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欠史八代天皇名鑑

投稿日:2023/01/11 最終編集日:2023/01/11

2からのスタート

欠史八代project、通称けっぱちの守山ダダマです。

以前、欠史八代って何なの?ってことで基本的な説明をこちらの記事(https://kojiki.co/fun/article/k8intro/) に書きましたが、今回はこの欠史八代と呼ばれる8人の天皇1人1人について改めて紹介したいと思います。いつも8人ひとまとめで語られるのもかわいそうだし、1人1人違いがあるんだぞってことも知ってもらいたいので。 …いや、それでもまあ情報少ないんですけどね。

また、我々欠史八代projectの創作における8人それぞれのキャラ設定も紹介します。

では2代天皇から。けっぱちではいつも「2から始まる」のが通常で、ここがポイントです。0でも1でもない。もうある程度出来上がってるものを引き継ぐ、そしてそれをより形を整えて次に繋げていく。これもけっこう大変なことだと思うんです。神武さんが建国した日本を、欠史八代はどうやって引き継ぎ、守っていったのか。とても大事な部分じゃないでしょうか? 「歴史が欠けてる」で割り切れるところじゃないはずです。…あ、すみません前置き長くなっちゃいました。

※以下、各天皇のデータについて

名前は古事記での表記を、それ以外は日本書紀に記載されたものを表示します。

第2代 綏靖天皇

綏靖天皇(すいぜいてんのう)

【名】神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)

【皇居】葛城高丘宮(かずらぎのたかおかのみや=奈良県御所市)

【在位期間】33年

【享年】84歳

【御陵】桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ=奈良県橿原市)

ポスト神武の資質

綏靖天皇は神武天皇の第三皇子です。神武さんの子ということもあり、(欠史八代の中では)エピソード多い方です。と言っても即位前のお話ですけどね。

記紀好きの中でよく知られている話と言えば、「タギシミミの反逆」。父の死後、異母兄のタギシミミ(多芸志美美)から、同母兄のカムヤイミミ(神八井耳)ともども命を狙われるも母の歌からこれを察知して逆にタギシミミを襲撃。ビビったカムヤイミミに代わってタギシミミを殺害。ここで神武さんの次の天皇はカムヤイミミが継ぐべきところを、「お前の方が勇気あるし天皇似合ってるわ。俺は祭祀をやるから」ってことで譲られてカムヌナカワミミが第2代天皇となったのです。

後世に付けられた「綏靖」という諡(おくりな)。綏って漢字はなかなか見ない字ですが、「安んずる」という意味です。平穏に世を治めた天皇というニュアンスなのでしょう。

人を食べていた?

しかしこの綏靖さん、「人を食べていた」という伝承があります。南北朝時代の書『神道集』によれば、綏靖さんは朝夕に7人もの人間を食べて周囲を恐れさせたため、人々は「近く火の雨が降る」という虚言を流して綏靖さんを岩屋に入れさせ、そのまま一生出られないようにした…との事。

まあいろいろツッコミどころはありますね。そもそも何で食人?という疑問。諸説あるようですが、古語で「食す(おす)」という言葉があり、これには「統治なさる、お治めになる」という意味もあるので、この言葉が誤解されてeatの食になっちゃったという説が面白いです。

欠史八代projectの綏靖天皇

欠史八代projectの創作では8人の天皇それぞれに特定の動物の属性を付けたキャラ設定にしています。綏靖天皇は〈鮫〉属性です。

お父さんの神武さんがサメの子であること。(詳しくはお調べ下さい) 自衛のためとはいえ異母兄タギシミミを躊躇いなく殺せてしまう勇猛→獰猛さ。そして食人伝説。以上からサメが相応しいとなりました。綏靖と呼ばれるほどの統治能力と温厚さを持つ裏に隠れた凶暴性、その己の二面性に葛藤しながら国を守り抜く二代目の物語を現在制作中です。はい、古事記にも日本書紀にも書かれていない完全な創作です。

第3代 安寧天皇

安寧天皇(あんねいてんのう)

【名】師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと)

【皇居】片塩浮孔宮(かたしおのうきあなのみや=奈良県大和高田市)

【在位期間】38年

【享年】57歳

【御陵】畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ=奈良県橿原市)

三代目と師木県主

三代目です。「売り家と唐様で書く三代目」なんてことわざがあり一代で築いた財産も3代までは持たないなんて言われますね。他方、三代目の人物には歴史上でも鎌倉幕府3代執権北条泰時、室町幕府3代将軍足利義満、江戸幕府3代将軍徳川家光とか優秀な指導者が多いイメージもあります。では彼らよりずっと前の時代の三代目の安寧天皇はどんな人だったのか?

いや、この安寧さん、ほんっっとに事績らしい記録がありません。伝承もなし…(探せばあるかも!) 欠史八代の中でも何したかわかんない人のベスト8いやベスト3に入るかもしれません。安寧という諡も、もうまんまな感じがして、まあ綏靖さんと同じようなニュアンスで穏やかな治世だったのでしょう。

ただ安寧さんで気になるのは系譜、家族関係であります。ここは後々の時代にも大きな意味を持つかもしれません。

安寧天皇は綏靖天皇の子ですが兄弟はいません。そしてお母さんはカワマタビメ(河俣毘売)、現在の奈良県磯城地方を支配していた師木県主・オトシキ(弟師木)の娘です。オトシキは神武東征で出てきましたね。日本書紀ではクロハヤ(黒速)と呼ばれます。安寧天皇は彼の家で生まれ、その時朝日が輝いたことから日の出を意味する「玉手」が名前になったとも。そして安寧天皇の皇后アクトヒメ(阿久斗比売)はカワマタビメのお兄さんの子、こちらも師木県主の娘とされます。この後の天皇たちも師木県主から皇后を迎えており、天皇家と師木県主家の密接な関係がうかがえます。後の藤原家みたいな?

神々との濃い血縁

しかし日本書紀では異なる系譜が伝えられます。まず安寧天皇のお母さんはイスズヨリヒメ(五十鈴依媛)。あの神武天皇の皇后ヒメダタライスズヨリヒメ(姫蹈鞴五十鈴依媛)の妹で、お父さんはコトシロヌシ(事代主神)! そして安寧天皇の皇后はヌナソコナカツヒメ(渟名底仲媛)、そのお父さんは鴨王とも呼ばれるアマノヒガタクシヒガタ(天日方奇日方命)、こちらはコトシロヌシもしくはオオモノヌシ(大物主神)の子! 人間の時代に入ってもまだ神様のDNAが濃く残っていることになりますね。※日本書紀は本文以外にも「一書に曰く」という異説が併記されてありそこでもまた安寧天皇の家族関係が微妙に異なるのですがややこしいので割愛します。

欠史八代projectの安寧天皇

安寧天皇は〈蛇〉属性。もともとは綏靖天皇がサメ=魚類なのでその次は爬虫類…という発想でしたが進化論的にはその前に両生類が入りますね…。この先はもう進化論関係なくなりますカッコ笑い。ただ皇后がヘビの姿をしたオオモノヌシの血を引いていて、ヘビ同士だから相性が良かったのかも鴨王、なんて想像も働きました。

第4代 懿徳天皇

懿徳天皇(いとくてんのう)

【名】大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと)

【皇居】軽曲峡宮(かるのまがりおのみや=奈良県橿原市)

【在位期間】34年

【享年】77歳

【御陵】畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ=奈良県橿原市)

イトクだよ!農業の神?

歴代天皇で最も難しい漢字で最も読みにくいと思われる諡を持つ天皇です。懿徳の懿は三国志の司馬懿仲達で知られてますかね。本名の「鉏」の漢字もまず見かけない字です。

そんなわかりにくい懿徳さんもご多分に漏れず事績がありません。特筆すべきことは古事記と日本書紀で年齢がだいぶ違うということでしょうか。(古事記では享年45歳)

ただ、欠史八代についての諸説の中で興味深いのは名前に含まれる「鉏」(すき)が農具の鋤のことであり、鋤の神様を擬人化し天皇として系譜に入れたのではないかという説です。

スサノオと会った?

事績がないと言いましたが、懿徳天皇には貴重な伝承があります。中世の書『古今和歌集序聞書三流抄』には懿徳天皇が出雲に行幸して、何とスサノオに会ったという記述があるそうです。何でスサノオと? とても気になりますが、この『古今和歌集序聞書三流抄』、どうにか入手して実際の文章を読んでみたいのですが手がかりがありません…。

欠史八代projectの懿徳天皇

鋤の神様かもしれない懿徳天皇ということで鋤と言えば田んぼ、田んぼと言えばカエルというわけで〈蛙〉属性としました。偶然知ったのですがスキアシガエル(鋤足蛙)という種類もいるようです。農業に密着した王様として描き、スサノオとも絡めて物語にする予定です。

第5代 孝昭天皇

孝昭天皇(こうしょうてんのう)

【名】御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしねのみこと)

【皇居】掖上池心宮(わきのかみのいけごころのみや=奈良県御所市)

【在位期間】83年

【享年】113歳

【御陵】掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ=奈良県御所市)

尾張氏とのつながり

御陵の場所が、神武さんから懿徳さんまでの4代とは離れています。孝昭さんの代で何らかの大きな変化があったのかもしれません。そしてこの孝昭さんで注目すべきなのはまず皇后のヨソタモトビメ(余曽多本毘売)。日本書紀ではヨソタラシヒメ(世襲足媛)と呼ばれますが、この姫のお兄さんのオキツヨソ(奥津余曽命)は尾張氏の祖。現在の名古屋周辺を支配した豪族で、この後長きにわたって天皇家と密接な関わりを持っていきます。

小野さん

そして孝昭天皇もう一つの注目ポイントはその子孫。孝昭さんには二人の皇子がいて、天皇は第二皇子が継ぎますが、第一皇子のアメオシタラシヒコ(天押帯日子命)が重要。この人は春日臣・大宅臣・粟田臣・小野臣・柿本臣…などなどたっくさんの氏族の祖とされています。小野臣は小野氏であり、つまり小野妹子、小野篁、小野小町などは孝昭天皇そしてアメオシタラシヒコの子孫というわけです。また柿本臣からは柿本人麻呂が出ていると云われます。

以前の記事でも触れましたが、欠史八代で重要なのは、後の世で大きな力を持つ有名な氏族のルーツに当たることが多いということです。

欠史八代projectの孝昭天皇

我々が創作する孝昭天皇は〈狼〉属性です。神話にオオカミは欠かせないというキャラデザ担当者の意見によるもの。あと、ここには載せられませんがネット上でよく見かける孝昭天皇のご尊影が、ケモ耳っぽいのです…是非探してみてください。そのご尊影もヒントにしての、オオカミオオキミです。

第6代 孝安天皇

孝安天皇(こうあんてんのう)

【名】大倭帯日子国押人命(おおやまとたらしひこくにおしひとのみこと)

【皇居】室秋津島宮(むろのあきつしまのみや=奈良県御所市)

【在位期間】102年

【享年】137歳

【御陵】玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ=奈良県御所市)

在位102年!

先代の孝昭天皇から在位期間が長くなってますが、こちら孝安天皇は何と102年! そして137歳(古事記では123歳)まで生きた、欠史八代では最も長寿だった人となります。「国押人」という名前から、国造りの神様をモデルにした架空の天皇という説もあります。そして皇居の名前「秋津島」といえば、日本の別名として知られていますね。神武さんが山の上から国を見下ろして「蜻蛉(あきず=トンボ)が交尾をしているような形だ」と言ったとか…。その秋津島というのが、実は孝安さんの都があった現在の奈良県葛城地方のことを指していたのではないかといわれています。

オシヒトとオシヒメ

皇后のオシカヒメ(忍鹿比売)はオシヒメ(押媛)とも呼ばれ、孝安さんの本名オシヒトと似てるのも気になりますが、この姫は孝安天皇のお兄さん、そう先述の小野氏などの祖であるアメオシタラシヒコさんの娘。つまり孝安さんにとっては姪っ子でもあるわけです。おじさんと姪っ子の婚姻と言えば、この後に天武天皇と持統天皇の例もありますね。

欠史八代projectの孝安天皇

我々の創作における孝安さんの属性は〈鶴〉。長生きしたということでツルにしました。また、古事記にも日本書紀にも全く関係ないですが女性的な、「男の娘」という設定にしました。皇后のオシヒメと対を成すようなオシヒトという名前もヒントになりますが、欠史八代は8人もいれば色んな人間がいたのではないかということで、多様性を象徴する存在にもしたいと思いました。長く平和に国を治めた温厚な王の物語を作りたいです。

第7代 孝霊天皇

孝霊天皇(こうれいてんのう)

【名】大倭根子日子賦斗邇命(おおやまとねこひこふとにのみこと)

【皇居】黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや=奈良県磯城郡田原本町)

【在位期間】76年

【享年】128歳

【御陵】片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ=奈良県北葛城郡王寺町)

桃太郎のお父さん?

欠史八代では最もネタの多い天皇です。そしていろいろと転換期でもあります。

これまでは代々山裾に置かれた皇居が、だいぶ離れた大和盆地の中央部に移動。この変化は興味深いですね。

そして孝霊天皇で一番注目されるのが、子供たち。それも天皇を継いだ子ではなく…。

まずヒコイサセリヒコ(比古伊佐勢理毘古命)、またの名をオオキビツヒコ(大吉備津日子)とワカタケキビツヒコ(若建吉備津日子命)の兄弟は吉備国(現在の岡山県周辺)を平定したとの記録があります。オオキビツヒコは日本書紀では第10代崇神天皇の代に4つの地方に派遣された将軍「四道将軍」の1人とされています。岡山ではこの人が吉備平定に際して鬼の温羅(うら)を退治した伝承があり、あの「桃太郎」のモチーフになったと云われています。

つまり孝霊天皇は桃太郎のお父さん?ということになるわけです。

天皇の鬼退治伝説

一方、鳥取県伯耆町溝口には孝霊天皇自らが鬼退治をしたという伝説があります。おお、欠史八代でようやく出てきた天皇ご本人のネタらしいネタですね! 笹団子で鬼をおびき寄せて矢で射殺したとか、面白い話なので詳しく調べてみて下さい。当地の楽楽福(ささふく)神社には孝霊天皇一族が祀られています。

他の子供たちにも着目。オオキビツヒコの同母姉にあたるヤマトトモモソビメ(夜麻登登母母曽毘売)は、古事記には特に事績の記録はありませんが日本書紀では大物主神が憑依したことや、また大物主神の妻となった話(三輪山伝説)が記録されています。そしてこの姫のお墓とされる奈良県桜井市の箸墓古墳は、邪馬台国女王のあの人の墓ではないかともいわれています。

また、モモソビメやオオキビツヒコのお母さんであるオオヤマトクニアレヒメ(意富夜麻登久邇阿礼比売命)は安寧天皇のひ孫にあたる人。「阿礼」という名前から古事記編纂者の稗田阿礼との関連を指摘する向きもあります。

欠史八代projectの孝霊天皇

鬼退治伝説もある孝霊さんの属性は〈熊〉。武人のイメージで、ヴィジュアルも他の7人とは大きく異なります。先代の孝安天皇の温和なキャラとは真逆で、親子間の相剋や考え方の違いを描きたいと思います。

第8代 孝元天皇

孝元天皇(こうげんてんのう)

【名】大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくにくるのみこと)

【皇居】軽境原宮(かるのさかいはらのみや=奈良県橿原市)

【在位期間】57年

【享年】116歳

【御陵】劔池嶋上陵(つるぎのいけのしまのえのみささぎ=奈良県橿原市)

クニクルと四道将軍

古事記と日本書紀で寿命が倍以上違ったりします。クニクルという名は国(国土)に綱をかけて手繰り寄せるという意味で、国引きの神を天皇に作り変えたのではないかとの説があります。出雲の国引き神話を思い出して、何か怪力のイメージを持っちゃいますね。

皇居と御陵が、神武さん〜懿徳さんの御陵がある橿原地方に戻っています。

孝元さんで特筆すべきは、やはりその子孫です。第一皇子のオオビコ(大毘古命/大彦命)は日本書紀では四道将軍の1人として北陸に派遣されたことで知られます。また古事記では高志道(北陸)に派遣されていますが、東方に派遣された息子のタケヌナカワワケ(建沼河別命)と合流した場所が相津(あいづ)と名付けられ、現在の福島県会津の地名の由来といわれます。

埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣に「意富比垝」という人物名が記され、これがオオビコのことを指すといわれます。

阿倍氏も蘇我氏も…有力氏族のルーツ

また、タケヌナカワワケの子孫は阿倍臣となり、阿倍仲麻呂や安倍晴明といった著名な人物が出てきます。

孝元天皇の子で触れておきたいのがもう一人、ヒコフツオシノマコト(比古布都押之信命)。この子自身の記録は特にありませんが、そのまた息子である武内宿禰(建内宿禰、タケウチノスクネ)が超重要。この後5人の天皇に仕え300年以上生きたとされる大人物です。さらに武内の子たちから許勢(巨勢)臣・蘇我臣・平群臣・紀臣・葛城臣など27の氏族が生まれています。蘇我馬子や蘇我入鹿、紀貫之などが子孫となるわけです。

欠史八代を架空の存在とする説では、天皇家の歴史をより長く見せるために8人の天皇を創作したという見方の他に、天皇家と各氏族の系譜を繋げるために8人の天皇を創作した、という見方もあります。ヤマト王権がもともと豪族の連合政権だったことを考えれば、天皇家と同等もしくはそれ以上の力を持つ氏族もいて不安定な状態のなか、融和のために「みんなどこかで血が繋がってるんだ」という設定を作る必要があったのかもしれません。「うちは◯◯天皇の子孫だ!」となれば箔も付きますし、古事記も日本書紀も編纂する過程で各氏族から「うちのご先祖様も天皇の系図に入れてくれ〜!」なんて要求があったかもしれません。そんななかで蘇我氏の先祖は8代目くらいの天皇にくっつけるのがちょうどいい、ってことになったのかも。

これまた真相はわかりませんが、いずれにしろ多くの有力氏族や大人物の先祖としての孝元天皇は、見落とすことのできない存在です。

欠史八代projectの孝元天皇

こちらの孝元天皇の属性は〈鴉〉。武人の孝霊天皇の後を継ぎ、また兄弟に桃太郎のモデルと云われる将軍オオキビツヒコがいることで戦記のイメージ。神武天皇を導いたヤタガラスもモチーフにして、カラスとしました。

第9代 開化天皇

開化天皇(かいかてんのう)

【名】若倭根子日子大毘毘命(わかやまとねこひこおおびびのみこと)

【皇居】春日率川宮(かすがのいざかわのみや=奈良県奈良市)

【在位期間】60年

【享年】115歳

【御陵】春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ=奈良県奈良市)

欠史の終わり

欠史八代のラストを飾る?天皇。皇居・御陵は先代までから大きく離れて現在の奈良市内。御陵とされる古墳は奈良の繁華街・三条通り沿いという、古代の天皇陵のなかでもかなり変わった立地と風景です。平城京が出来るよりもずっと早くこの場所の良さに目をつけていた天皇と言えるでしょう。

開化という諡は奈良時代の淡海三船さんによって付けられたものですが、この天皇の御世が大きな大きな転換期であったという認識が奈良時代にはあったのかもしれません。

まあ開化さんもご多分に漏れず事績の記録は特にないのですが、まず気になるのは皇后のイカガシコメ(伊迦賀色許売命)。この人は何と開化さんのお父さん孝元天皇の妃でもありました。開化さんのお母さんではないのですが、開化さんはお父さんの妾とヤッちゃって自分の正妻としたことになりますね。先述の武内宿禰の父である比古布都押之信命はイカガシコメと孝元天皇の子。そして第10代崇神天皇はイカガシコメと開化天皇の子であります。ややこしいっすねえ。

ヒコイマス

そしてイカガシコメの子ではありませんが、開化天皇の子で重要なのが第三皇子の日子坐王(彦坐王、ヒコイマスノミコ)。何と彼の子は15人。4人の妃との間に生まれました。そしてその子孫はたっくさんの氏族に連なりますが、国造となる地方豪族が多いのが特徴ですね。

日子坐王の子たちで名高いのは、垂仁天皇の代に登場する沙本毘古・沙本毘売(サホビコ・サホビメ)兄妹。この二人のお話は是非ラノベ古事記でチェックして下さい。そして孫たちの中には、景行天皇のお母さんになる日葉酢媛命(ヒバスヒメ)、神功皇后のお祖父さんにあたる迦邇米雷王(カニメイカズチ)がいて、この辺りも興味深いです。

欠史八代projectの開化天皇

欠史八代の最後である開化天皇の属性は〈龍〉。欠けた歴史から、次の「はつくにしらす」、実質的に初めて国を治めたとも云われる崇神天皇以降の確かな記録のある歴史に変わる節目であり、現実とファンタジーの境目に位置する存在としてドラゴンが相応しいとなりました。より良い未来へ昇っていく龍であったのか、それとも…。

おわりに、そして欠史八代のこれから

というわけで大変長くなりましたが欠史八代の人々を紹介してきました。記紀・古代史についてはまだまだ勉強不足だし多分に主観の入った文章、おまけに妄想による創作の紹介までしちゃいましたが、この何もない、いや謎多き時代に少しでも興味を持って頂けたなら幸いです。

本当に記録なさすぎて謎ばかりの欠史八代。先にも書きましたが架空の存在説もあれば実在説もあり、真相はわかりません。阿礼これ、いやあれこれ想像して推測するのは自由だし大いにやりたいですが、古事記でも日本書紀でも、事実がどうあれ「何故そのような記述にしたのか」、編纂に関わった人たちの想いも大事にしたいです。その人たちが「伝えたかったこと」を。そこには、日本の国が今後も一つに、みんなが争いなく穏やかに過ごしていけるためにもちゃんとした歴史書を残そうという気持ちがあったはずです。

よかったら是非ご自身でも欠史八代についてより深く調べてみて、またできれば関連のあるスポットに行ってみて下さい。近々、私たちが巡った欠史八代の御陵のレポートをこちらにupする予定です。これから私たちもより欠史八代を深掘りして、旅して、想像して、あれこれ思索を巡らしたいと思います。

[イラスト]アマゴイ

[キャラクターデザイン・創作担当]ザザ

[文章]守山ダダマ

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Writer 欠史八代project

古事記の中でも空気な存在の第2〜9代天皇たちに光を当てるプロジェクト。現在は守山ダダマ、ザザ、Q-Azxswの3人で活動中。

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