石」をその場に置いたまま埋もれることなく守ってきた。これは果てしないことだと思います。
・・・そして。
それをこれからも守っていくために、今守らなければいけないのは、現代に生きている我々の他にないと思います。
インターネットなどに書かれている「神社への参拝のし方」などの紹介文を見ると、鳥居ではお辞儀をしましょう、二礼二拍手一礼でお参りしましょう、などと書かれているものが多いですが。
古事記や神社に興味を持ち、もし私の記事などを見て「自分も行ってみたい」と思ってくれる方がいらっしゃったのなら、先ずは
・床や木の根を傷めないように、金属のついた靴底やピンヒールは避ける
・傘や杖、キャスターが付いたバッグなどの持ち物で、木の根や施設を突いたり傷めてしまわないよう気を付ける
・施設内の石や砂、草木などを勝手に動かさない、持ち帰るのは言語道断
・喫煙場所を守る ・おみくじを縛るのは指定の場所 ・ごみを持ち帰る
などなど、その施設を守り伝えてきた方々への尊敬を持つべきだと考えています。若輩者の私からは僭越ではありますが。
実際私は、それを産田神社で感じてから、これらをよく気をつけるようになりました。お賽銭は1円玉か5円玉だったのが、10円か50円にするようにしました。熊本震災で被災した阿蘇神社や、人吉の洪水で水没した青井阿蘇神社には、(情けないほどに微力ではありますが)寄付をさせていただきました。町内会の神社のお札を買いました。3か月に1回の町内会の神社掃除にもできるときには進んで出るようになりました。
それは私自身、ご利益のために行っているのではありません、それは産田神社の「2000年前にただ並べられた石がそのままで現代まで守られてきた」という事実を知った、という理由。ただそれに尽きるのです。
私自身、ただバイクに乗りたかったついでに神社に多く行ってきた、ただそれだけの人間です。しかし振り返れば、旅に出てみると数々の経験とともに「学び」があったと実感しております。
私が行っていることを上記に書きましたが、これが正しいことなのか善いことなのかは私から言えるような立場ではありませんし、それを皆さんにも行え、と言えるほどの人間ではありません。
ただ、皆さんにも神社や遺跡を訪れた旅にはその先に、きっと善い「学び」があると思います。それはきっと、貴方にとって生きる上で大切なことなのではないかと思うのです。その「学びの発見」を是非経験し、大切にしてほしいと思うのです。
ここまで長々と書いてすみませんでした。
この記事をここまで読んでいただけた貴方が、素敵な旅に出るきっかけとなったら嬉しいです。
また「2000年伝えられてきた遺産や文化を今守っていくのは我々ではないだろうか」この私の想いが少しでも共感いただけたのなら幸いです。
花窟神社と産田神社について書かせていただきました。
では今回は特別に、これまでに書いた2つの記事とちょっと違う文で締めたいと思います。
今日はここまで。
貴方にも善い神縁と「学び」がありますように。 — ぴちょんさん —
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