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ゆかりの地巡り
投稿日:2022/06/30 最終編集日:2022/07/09
以前書いた記事では神武天皇の兄・五瀬命(イツセノミコト)とそのお妃様について語らせて頂きました。
▼もくじ
https://kojiki.co/fun/article/mizuyajinnjya-itsusenomikoto/?preview=true
今回も引き続き五瀬命の宮崎に残る伝承についてお伝えしたいと思います!
どんな伝承かって?タイトルにもある通り、五瀬命と五大水神についてです!
この方が神武天皇の兄って事は結構知られてる…はず…。
前回記事を読んで下さった方なら、命にお妃様がいたって言うのも覚えて下さったはず…。でも、五大水神!?何それ、聞いた事無い…っていう方も多いのではないでしょうか?
今から紹介する五大水神に関する五か所の史跡は、とってもコアなものでして、おそらくネット上で五か所まとめて全部漏れなく写真を公開するのは、初めてでは!?とちょっと自信を持っている次第です。(実は私のTwitterで先に公開しちゃったんですが)
なので、人が沢山訪れる様な有名な所だったり、必ずしも立派な社殿を構えている場所ではないのですが、良かったらこの希少な史跡を紹介させて下さい!!
(もし他に五か所紹介されてる方がいらしゃったら申し訳ありません…)
それでは、がんばって京都府北部から宮崎まで行ってきました!
良かったら読んで頂けたら幸いです。
命の名前の由来?五ヶ瀬川とは
五ヶ瀬川は、宮崎県北部を流れる五ヶ瀬川水系の本流で、宮崎県と熊本県境にある向坂山を水源とする一級河川です。多くの貴重な動植物が生息しており、高千穂峡をはじめとして、自然景観にも優れた河川です。
また、秋の五ヶ瀬川では、やな場で鮎を焼く香ばしい香りが、環境省の「日本のかおり風景100選」にも選ばれています。
そして大規模なやなを架設して鮎料理を食べる風景は、五ヶ瀬川独自の風物詩となっているんだそうです。一回その時期にぜひ訪れてみたいものです…。
この五ヶ瀬川は、五瀬命の命名とも、また命の名前に因んで付けられたとも言われています。
五ヶ瀬川水系を守護する五柱の水神様
この五ヶ瀬水系には数多くの水神が祀られており、私が現地に行った時も川沿いを中心に頻繁に石造りの小さな祠を見つけました。石造りが多いのは水害に耐える為でしょうか。
その中でも有名なのは、五瀬命が五ヶ瀬川の各要所に、自分の臣下を派遣したと伝わる“五大水神”です。
古くは山の尾根筋や川筋が重要な交通路になっていて、五大水神は豊後の国(大分県)や肥後の国(熊本)から侵入する暴動を起こす民から、五瀬命の一団を守護する任務を担っていたと伝えられています。また、命の臣下の重責を後世に伝えるためといった説もあるそうです。
太古、国防の第一線に任ぜられた命たちを祀った社という認識で良いですかね。東征に向かう前から軍事を司る命の一面が垣間見える気がしてワクワクしますね。
また、水神を祀ったのか、それとも五瀬命の臣下の功績が後に水神伝説に結びついたのか…色々想像が膨らむ所ですね。
どちらにせよ、五ヶ瀬川=五瀬命といった認識が宮崎にある!という事が嬉しいです。
この五大水神の内、2つはネットを検索したら簡単にヒットするのですが、残りの3つの場所が出て来なかったので、長らく伝承のみの存在なのかと思っていたのですが…。
水谷神社(イツセ夫妻を祀る神社)の宮司さんの話によると、5つ全部存在すると言うではありませんか。宮司さん曰く、命は日向を離れる際、五ヶ瀬川の治水の件が気がかりだったらしいのです。
流石イツセ兄さんの故郷・宮崎県!地元ならではの言い伝えが今も生きていますね。
川詰神太郎
まず五ヶ瀬川の東方を流れる日之影川に鎮座する水神様を紹介します。
その名も川詰神太郎。
宮崎県西臼杵郡日之影町にあるその祠は、五大水神の中でも霊験あらたかな事で知られています。
由緒書きによると、この水神社は武勇の神様としても知られ、氏子さんが日清日露から大東亜の各戦役に出征して1人の戦没者も出さなかったのも、この神太郎水神の御加護があったからだと言われています。
安全祈願から縁結び、雨乞い、山火事の鎮火祈願までとなんでもござれの非常に万能な水神様らしいのです。また、この水神淵の水を使うと文字が上手になり、遠くからの参拝者も多い事で有名だそうです。
因みにこの五大水神は兄弟で、神太郎は長男だそうです。
名前が凄く近代っぽさがありますよね。由緒書きにも書いてありますが、はじめ国津神何々の命かが任命されていたとも思われるが詳らかではない、と記してありますね。きっともっと古代人的な名前だったんでしょうけど、時代と共に散逸してしまって今の名前で呼ばれる様になったという事でしょうか…。
御橋久太郎
次は中央守護の為に配置された、五ヶ瀬川本流の三田井・高千穂峡に鎮座する御橋久太郎水神です。
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井御塩井にある久太郎水神社。
有名な観光地・高千穂峡にあり、真名井の滝の横の御橋の近くの小さな鳥居が目印です。
ちょこんと鎮座している祠がとっても可愛らしいですね。壮大な作りの神社も大好きですが、こうやって控えめに佇む祠も趣深いものです。
ここの水神は観光地にあるという事もあり、ある意味1番知られているのでは?と個人的に思います。
以上紹介した2つは検索ですぐヒットした水神様です。
これから紹介する残りの3つは、地元の観光協会の方に電話で教えて頂いて、現地に行ってやっと探しあてた水神様です。
雑賀小路安長
次は五ヶ瀬川の西方を流れる三ヶ所川に鎮座する水神様、賀小路安長水神です。
場所は宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町三ヶ所廻淵。
川の中にこんもりとした中州があって、その中に祠と看板があると言われて現地に行ってみたのですが、やはり事前に聞いていた電話での説明だけでは辿り着けなく、近くの民家の方に尋ねてみました。
すると、たまたま安長の水神の祭祀を管理されているお家で、色々話を聞きながら案内して頂きました!その節はありがとうございました。
中州に行くまでに川を渡って行かなければならないのですが、この日は水が引いておらず、川に腰まで浸かりながら渡りました。
頑張って腰までずぶ濡れになりながらも辿り着きましたよ!
着替えがあって良かった…。
イツセ兄さん、もう少し行きやすい所に祀って欲しいものです。
綱瀬弥十郎
どんどん行きましょう。五ヶ瀬川南方を流れる七折川(綱ノ瀬川)に鎮座する水神様、綱瀬弥十郎です。
川沿いに上流に向かって舗装もされていない道をひたすら歩いて行くと…凄く見逃しがちな所に、それはありました。
土手の下に、石造りの祠の上部が見えるではありませんか。
土手を気をつけて降りて参拝しました。
観光協会の方曰く、ここ2年位で再発見された水神様らしいのです。それまで行方が分からなくなっていたんですね。祭祀が途絶えてしまうとそういう事も十分可能性があるのでしょうね。大きい神社とかならともかく、由緒も調べてみなければ分からない規模の小さい祠なら、今この時も、人知れず所在が埋もれて行っているのかもしれません…。
よく見てみたら、お手水・階段の痕跡や常夜灯の礎石がありました。
かつては祭祀が確実に行われていた事が分かりますね。いつから祭祀が途絶えてしまったのでしょうか。
漣三郎
最後の水神様です。北方に流れる田原川に鎮座する漣(さざなみ)三郎です。
車で移動していると、これまた見逃しがちな所に鳥居が立っています。ここで車を停めて後は林を歩いて祠を探します。
今度も小さい石造りの祠かと思いきや、中々立派な造りの社が立っているではありませんか。掃除用具なども設置してあったりして、ここは定期的に氏子さん達が参拝に訪れたりしているのでしょうか?
以上、五大水神の祠を5つ全て参拝してきました。ネットに載っている所以外は、辿り着けないろうな…と思っていたのですが、諦めないで宮崎まで来て良かったです。
五瀬命に関する伝承の中でも、ひと際珍しい貴重な、次世代に繋いでいきたい史跡の数々でした。
水神伝説について
以下、みやざきの神話と伝承 五ヶ瀬川水系の守護神 著者 山口保明 より一部引用
一帯はかつて地下資源の宝庫で、日之影川上流に大吹鉱山、三ケ所川沿いに廻渕鉱山、綱ノ瀬川沿いに槙峰鉱山、また田原川沿いにも金、銀鉱山があった。樋口種実の「高千穂庄神跡明細記」の神橋の条に「三田井村より向山に渡る水中・・・諸神住みて鉄気を忌む」(高千穂峡)とあり、五大水神はあるいは鉱山とかかわりがあるのかもしれない。
ひとたび川が暴れると、周辺集落に大きな被害を及ぼした。五大水神の配置は〈五行説〉によっており、五行説の根本思想に自然の運行の順調な推移を願うことがある。おそらく〈川鎮(しず)め〉に祭ったのであろう。一般にカッパをカワタロ、ヒョースボなどと称するが、一説によれば、人名を持つ五大水神はカッパの化身ともいう。
一説によると五大水神はカッパの化身だという事なのですが、神話に近い時代に合わせて、水龍をあしらった古代人風の男神にデザインしちゃいました!因みに水龍のデザインは明治維新後に造られた旧20円金貨を参考にして描きました。
この水神達が、神武天皇と五瀬命が東征に向かった後もずっと、五ヶ瀬川を守ってきたと考えたら感慨深いです。
五ヶ瀬川と五瀬命
この水神伝説を追っていく過程で私が思った事は、五瀬命はこの五ヶ瀬川にとても深い関わりがあった方だったんだろうなと言う事です。
古事記では、神武天皇と高千穂宮で話し合ってもっと政治がやりやすい東の方へ行こうと相談して東征が始まります。
兄弟仲良く協力して政治を行われていた…と言った雰囲気が伝わってきて、神武東征の最初の部分は、個人的には日本書紀より古事記の表現の方が好きですね。
ただ、この古事記から伝わって来るイメージとはまた雰囲気の違った、五ヶ瀬川一帯を支配しておられた有力者…と言った感じがするのです。
五瀬命は祭祀を司る人?それとも軍神?そしてやっぱり独身だった?
前回UPした記事では、五瀬命には子孫はいないが妃がおられたという伝承を紹介しました。
そこで今回は、五大水神の伝承と絡めて、五瀬命にはなぜ子孫がいないのか、という事を再度、私なりに考察したいと思います。
私は基本考察はなるべくしない様にしているつもりなのですが(下手したらトンデモ古代史になってしまいます)この方だけは特別な思い入れがあるので、敢えてやらせて頂きます。
と言うか、どうして五瀬命の子孫の有無に拘るの?と思う方も多いでしょう…。
やはり、最推しの人物には、幸せな家庭を築いていたんだよ…と言う伝承が欲しいんですよ!!お妃様の伝承がしっかりと残っているのに、それが知られずにいるのがとっても歯がゆいんです…。
五瀬命のお相手は水谷神社の御祭神のお妃様です!!…と熱くなってしまいました。失礼しました。
よく言われる事に、弟の神武天皇は政治を担当、兄の五瀬命は祭祀を担当していたという内容です。確かに、例えば古事記では、長髄彦の軍に抵抗を受けた際「日に向かって戦うのは良くない。自分たちは日の御子なのだから、遠回りをして日を背に負って敵を討とう」と、神意を告げる様な役割を担っています。
また、有名な詩人・評論家の吉本隆明さんも、五瀬命は祭祀を司っていたから、独身で子がいないという考察をしておられます。
以下、わが歴史論──柳田国男と日本人をめぐってより一部引用
兄が神事を司って、弟がまつりごとを司る、兄が生涯、現人神ということで、生涯、神事だけを司って、結婚することも、なにもしないわけです。つまり、精進潔斎して、もっぱら神事だけを司るっていう、そういうやりかたですけど、ですから、兄の子孫っていうのは残らないで、天皇家の子孫っていうのは残るけど、現人神である兄の子孫っていうのは残らないようになっている。そういう制度であったわけです。
今回の五大水神の伝説も祭祀の伝承ですよね。
確かに一理あるなあと思ったのですが、いやちょっと待って下さい。
弟が政治を司り、兄が祭祀を司っている例なら、第二代天皇・綏靖天皇のお兄さんの神八井耳命がいるではありませんか。この方は祭祀を司りつつも、しっかりと子孫を残しておられます。祭祀をする方全員が結婚せずずっと独身で子孫を残さないというのは、些か判断が早いのではないでしょうか?
また五瀬命が流れ矢に当たって亡くなられたと言う説話も、いかにも祭祀者と言うよりも軍神のイメージが色濃く残る印象がします。
また、五大水神の伝承を追っていく内に、五瀬命がこの五ヶ瀬川水系一帯に非常に大きい力を持っていた支配者的なイメージを抱きました。
自分で現地に行って、一つ一つの社へ足を運んで行って思った素直な感想です(あくまで私個人の印象ですが)
そこでふと考えました。
そう言えば、神武天皇が日向で娶った吾平津姫との子ども、手研耳命(タギシミミノミコト)と岐須美美命(キスミミノミコト)にも結婚や妃、子孫の伝承がないなと…。
古事記での記述では、タギシミミは神武天皇の崩御後、自分の継母にあたる媛蹈鞴五十鈴媛皇后と結婚しています。
しかし、それは神武天皇の崩御後なので、タギシミミも結構なお年になってからの事。それまでに妃を娶ろうとは思わなかったのでしょうか?
また、吾平津姫と共に日向に残ったキスミミに関しては、宮崎県日南市の吾田神社(御祭神はタギシミミ)に残る伝承では、民と共に耕作に従事したとあります。(諸説あり)
この方の子孫の記述も残っていない様です。
五瀬命、タギシミミ、キスミミの共通点…。
全員が日向で生を受けた方達と言う事です。ここからはちょっと大胆な仮説を述べます。
綏靖天皇が次の天皇に即位する事ができたのも、母親の血統(父は三輪の大物主様又は事代主様)によるものが大きいでしょう。
ここからは素人の勝手な憶測ですが、もし五瀬命やタギシミミに子どもがいたとしても、大和の人達から見たら、ちょっと目の上のたんこぶ的な存在ではなかろうかと…。
初代天皇として即位された神武天皇、そして大和の偉大な神様の御子である五十鈴媛との間に生まれた綏靖天皇。日向と大和の血統の天皇が誕生した傍ら、特に討たれたタギシミミの子どもや亡き五瀬命の子どもがいたら、さぞかし色々後継者問題とか、非常にナイーブな事に当時はなったのではないでしょうか。
なので、前回の記事でも書いた通り、敢えて子孫の存在を伝えないでおこうとしたのではないかと…。これも語り部の人達の配慮の一環でしょう。
という事を考えていた次第であります。
まとめ
五大水神から五瀬命の後裔の事まで話が広がってしまいました。
何が言いたいかと言うと、五大水神の伝承から私が感じた事は、五瀬命は五ヶ瀬川一帯にとても深い関りがあった有力者で、祭祀者としての役割だけではない一面が感じられるいう事です。
なので祭祀を司る人だから独身なんだ…という説には素人目線ながら異を唱えたいな…と。って言うか祭祀をする人にも子孫はいますよと…。
えらそうな事言ってすみません。
また、水神様の社を参拝して感じた事は、有名な神社や由緒がはっきりしている神社ならともかく、小さい祠などは油断していたら祭祀が途絶えて散逸してしまうのでは無いかという事です。
特に4つ目に紹介した綱瀬弥十郎水神の祠は、もう少しでその存在が散逸してしまう所でしたよね。
いや、むしろ五大水神の社は伝承がしっかりと残っている方ですよね。日本には誰もが知る大きい著名な神社から、野に佇む小さい祠まで、沢山の神様で溢れています。出来る限り、すべての神様の社に、どんな神様が祀られているか、どんな謂れがあるのか…分かる内に次世代に繋いでいけたら良いのになと感じます。
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