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ゆかりの地巡り
投稿日:2022/07/25 最終編集日:2022/07/19
古事記によると、仲哀天皇は神を噓付きだと言ったことにより神の怒りを買い、訶志比宮で亡くなってしまいます。
《《《天皇よ。金銀をはじめとし、目にも炎輝く多種多様の珍しき宝がその国には有る。我が今、その国を帰服させ汝に寄せ与えてやろう》》》
(中略)
「信じるわけないだろ! さっさと神功から出て行け、この嘘つきめっ!!!」
仲哀はそう言って神を嘘つき呼ばわりすると、御琴を押しのけ弾かずに黙ったまま座り込んでしまった。
するとその神はひどく怒って、怒鳴り散らして言ってきた。
《《《ならばもう良い!!! では、その土地の天の下は汝の治める国にあらず。汝の向かう先はただ一つの道のみぞ!!!》》》
(『ラノベ古事記』)
自分の言うことを信じないから殺すなんて、神様ったらパワハラが過ぎますよね!って話なのですが。
然天皇猶不信。以強撃熊襲。不得勝而還之。
九年春二月癸卯朔丁未。天皇忽有痛身。而明日崩。時年五十二。
即知。不用神言而早崩。
〈一云。天皇親伐熊襲中賊矢而崩也。〉
天皇はそれでも信じられず、その後 熊襲を討たれたが 勝てずに帰った。
九年春二月五日、天皇は急に病気になられ、翌日に亡くなられた。時に、年五十二。
すなわち、神のお言葉を採用されなかったので早く亡くなられたとされる。
〈ある伝によると、天皇は自ら熊襲を撃ったが 賊の矢に当たって崩御した。〉(『日本書紀』)
日本書紀では、病気または賊の矢に当たって亡くなったとされています。
個人的に思うには、「賊の矢に当たった傷が原因で病気になって亡くなってしまい、それを、神に背いたために早く亡くなったんだと言われた」というのが妥当かなーなどと思っております。
では、賊の矢に当たったのはどこなのでしょうか。
その答えが、御勢大霊石神社に伝わっています。
御勢大霊石(みせたいれいせき)とは?
由緒
神功皇后二年(二〇二)創建、社記・伝説によれば第十四代仲哀天皇は熊襲征伐に当り、橿日宮の本陣より此の地に軍を進められ大保の里が白州で清浄であったので天神地祇を祀り仮陣地とし軍を指揮された。隅々近臣を従え志気を鼓舞するため戦線を廻られた折、敵の毒矢に当られて此の地にて崩御された。皇后は時恰も激戦中で志気の沮喪をおそれ深く秘して仮に御殯葬申し上げた。
熊襲征伐後軍を纒めて御崩御を布告し、御霊柩を橿日宮に移して発喪された。その後三韓征伐に於て御魂代の石を軍船に乗せ、その石に仲哀天皇の御鎧及び兜を着せて征途につかれ、戦勝後凱旋されて、その石を大保の郷の殯葬の地に宮柱太敷立て斉き祀られ御勢大霊石と崇められた。
今、社前にある石がこれで御剣・御衣も納められ御本體所と称する。御勢は夫にて皇后よりの尊親の称である。(御勢大霊石神社リーフレット)
福岡県小郡市大保1032にある御勢大霊石神社は、延喜式神名帳(平安時代中期の書物)に記載がある由緒正しい神社で、神功皇后が建てたと伝わっています。
御(み)は敬称。
勢(せ)というのは、愛しい男性を指す言葉。
御勢は、神功皇后から見た愛しい男性、つまり仲哀天皇を指します。
では、大霊石とは何でしょうか?
仲哀天皇が亡くなり、その魂を宿した大きな石の事を言います。
この石が、仲哀天皇の魂を宿したとされる石。
下の写真の奥にも映っていますので、人物と比較して大体の大きさを分かって頂ければと思うのですが、それなりに大きな石です。
訶志比宮では、仲哀天皇の遺体が入った棺を木に立てかけることによって仲哀天皇がそこにいる状態を作り上げましたが、さすがに遺体をずっと持ち運ぶことはできません。
どんどん腐ってもいきますし、死臭もひどくなっていきます。
そこで、朝鮮出兵にあたっては魂だけを石に移し、その石を軍船に乗せ、仲哀天皇の鎧と兜を着せて行きました。
仲哀天皇は亡くなった後もしばらくはこのようにして、神功皇后たちと共にいたのです。……辛い(><)
戦勝後、その石を天皇の御魂代として、また朝鮮半島を守る不動石として、仲哀天皇が実際に亡くなって仮埋葬されたこの場所に祀ったと伝えられています。
仲哀天皇の亡くなった場所…?
御勢大霊石の手前の標柱には「史蹟 仲哀天皇殯葬傳説地」とあります。
この場所に、遺体を仮に安置していたということです。
前述のように仲哀天皇は熊襲征伐に当り、橿日宮の本陣より此の地に軍を進められ大保の里が白州で清浄であったので天神地祇を祀り仮陣地とました。
そして志気を鼓舞するため戦線を廻られた折に、敵の毒矢に当たって此の地でなくなったと伝わります。
ただし、死の直接の原因が敵の毒矢だったとしてそれに当たったのがこの場所だったというのが本当だったとしても、ここで息を引き取ったのか、ここから橿日宮への移動中に亡くなったのか、橿日宮に着いてから亡くなったのかは、各地の様々な伝承を見るともう少し考える余地がありそうです。
御勢大霊石神社の本殿・末社
こちらは、御勢大霊石神社の社殿。
境内には、御勢大霊石大神の荒御魂を祀る成末神社があります。
この地で射られて亡くなったのであれば、射た者を恨む気持ちが強く残るのもここだという事になります。
だからこそここに、荒御魂を祀る必要があったんじゃないか。
私はそんな風に思います。
御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)
福岡県小郡市大保1032
小郡市観光協会サイト:https://kanko-ogori.net/misetaireiseki/
関連情報
●御勢大霊石神社(みせたいれいせきじんじゃ)
福岡県小郡市大保1032
小郡市観光協会サイト:https://kanko-ogori.net/misetaireiseki/
● 『神功皇后の神がかり』 (原文)
● 天皇・人物 一覧
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