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ゆかりの地巡り

宮崎日向三代の伝説の地・鵜戸神宮(宮崎県日南市)

投稿日:2022/07/01 最終編集日:2022/06/29

宮崎県には2つの神宮があります。
一つは初代天皇(神武天皇)を御祭神とする宮崎神宮。
もう一つは神武天皇のお父様(ウガヤフキアエズ)を御祭神とする鵜戸神宮です。
今回は鵜戸神宮についてご紹介します。


晴れた日には青い空と青い海の景色がすばらしい日南海岸の、日向灘に面した天然の洞窟の中に鵜戸神宮はあります。

鵜戸神宮からの眺め
鵜戸神宮からの眺め

鵜戸神宮にまつわる古事記のお話


日本神話のお話を知っていたほうが絶対楽しめると思うので、最初にざっくりとご紹介します。

鵜戸神宮の御祭神はウガヤフキアエズですが、古事記ファンでなければ、初耳の方も多いかもしれません。アマテラスオオミカミの直径の子孫にあたる方です。

アマテラスの孫が天孫降臨のニニギノミコト、その子が海幸山幸伝説の山幸、その子がウガヤフキアエズです。ちなみにウガヤフキアエズの子が初代天皇である神武天皇です。

海幸山幸伝説の山幸は、海神の娘である豊玉姫と海宮で結婚します。兄(海幸)に釣り針を返すため一足先に一人で山幸は陸に戻っていました。
そこに山幸の子を妊娠した豊玉姫が「天つ神の御子は陸で出産すべきだから」と言って、海神の宮から山幸の元へやってきます。
山幸は出産のための産屋を造り始めますが、それがまだ完成しないうちに(産屋の屋根が葺きおわらないうちに)お子様が生まれました。
だからそのお子様に「ウガヤフキアエズ」と名づけたそうです。



・・・エピソードはわかった!でもなぜそれを名前につけたのか!?💦とツッコまずに入られません‼

豊玉姫は「出産の際、自分は本来の姿に戻って出産するので、決して覗かないで」と山幸に伝えますが、そう言われるとこっそり覗いてしまうのが人情です。
豊玉姫は大きな鰐(ワニ)の姿になって出産しており、本当の姿を見られたことを恥じた豊玉姫は、子供(ウガヤフキアエズ)を残して海に帰ってしまいます。
代わりに豊玉姫の妹・玉依姫が、養育係となりウガヤフキアエズを育てます。
成長したウガヤフキアエズは玉依姫と結婚します。
二人の子供が、イツセ、イナイ、ミケヌ、ワカミケヌの4兄弟です。末っ子はのちに神武天皇となります。

以上、とてもざっくりとですが、鵜戸神宮に関係する古事記のシーンを紹介いたしました。

さっそくお詣り開始~朱色の楼門


それでは、さっそくお詣りしてみましょう😆
参道には3つのルートがありますが、今回は車で行く海岸参道(海岸線に沿って鵜戸崎をまわる自動車参道)を選びました。
この参道は昭和48年の天皇皇后両陛下のご参拝にあわせて造られたそうです。


大きい鳥居を自動車ですぎると、右手の海岸沿いには「鬼の洗濯岩」と呼ばれる有名な「鵜戸千畳敷奇岩(せんじょうじききがん)」が見えます。
畳千枚分はあることから名づけられたそうです!
約1000万年前から100万年前にかけて堆積した地層だそうですよ。


駐車場に車を止め、2つ目の鳥居をすぎると、入り口の「神門」があります。
右手には海が広がっています。
日差しがすごいです~‼6月以降は日傘がいるかも。


さらにすすむと、朱塗り鮮やかなの「楼門(ろうもん)」が。
楼門とは、二階建ての門という意味だそうです。立派~‼

鵜戸神宮の神門
鵜戸神宮の楼門
鵜戸神宮の楼門

神使のうさぎが出迎えてくれます


参道を進み続けると、たくさんの石像のうさぎさんが出迎えてくれます。
けっこう新しいものらしく、皆キレイです。かわいい~😍


うさぎは鵜戸神宮の「神使」です。
神使とは、神様の使いとか腹心、親族、眷族という意味だそうで、稲荷神社の「狐」、八幡神社の「鳩」、天満宮の「牛」、春日神社の「鹿」が有名です。


さて、ここでクイズです。
なぜ鵜戸神宮の神使はうさぎなのでしょうか?
前述の古事記のエピソードには、あまり関係なさそうでしたが・・・。

参道にみられるうさぎの石像
参道にみられるうさぎの石像
参道にみられるうさぎの石像
参道にみられるうさぎの石像
参道にみられるうさぎの石像
参道にみられるうさぎの石像



・・・答えは御祭神が、「ウ」ガヤフキアエズだから、「う」さぎなのです‼
ダジャレ炸裂です😂(笑)。


第10代崇神天皇の頃から、毎月はじめの卯の日には「縁日祭」が行われているそうで、鵜戸神宮とうさぎの縁はずいぶん歴史があるようですね。



鵜戸神宮の絵馬もうさぎ型ですし、お守りもうさぎ関連がたくさんです。
うさ飼いの皆さん、ぜひ鵜戸神宮へお詣りを😍
ちなみにうちのうささん🐰は、鵜戸神宮のご利益か?もう13歳と長寿で元気です‼

下り宮の鵜戸神宮は洞窟の中に本殿があります


さらにすすむと、霊橋「玉橋(たまばし)」があります。
心にやましい考えを持つ人は、この橋を渡ってはいけないし、渡ろうしても目が舞い腹痛をおこすと言われていたそうです。

戦前は、裸足になって渡る習慣があったそうです。
裸足ではなく靴を履いたまま渡った初めての人は、終戦直後の進駐軍の米兵だったそうで、神職の制止を振り切ってまで靴のままで渡ったとか・・・。
戦後に変わってしまった習慣や文化はたくさんありそうですね。


玉橋を渡り終えると、石段を下ります。けっこう急な勾配です。特に雨上がりは滑りやすいので、お気をつけ下さい。歩きやすい靴がいいかもしれません。


少し見にくいですが、写真の左下の朱色の手すりが目立つところが石段になっています。

下り宮の鵜戸神宮
下り宮の鵜戸神宮



鵜戸神宮は、階段のはるか下に社殿があるという珍しい形が特徴で「日本三大下り宮」のひとつです。
ちなみに他の2つは、群馬の「貫前(ぬきさき)神社」と熊本の「草部吉見(くさかべよしみ)神社」です。



石段を下ると左手に天然の洞窟でできた神窟があります。
入り口には鳥居があります。神秘的ですね~。



洞窟の中に入り左回りにすすむとすぐに鵜戸神宮本殿があります。


本殿の造りは「権現造り(八つ棟造り)」で、一般的な神社とは違い、本殿や拝殿が一つの屋根に収まっている造りだそうです。
屋根の部分は、洞窟の天井ギリギリまであり、どうやって造ったのだろうと驚きです。
そしてメンテナンスも大変そう・・・、海の側なのでただでさえ塩対策や湿気対策が大変だと思うし。



鵜戸神宮は長い仏教との関係もあり、その神殿は色彩の鮮やかな朱色、たくさんの絵や彫刻で動物たちが描かれています。

鵜戸神宮では、「御祭神ウガヤフキアエズのお母様・豊玉姫がこの洞窟で出産された。そのとき本来の姿である龍になった」と言い伝えがあります。
本殿の龍の彫刻はとても見ごたえがあります。

二礼二拍手一礼で参拝します。

鵜戸神宮本殿
鵜戸神宮本殿



そのまま左周りにすすむと、ウガヤフキアエズの長男・五瀬命をお祀りする「皇子神社」があります。五瀬命は神武天皇のお兄さんです。
写真の右側にはうさぎの絵馬が😊

洞窟内の皇子神社
洞窟内の皇子神社


そのすぐ側には「九柱(ここのはしら)神社」があり、イザナギが禊をしたときに生まれた九柱の神様が祀られています。

洞窟内には撫でうさぎや、お乳岩が…!


鵜戸神宮の神使である「撫でうさぎ」の像を発見‼
撫でることで「病気平癒・開運飛翔などの願いが叶う」とのことで、参拝者がみな心をこめて撫でていきます。


撫でられすぎて?(湿度や塩の影響で?)白色が剥がれて金色が露出しています。

2年前の写真(下の撫でうさぎの写真)と比べても、微妙に白色が減っているのがわかります。間違え探しみたいですが(笑)
まだら模様がかわいいです😍ぜひ優しくなでてみてください。

撫でうさぎ
撫でうさぎ
2年前の撫でうさぎ
2年前の撫でうさぎ



さらに洞窟を進みます。このあたりは少し暗く足元も濡れていることが多いので、滑らないようにご注意を。


はじめにざっくりご紹介したように、御祭神のウガヤフキアエズのお母様・豊玉姫は、出産後に海の国へ帰ってしまいます。


代わりに養育係として妹の玉依姫を遣わされますが、それでは子供(ウガヤフキアエズ)が不憫だということで、豊玉姫は自分の両乳房を(!!!)残していったという伝説があります。


その乳房から滴り落ちる水で飴を作り、玉依姫がウガヤフキアエズを育てられたそうです(玉依姫、乳母じゃなかったんだ!?)。
その豊玉姫が残した乳房が「お乳岩」として今も残っています。


洞窟には親切なことに、どの岩が「お乳岩」かわかるように矢印で示してくれています。


お乳水で作られたお土産の「おちちあめ」も人気だそうです。
妊婦さんの安産と乳の出がよくなるご利益があるそうですよ。


6月にお詣りしたときは、冷たいおちちあめの水もあり、日差しが暑い日だったので、喉越し良くおいしくいただきました。

おちちあめの水
おちちあめの水

以上で洞窟でのお詣りを終え再び外へ。

人気の運玉にチャレンジ!願いは叶うかな?


洞窟の前の海に面したところでは、波しぶきとともに大小様々な岩が見下ろせます。
その中にひとつ注連縄の目立つ岩があります。亀石です。


「日本書紀」には、ウガヤフキアエズのお母様・豊玉姫が出産のために陸に来た時、大亀に乗ってきたと記されています。
鵜戸神宮では、この乗って来られた大亀が、今の亀石になったという伝説があります。

亀石
亀石

亀石には中央にくぼみがあり、昔はそれに向かってお賽銭を投げて祈願したそうです。
現在は丸くした粘土に「運」という文字をつけて焼いた「運玉」を投げるようになっています。

これには理由があるそうで、昭和29年頃、参拝者の投げたお賽銭を地元の小学生が拾い集めていたことから、教育上よろしくない・・・とのことで、「運玉」に変更されたそうです。

それにしても、波しぶきのすごい場所ですが、ここに降りて拾っていたということでしょうか・・・当時の小学生すごいけど、あぶないなあ。。。

運玉
運玉

運玉の投げ方がルールがあって、男性は左手、女性は右手で願いを込めながら投げ込みます。

亀石の背中に命中すれば良し、くぼみにポチャンと入れば更に良し‼だそうです。

ちなみに私は何回かチャレンジしていますが、一回も入ったことありません(泣)
でも私と同様、全国の運動音痴・ノーコンの皆さんご安心下さい!
幸運にも中に入った運玉は後日に集めてお祓いを受け「幸の玉」というお守りになってお土産として購入できますよ~‼


以上で鵜戸神宮のレポートはお終いです。
最後まで読んでくださりありがとうございました‼

今回紹介した以外にも、鵜戸の周りには、五瀬命をお祀りする皇子神社、波打ち際がすぐそばの波切神社、ウガヤフキアエズの御陵と伝えられる吾平山上陵(あひらのやまのうえのみささぎ)など、古事記ゆかりの場所がたくさんあります。

宮崎らしい青い海と空が本当に美しい場所です。
ぜひ宮崎の鵜戸にいらっしゃってください~😊

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Writer ふじまる

宮崎県在住。ラノベ古事記で古事記ファンになった初心者です。宮崎は古事記ゆかりの地が多いので、魅力を紹介していきたいと思います!

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