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絵描き目線で高松塚古墳壁画の「飛鳥美人」服装考察

投稿日:2022/09/08 最終編集日:2022/09/06

こんにちは、シロガネロックです。
今回も古代の装束のお話ですが、服飾の専門でもないので絵を描く者目線で、時代的にも古事記編纂開始の時期ドンピシャなあの有名な高松塚古墳の人物絵を見ていきます。

高松塚古墳とは

飛鳥の古墳の中でも超有名な高松塚古墳は、飛鳥時代の終末期古墳です。
1972年に日本で最初に壁画が見つかった古墳で、極彩色の人物像が特に有名かと思います。

高松塚古墳西壁女子群像https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Takamat1.jpg
高松塚古墳東壁男子群像

特に女子群像図はこの時代の代表のような人物画で「飛鳥美人」として多くの場で目にすることがあるものですね。むしろ男子も居ることを知らない人もいるのではというぐらい女子のイメージ。実際女子も男子も顔の描き方ほぼ同じなので男子も美人になると思うんですけど??

高松塚古墳壁画に見える服装

そんな女子と男子がそれぞれ着ている服装、天武天皇11年の服制のものを描いてるとされており、『日本書紀』などに見える服制の記述とも整合性があります。

天武天皇十一年三月辛酉、詔曰「親王以下百寮諸人、自今已後、位冠及褶脛裳、莫着。亦、膳夫・采女等之手繦・肩巾肩巾此云比例並莫服。

天武天皇十一年三月二十八日 詔して、「親王以下百寮の諸人は、今後、位冠及び襅(前裳)・褶(ひらおび)・脛裳(はばきも)を着用してはならぬ。また膳夫や采女たちの手繦(たすき)・肩巾(ひれ)も着用してはいけない」といわれた。

六月丁卯、男夫始結髮、仍着漆紗冠。

六月六日 男は始めて髪結げをした。そして漆紗冠(うるしのうすはたのこうぶり)を着用した。

『日本書紀』(現代語訳は講談社学術文庫より)

このスタイル、期間としてはそう長くなさそうですが、奈良時代の初期、つまり丁度古事記完成の時期辺りまではどうやらこのような服なのでは?と思われるのですが…それについても段階的に服装の規定はちょくちょく変わっていってるのでわかりません。

大体において、ガラリと変わるというより段階的に変化していくことが多いと思うのです。この時代の服装を描いたものがこの高松塚古墳壁画だけで、変遷上の点でしかない上に、描き手のバイアスがかかってないとも言えません。(絵描きあるある)

高松塚スタイルで描いてみた。

割と重要な時期の装束ですが、これが実際忠実に絵に描いてみると…あまり締まらないな~~~という感想に至るのです。(※私個人の印象ですすみません)
改めて女子・男子をそれなりに元の高松塚古墳壁画に近づけて描いたのがこちらです。

高松塚古墳壁画の服装(女子・男子)

モデルはこの当時の服を着用していたであろう藤原不比等と奥さん暫定蘇我娼子(あまり重要ではない情報)。
部分的にはどうしても自分の癖で細部が違ってる気がしますがその辺りはご容赦願いたい。

装束としての印象

女子は西壁の先頭の人物で最もよく見るスタイルで描いてみました。ヒラヒラついてて色も多いしかわいい。(このヒラヒラは装飾なのか下衣が見えてるかは不明)
究極のAライン。ただし腰の紐の位置低くいし単に腰(よりは低い)に回してるだけでこれ要る???ってなります。となるとこれはほぼ装飾的なポイントなのかも。手癖で描くと普通に腰の位置でくびれを作ってしまいそうです。

男子は前時代の古墳時代からも随分変わってかなりシンプル。後の奈良時代の唐風スタイルともぱっと見はあまり変わらないような印象を受けます。(左前の垂領→右前の盤領になったのはすごくデカいと思いますが)
まあしかし後々服装が乱れているよ~と何度も正されるように、装飾的な要素を取り入れたくなるのもわかるかな…と思ったり思わなかったり。

そして男女共に古墳時代のようなアクセサリー類が全然ない。女性は領巾もない。しかしここで男性の冠(漆紗冠)の後ろのみんな大好きヒラヒラがついたようです。
装飾品や持ち物などの絵的にめんどくさいものがこの壁画ではあんまり無いな…と思いました。
男子はあえて白色の服で描いてみましたが、複数の服色の違う人物が居てこその絵だなとも実感します。

結局この二次元の絵のみが参考なので細部は実際どうなってるか分かりにくい部分もあって結構資料としては頼りなさもあるのも事実。

装束の歴史の中での高松塚古墳

ここまででおまえこの高松塚装束好きじゃないんか??という印象を受けられたかもしれませんが、この時代の貴重な装束資料なので調べて描くのは楽しいし、好きな人物に着せて描くのは更に楽しいです。
何よりこの古墳の壁画の人物像がそれまで空白だった装束の歴史に新たな1ページを刻んだ画期的発見だったのは間違いありません
人物を描いたり造型した遺物が少ないこの時代に貴重な当時の風俗の見える壁画遺してくれてありがとうございますという気持ちになります。
(描いた人も墓の主もこんなおおっぴらになることは想定してなかったと思いますが)

問題は絵としてちょっと映えんな…という印象を受けることがあることでして…自分のような頭身高めの絵になると実感するんですよ…

高松塚古墳壁画スタイルの男子像(モデル粟田真人)

頭身が高い絵で描くと布の面積のバランスなどが難しいと思いました。
技術の問題でもあるので仕方ない。

高松塚古墳壁画から見えること

この頃は後の時代に比べると男女の性差が少ない装束のようにも感じられますが、ついでにジェンダーな話題に触れておきます。

この古墳壁画、中国でも唐代の墓などに人物像がたくさん見られその影響が感じられますが、唐墓の壁画では男子像は入口付近のみ

墓室の奥は女子と宦官のみだそうで、高松塚古墳では男女像が同室に揃っていることが、日本には宦官が居なかったということの傍証になるという話が面白かったので紹介しておきます。

おわりに。

それなりに忠実に描いてみて思ったことは、シンプルな装束は逆に難しいこともありますねということです。本などで見る復原装束が案外壁画とは違うものだったりもしてることに気付きました。でもこれだとポイントポイントで布足したくなるよね~わかる~!!(ってなる)
今回は余裕がなくて至らずでしたがいつか自分の絵で壁画に見える全員分を描いてみたいと思ってます。

今では高松塚古墳も整備され、剥がされた壁画も修復され現物が目にできる時代となりましたので飛鳥へお越しの際、公開のタイミングが合いましたら是非見に行かれてみてください。

参考文献

『飛鳥史跡事典』木下正史 吉川弘文館
『全現代語訳日本書紀』宇治谷孟 講談社学術文庫
『日本服飾史 男性編』井筒雅風 光村推古書院
『高松塚古墳の新研究』飛鳥資料館

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Writer シロガネロック

奈良時代を中心に日本古代史、同時期の中国史などを趣味で追いかけています。興味対象を狭く深く。推しを贔屓する歴史創作なども。

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