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水谷神社 ~神武天皇の兄・五瀬命とお妃様の伝承を訪ねて~

投稿日:2022/06/10 最終編集日:2022/07/15

はじめまして!記紀を始めとする、日本の古代史を勉強中&歴史・神話の登場人物のイラストを描いているげぴこと言います。


小さい頃から神社や歴史・神話に興味はあったのですが、本格的に勉強をし始めたのはここ1年と半年位でしょうか。なのでまだまだ歴史も絵も初心者なのですが…そんな私でも語りたい事がある、皆さんと共有したい事がある!そう思って記事を書こうと思いました。

特に…私が熱を上げている人物は、神武天皇、五瀬命(イツセノミコト)、宇摩志麻遅命(ウマシマヂノミコト)ですね~。

えっ、聞いた事あるけど、どんな事した人だっけ…いや、誰だっけ…そう思われた方!


ぜひともこれから、語らせて下さいね!

まずは私の最推しの五瀬命から…

神武天皇の伝説が残る美々津を訪れて

初代天皇と言えばもちろん神武天皇…。


天照大御神の五世孫。父はウガヤフキアエズ、母は玉依姫。4兄弟の末っ子として誕生しました。


日向の美々津から大船団を率いて東征を開始し、途中幾多の困難に遭いながらも見事大和の地で初代天皇として即位し、私たちの今に繋がる日本を建国した事で知られています。


いわゆる神武東征ですね。

神武東征イメージ
神武東征 兄弟の旅立ち
美々津沖の岩礁・七ツ礁と一ツ神

(神武天皇の船はこの岩礁の間を通って大和に旅立ち、戻って来なかった事から、今でも漁に出る時、ここは通らない風習が残っています。)

立磐神社
美々津の立磐神社

(神武天皇が美々津港より御船出される際に、航海の安全をご祈念され、海上の守護神を奉斎されたと伝わる)


そして古事記では、兄の五瀬命(イツセノミコト)と相談し合って東征に向かう事を決められます。


今回はこの神武天皇の長兄・五瀬命、そしてそのお妃様について語りたいと思います。

神武天皇の兄君・五瀬命

この五瀬命は、大和に入る際にその土地の首長・長髄彦(ナガスネヒコ)の放った矢により痛手を負い、ついには紀伊国(今の和歌山県)の男之水門にて薨去されたと古事記で伝えられています。(日本書紀では紀伊国の竈山でお亡くなりになるとあります)


最期、無念のあまり雄叫びをあげて亡くなられたのはこの方のエピソードの中でもよく知られている逸話ですね。


五瀬命の御墓は宮内庁により「竈山墓」に治定されています。

竈山墓の南麓には五瀬命の神霊を祀る神社・竈山神社が鎮座しています。

竈山神社
竈山神社 鳥居前
竈山神社 拝殿
竈山神社 拝殿前
竈山神社 正面より
菊の御紋が格好良い

つまり、兄弟で協力して東征に出発したものの、志半ばで退場してしまうのです。

弟を残して先に逝ってしまう無念さ…残された弟や建国の事業がさぞかし心残りだったでしょう。

弟は亡くなった兄の意志を引き継いで見事、大和で初代天皇として即位するのですが…。

この一連の神武東征説話は建国神話として非常にドラマチックに構成されたお話だと思います。

悔いを残しながら弟に後を託して死んでいく兄…。頼りがいのある兄を亡くして悲しみにくれる弟。

この方の生涯に色々な背景を想像してしまい、古事記の世界に…古代日本の世界に一気に引き込まれてしまいました。更にこの人物についてもっと知りたいと思う様になりました。

五瀬命とお妃様

そして、調べていく内にある事が気になりました。

五瀬命のお妃様の事があまり知られていないのではないかと…。

私が古事記・日本書紀以外の伝承を調べていく際に、かなり最初の方でこの方にお妃様の伝承がある事は分かっていたので、尚の事疑問に思っていました。

末っ子の神武天皇の、日向にいた頃の妃は吾平津媛、大和で即位した際に正妃としたのは媛蹈鞴五十鈴媛命というのはあまりにも有名ですね。

神武天皇とお后様
末っ子の神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛命

次男の稲飯命は、武位起命(たけいこのみこと)の娘・祥持姫命(さかもつひめのみこと)を妃とし、子に稚草根命(わかかやねのみこと)をもうけます。

大分県の椎根津彦神社では、稲飯命がお妃様と共に祀られています。

稲飯命とお妃様
次男の稲飯命と祥持姫命

三男の三毛入野命は、東征の際に兄弟たちからはぐれてしまい、出発地の高千穂に帰還したという伝承が残っています。その時に高千穂で悪さをしていた鬼八を退治して祖母岳明神が娘の稲穂姫の娘・鵜目姫(うのめひめ)を妃にしています。

高千穂神社では、三毛入野命は妃の鵜目姫、そして2人の間に生まれた8人の子ども達と共に十社大明神として祀られています。

三毛入野命のお妃様
三毛入野命と鵜目姫命

弟達のお妃様や子の伝承は(神武天皇は言わずもがな)比較的知られている様な印象を受けるのに、長兄である五瀬命の配偶神に関しては、語っている人や知っている人が少ない様に思えるのです。


雄叫びをして雄々しく亡くなられた事や、竈山の地で葬られている事は知っていても、お妃様って…いたっけ?いるの?独身?と認識している人の方が、もしかして多いのではないでしょうか?


長男の五瀬命だけが男やもめという印象なのかもしれません…。


そこで、地元の方達によって大切に守られてきたお妃様との伝承を少しでも伝えたいと思います。


前置きが長くなりましたが、このお妃様の伝承を今に伝えている、宮崎県延岡市吉野町に鎮座する「水谷神社」についてお伝えしたいと思います。

水谷神社を訪ねて

水谷神社の御祭神は五瀬命と妃命です。ご夫婦で祀られている古社です。

水谷神社 本殿
水谷神社 境内

通常神社は、本殿と拝殿が別れているのが一般的です。しかしこの水谷神社は、本殿をすっぽり覆うような珍しい形で本殿と拝殿が一緒になっているのが特徴です。

鍵が空いている神社は、中に入って参拝しても良いと伺ったので、失礼して五瀬夫婦にご挨拶してきました。

五瀬命と妃のツーショット
五瀬命と妃命の婚礼

以下、水谷神社由緒より引用

水谷神社

ご祭神:五瀬命・妃命・水神さま(水波能売命)

神武天皇の長兄、五瀬命とそのお妃様を奉斎する古社。

神武天皇(この頃はカムヤマトイワレビコノミコト)がまだ高千穂の宮におられる時に、長兄の五瀬命が最初に妃をめとられて、その新居の地をこの五ヶ瀬川流域に求められました。その途上、この地をいたくお気に召され、東征までの数年間をここで過ごされたと伝えられています。

また、吉野の地名は五瀬命の命名によるもの。五ヶ瀬川の河川名は命の名に因んで「五瀬川(イツセガワ)」と称していたものが後年、「ごかせがわ」と転訛したといいます。

その旧跡を村人が慕い、「五瀬宮(イツセノミヤ)」と尊称して神社を造営します。

中世に、領主の土持氏が同村に別邸を設け、先祖の供養寺(光福寺)を建立した時、社殿を新築し、「御稜威家(みいずや)神社」の社号を奉ります。

御稜威とは、神様の尊さやお力を表す言葉であり、その「みいずや」が「みずや」となったと言います。

また古老曰く、この吉野をはじめ、近隣の三輪・高野などの地名は大和国へ移られた神武天皇御一行が故郷を偲んでかの地に付けられた地名じゃ、と自慢したそうです。

(奈良ではお馴染みの地名・三輪!!出てきましたね)

明治4年の神社改正により、吉野村の2社(水谷神社・坂本稲荷神社)は隣村の天下(あもり)大明神に合祀し吉野神社と改称。ところが特異な現象が続いた為、神威を恐れた村人がご神体を奪還し元のお宮にお納めし、現在に至るそうです。

境内には近年まで吉野公民館があり、久しく地域の中心地であったそうです。

引用終わり

神社に掲示してあった由緒
境内には由緒書きこそなかったが、参拝者に対するお礼の文面が賽銭箱に掲示してあった

江戸時代の「日向国名所歌集」には、延岡藩士で国学者の安藤通故(あんどうみちふる 1833~1898)が詠んだ「可愛(え)の山は霞にきえて打けむる五ツ瀬の川に春雨そふる」とあるのです。この頃はまだ「イツセガワ」と呼ばれていた事が、歌からも分かりますね。

境内に立つ石碑
神社境内に立つ顕彰碑

昭和15年、民間の有志によって結成された延岡聖蹟顕彰会の手によって、上記の由来が記された顕彰碑が建立されています。


水谷神社は五瀬命夫妻の新婚の聖地という事ですね。
仲睦まじいご夫婦の姿が脳裏に浮かび、とても温かな伝承である様に思えました。


水谷神社では、7月5日の夏祭り・12月5日の冬祭りの他に、旧暦の9月11日付近に行われる「お日待ち祭り」があります。地域の人達が秋の実りに感謝し、残り僅かとなった一年の平穏と翌年の五穀豊穣を願い、かがり火を焚きながら一晩を明かすお祭りだそうです。


宮崎県北部では数か所しかない珍しい行事であり、江戸時代に流行した「庚申待ち」という、民間信仰や風俗を下地にして、お上から公認された庶民の娯楽行事が由来と言われています。


しかし、この水谷神社の「お日待ち祭り」は御祭神である五瀬命夫妻や神武天皇一行の帰りを待つ行事が由来となっているそうです。

お日待ち=日の御子の帰りを待つ、という事ですね。


この地に残った村人達の、一行はいずれお帰りになるだろう…早くお帰り下さい…という気持ちが込められているお祭りです。

五瀬命のふるさとに残る異伝

また、より詳しい伝承を知る為に、水谷神社の宮司さんにお話を伺う事にしました。宮司さんの話によると、延岡では記紀とは少し違う言い伝えが残っている事が分かりました。


古事記では神武天皇と兄の五瀬命が2人で相談し合って東征行きを決めます。


また、日本書紀では神武天皇が進んでリーダーシップを取って東征に向かう事を決定し、他の兄弟達もそれに賛成し従うといった描写がなされています。


しかし、宮司さんによると、神社に伝えられている話では、神武天皇の東征行きになんと兄弟達は反対しているのです。そして長兄の五瀬命だけが弟の提案に賛成してくれるという話が残っているそうです。


凄くびっくりですよね。兄弟達が満場一致で賛成した印象のある神武東征の始まりですが…。


五瀬命だけが末っ子の神武天皇の考えに寄り添って賛成してくれたという独自の言い伝えを知って、4兄弟の中でも特別にこの2人には、ある種の一心同体の様な特別な絆があるという共通認識が当時からあったのではないかと感じました。

五瀬命と弟・神武天皇の在りし日のイラスト
五瀬命と弟・神武天皇の日向にいた頃イメージ (狭野命は神武天皇の幼名)

そしていよいよ東征行きが決定し、血縁者、兄弟、村人と多くの人を従えて大船団を組んで出発したらしいのです。そしてお妃様も一緒に。


神武天皇の日向での妃・吾平津媛は付いて行かずに残ったと言われているのに、五瀬命夫婦は揃って旅立たれたそうなのです。


記紀に伝わる伝承とはちょっとだけ流れの異なるお話…それでもこの地域に、そしてこの神社を守る宮司さんの手によって、この事がしっかりと現代に大切に伝えられてきたんだという事に感動しました。

五瀬命の子孫について

因みにこのご夫妻に子どもはいたのかという事も同時に伺ったのですが、子どもについての伝承は残っていない様です。


子どもを作る前に東征に行く事になったらしいですね。


子孫については、最初に紹介した和歌山の竈山神社の方に以前話を伺ったところ、初代天皇のお兄さん(長男)に子どもがいるという事は、皇位継承の観点から非常にナイーブな問題である為、子どもがいたとしても、敢えて伝えないでおこうとしたのでなないか…と言っておられました。

竈山神社にあったパンフレット
竈山神社で手に入れる事ができる由緒書。五瀬命を祀る神社の一つとして、水谷神社の名前も明記されている

末っ子の神武天皇、次男の稲飯命、三男の三毛入野命の子どもの名前は伝わっているのに、長兄の五瀬命だけ子どもの名前や言い伝えが残っていない、また後裔を名乗る氏族が出てこないのも、こういう事情があったのかもしれないと思いました。


尊い血筋の有力者で、大船団を率いる準リーダー的な立ち位置の方に子どもがいないというのも何か不思議な、違和感があるなあと思っていたのですが、当時の人達による配慮や事情があってもおかしくないですね。


記紀には天皇の兄弟について、皇位にからまない限りは詳しい事は触れません。いかに皇位についたかが焦点であり、兄弟が詳しく書かれるのは、皇位継承を阻む様な事をした時だけです。


稲飯命・三毛入野命のそれぞれの異伝も記紀には記載されていません。


五瀬命に至っては、途中で亡くなられた方ですし、お妃様や子の伝承が詳細に広く知れわたっていないのも自然な流れなのかもしれません。

(余談ですが第2代天皇・綏靖天皇の即位を阻もうとした、手研耳命/タギシミミノミコトも子孫の伝承が無いですね。)


それでも大和の地を遠く離れた、故郷である九州の地では、こうして独自の伝承が、神社に携わる方によって、また地域の祭りの中で、今も息づいています。

神話から歴史へ

水谷神社 正面から

神武東征は神の時代と人の時代のちょうど境目にあたります。神話が終わって人の世になろうとしている時です。なので、神がかりめいた逸話が沢山出てきます。現実的ではない…この人物は実在しない…など色々意見がありますよね。


しかし、実際はどうであったかなど、実は誰にも分かりません。


それよりも、記紀や神社の伝承という物が、先人達が今まで大切に伝えてきてくれた、今も語り継がれている事が重要なんだと思います。


気が遠くなる様な遥か昔…神と人との堺がまだ曖昧であった時代の方達ですが、こうして神社を参拝したり記紀を始めとする歴史書を読んだりして、当時の人達の息遣いに触れる事が出来ます。


今回この記事を書くにあたりまして、貴重な神社の言い伝えを教えて下さり、取材に協力して頂きました水谷神社の宮司様には、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

五瀬命とお妃様 ツーショット
五ヶ瀬川の流れと、鮎を背景に。妃命の頭の飾りは、延岡市の花・カンナです
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Writer げぴこ@らくがき日本の歴史

古事記や日本書紀、神社の伝承を調べたりするのと、絵を描くのが好きなアラサー女子です。神武天皇と五瀬命が控えめに言って大好き。宇摩志麻遅命も好き。

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