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ゆかりの地巡り
投稿日:2022/10/03 最終編集日:2022/09/27
▼もくじ
香椎宮
香椎宮には、葉が綾の様に交互に生えている、綾杉と呼ばれる御神木があります。
神功皇后が三韓から帰還し、剣・鉾・杖の三種の宝を埋め、そこに鎧の袖に挿していた杉枝を「永遠に本朝を鎮護すべし」と祈りを込め埋められたものだと伝わります。
国家鎮護の象徴として、その杉葉を不老水と共に宮中に献上していたそうです。
綾杉はとても美しく、香椎宮の代表的存在です。
それに比べて随分とマイナーで、神功皇后を紹介する本などにもあまり取り上げられていないのですが、実はこの綾杉、元となる杉が存在するのです。
それが、太祖宮にある綾杉です。
太祖宮(太祖神社)
太祖宮は、若杉山にあります。
若杉山は神功皇后のみならず、善無畏三蔵や弘法大師も空海も訪れた、霊験あらたかな山です。
ささぐり昔話
また、こんな話も伝わっています。
豊臣秀吉が外国に攻め入るため、大量の軍船が必要になり、諸藩主に急いで作るよう命じました。そのときに筑前の藩主だった小早川秀秋(中納言)が若杉山中に入り、大岩の上に陣取り伐採を命じ、なんと言うことか御神木である綾杉をたくさん切り出してしまいました。
もともと若杉山自体が太祖宮の神領地であり、そこに生えている木は神様の木として大切に守られ、切ってはいけないとされてきました。特に綾杉は御神木とされ、伐採を堅く禁じられていました。
天文13年(1544)には、大内義隆が若杉山に生えている竹木の伐採禁止令を出し、神域を守っていましたが、秀秋はその命令をも無視して、無残にも神域は見る影も無く荒らされてしまいました。
このまま何事も無くすむとは思えません、その後秀秋はほどなく病気にかかり、子孫を残さないまま若くして死んでしまい、秀秋の家系は途切れてしまいました。
人々は、これは太祖大権現の神罰が下ったのだと信じ、今でも秀秋は悪評ばかりが残り、良く思われていません。
この秀秋が陣取った大岩を地元では、「中納言岩」といつしか言うようになりました。(ささぐり昔話)
関ヶ原の戦いで西軍を裏切った話で有名な小早川秀秋ですが、それとは違う嫌われエピソードが伝わっているのはちょっと哀れ。
それはさておき。
私は、神功皇后も造船の為の木を調達する為に若杉山を訪れたのではないかと考えます。
神功皇后は小早川秀秋と違って、太祖宮の神様を手厚く祀り、また、凱旋後は植林に力を注いだことでしょう。
若杉山の名前は、神功皇后が香椎宮の杉を分けて植えた事に由来します。
綾杉は神功皇后が来る前からこの山にあったはずじゃなかったの?と疑問だったのですが、一度伐採してしまったから植林したんだと考えるとしっくり来ます。
神功皇后は、海や山や沢山の場所に行き祈りを捧げています。
そしてまた、凱旋後のお礼参りも沢山しています。
そういうところが、神功皇后が愛される要因であったと私は強く思います^_^
ちなみに、若杉山には伐採を免れた木々が沢山あり、篠栗町全体が森林セラピー基地と呼ばれるほどの豊かな森林が広がっています。
神様も仏様も、神功皇后も善無畏三蔵も弘法大師も興味なくとも、是非癒されに行って欲しい場所です。
関連情報
●太祖宮下宮
福岡県粕屋郡篠栗町若杉1047
●太祖宮上宮
福岡県粕屋郡篠栗町若杉
※太祖宮上宮に行きたい場合は太祖山 金剛頂院(福岡県糟屋郡篠栗町若杉4-2)の住所を行先に指定してナビ検索し、一旦 若杉楽園キャンプ場を目指すのがお勧め。
● 天皇・人物 一覧
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