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ゆかりの地巡り
投稿日:2023/03/20 最終編集日:2023/03/19
曩祖八幡宮
曩祖八幡宮は飯塚の総鎮守。長崎街道の飯塚宿として栄えた飯塚本町商店街のすぐ側にあります。
神功皇后が戦勝報告の祭典を行った「曩祖の杜」「壇の上」と呼ばれる小さな丘に、660年前後に社殿が建立されました。仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・武内宿禰および天神地祇を祀り、子安の神として信仰されています。
ちなみに「曩祖」は先祖という意味ですが、読みが同じということで「納祖」の字があてられ、「納祖八幡宮」とも書きます。
参道の階段が三ヶ所あり、真ん中が曩祖八幡宮の本殿への参道、右側が祇園宮、左側が飯塚天満宮となっています。
また、境内右奥には、若光稲荷神社があります。
曩祖八幡宮では、この4社の御朱印が頂けます。
皇后築斎壇禋祭遠祖及天神地祇。故遂名林曰曩祖社又称斎壇之蹟曰壇上。遠祖曩祖国語皆通祖先而言。又以曩祖漢音相通。後世遂訛称納祖也。皇后又臨別歌曰何日可逢。故遂名村曰何日。何日飯塚国語相近。(福岡神社誌)
神功皇后が三韓征伐からの帰途、この地に祭壇を設けて遠祖及び天神地祇を祀りました。
神功皇后は別れを惜しみ「何日可逢(いつのひかあうべし)」と言い、村人達は「またいつか尊顔を拝し奉らん」と言いました。
この「いつか」が「飯塚」の名の由来であると言われています。
ちなみに、神功皇后たちはここに至る前に大分八幡宮付近で軍功行賞を行いそれぞれ物資を大いに分かちあっています。
なので本来はそこで解散しても良かったものを、名残惜しんで飯塚のこの地までぞろぞろやって来たように読み取れます。
その上で神功皇后がここで先祖を祀ってくれて、「またいつの日か会いましょう!」なんて言ってくれたんだと考えたら、私はきゅんとしてしまいます。
神功皇后が再会を誓った伝承より、ここは縁結びの場所とされています。
男性は左から、女性は右から周りながら願いごとを唱えると良いそうです。
また、曩祖八幡宮の初宮詣では、神功皇后が祭典を行った際に御子である応神天皇を『壇の上』に寝かせた古事に習った神事を行うことになっています。
曩祖八幡宮に鳩が沢山いることから、子供の頃は「ハト神社」と呼んでいました。
宇佐神宮から石清水八幡宮へ八幡大神を勧請した時に白鳩が道案内をしたという古事により、八幡宮では鳩は八幡神の使いということで大事にされています。
曩祖八幡宮の隋神門は江戸時代にできたもの。
「寛延二己巳年六月吉辰 一七四九年」と記載があります。
随神門南壁には、輪切りにした大楠が掲げられています。
曩祖八幡宮本殿の参道の階段左にはかつて、樹齢千年程のご神木の大楠がありましたが、枯れて倒れる恐れがあった為に昭和35年に切り倒されました。
祇園宮の参道の階段を上がったところには、樹齢400年ほどの大銀杏があります。
地上約4mのところに「乳」と呼ばれる気根があります。
ここで祈願をすれば母乳がよく出ると言われており、すぐ近くの産乃宮と共にお参りされる方もいるようです。
曩祖八幡宮はここ最近、大改修を行っています。その為、様々な場所が少しずつ変わっています
その為、今回ご紹介した場所も、次行くと若干変わっている可能性がありますのでご注意ください。
個人的に注目しているのは、壇の上会館。
私が行ったときには入口の横に書いてあるように、奉納された絵馬や、飯塚の歴史を紹介する展示がありましたが、まだ発展途上といった様子でした。
(昨年11月に行き、巫女さんに「絵馬はどこで見れますか?」と尋ねた時は、「今、全部見れる状態か分かりませんが……」と言われながらここに案内されました。)
(今年の正月に行ったときは、ほぼ物置になっていました。)
次に行った時には、新しい展示があるのではないかと楽しみにしています。
関連情報
●曩祖八幡宮
福岡県飯塚市宮町2-3
公式サイト:http://www.nouso.or.jp/
※平成28年に飯塚市合併10周年記念に作詞・作曲された市の歌「いつかの里 飯塚」は神功皇后伝承をモチーフに創られました。
● 天皇・人物 一覧
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