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ゆかりの地巡り
投稿日:2022/06/07 最終編集日:2024/01/22
日本最古の神社・大神神社(おおみわじんじゃ)をご存知ですか?
ご神体が剣や鏡ではなく山という特異さが語られる、由緒ある奈良の古社です。神そのものであるご神体の山は三輪山と呼ばれ、神社の真後ろにそびえていて、なにやら不思議なウワサが後を絶ちません。
「三輪山を登ると祟られる?」「ご祭神は怖い?」といわれる理由を、奈良&三輪好きライター・ゆりが詳しく解説します。
▼もくじ
不思議なウワサの数々…
恐ろしいと口にする参拝者は一体どんな体験をしたのか、どんなことが起きたのか、まずは調べてみました。ほとんどが三輪山の登拝で起こるようです。
・ 神さまのメッセージがおりてくる
・ それまでの迷いが、ふっと断ち切れる
・ 計画を何度たてても、急用や不調で行けなくなる(呼ばれない)
・ 白い服でぬかるみに転んだのに、汚れがまったくない
・ 運動を普段しないのに、急な山道が続いても疲労感ゼロ
こうして並べると恐ろしいウワサより、いいウワサが多いですね。わたしも登拝しましたが体力不足でめっちゃ疲れたので、次は疲労感ゼロの体験がしたいです。
占い師のゲッターズ飯田さんや、スピリチュアルカウンセラー江原啓之さんは大神神社をおすすめの最強パワースポットとして紹介しています。どうやら、安心してよさそうです。
大神神社ってどんな神社?
そもそも大神神社は、どんな神社なのでしょうか。
大神神社は奈良盆地の東南にあり、鹿さんのいる観光が盛んな奈良市から電車(JR)で30分程のところにあります。このあたりは古代に全国各地の豪族が集まり、大王をたて政治を行った国の要・ヤマト王権があった土地で、宮殿跡・大型古墳・祭祀跡も数多く見つかっています。国家のはじまりの地に鎮座しているのですね。
大神神社の創建は古事記・日本書紀(日本の国史・神話)の神代に記されるほど古く、主祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)です。この「大いなる霊威を治める神」の名を持つ神には、いくつもの顔と伝承があり「恐ろしい」といわれる由縁も、実はその一面にあるのです。
わしを祀れば、疫病は鎮まる!祟り神から薬の神へ
この大物主大神は祀られるのがお好きなようで、有名な「祀ってくれ」依頼エピソードが2つあります。そのひとつが、疫病の蔓延に頭を悩ませていた崇神(すじん)天皇の枕元に立ったというお話。
第十代崇神天皇の御世、国内で初めての疫病が猛威をふるいました。悩んだ天皇は神床(かむとこ)で眠り、神託を仰ぐことに。
夢には大物主神が現れて「この疫病は私が原因なのだ。子孫の意富多多泥古(おおたたねこ)が我を祀れば、国は安らかになる」と告げました。
崇神天皇はさっそく意富多多泥古を探しだし、祭主に任命。たちまち疫病は治り、国は平和を取り戻しました。
このことで大物主神は怖い疫神から病を治める薬の神と崇められ、斎行された鎮花祭(はなしずめのまつり)や三枝祭(さいくさのまつり)は千数百年を経た今も行われているほど。
大神神社の二の鳥居から左手に数分歩くと、この時のご子孫を祀る「大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)」もありますよ。
呼ばれた人だけ?!三輪山の登拝とは
不思議な体験をするという三輪山は、大神神社から徒歩5分の摂社「狭井神社」から登拝ができます。狭井神社へは大神神社の境内を通る「山の辺の道」という古代道を歩いて向かうので「この道を千年以上前の人々も往来したんだな」と思いを馳せるとたのしいですよ。
さて三輪山の入山ですが、山そのものが神さまですから、近代までは足を踏み入れることが厳しく制限されていました。登るためのルールがあるので、ご紹介しますね。
・ 申し込み:狭井神社の社務所(当日受付)
・ 受付時間:9時から12時まで
・ 下山報告:16時まで
・ 登拝不可: 正月三日間、祭典日、悪天候
・ 登拝料 :300円(ひとり分)
・ 禁止事項:カメラ等での撮影、水分補給以外の飲食
※コロナのため、2022年5月20日現在は登拝禁止。
登拝の所要時間は、往復で約3時間。体力の全くない私でも、休みつつ目安の時間で山頂に着くことができました。標高467mの低山ですが、急勾配や木の根があるのでスニーカーがおすすめ。
社務所で入山の申し込みをすると、参拝証の白いたすきと形代(人型の紙)が渡されます。たすきを掛け、形代で体を撫でて身の穢れを取り除いて、いよいよお山へ入ります。この身を整える行為で背筋がピンとして、意識が神域に入るスイッチに切り替わるのが自分でもわかります。
登拝口をくぐってからは、訪れた人のみが知る世界です。撮影禁止のためメディアも含め、画像公開は一切されていません。なので、さまざまな体験談がブログや記事となって紹介されているんですね。「ここで起きたことは口外してはならない」と昔話にでてくるような話も耳にします。
緑の濃い静かな神域内では、数多くの巨石が集められた古代祭祀跡(辺津磐座・中津磐座・奥津磐座)に出会うことができます。目にすると日本人としてのDNAが揺さぶられるのか…、ただの石の集合体とは受け取れず、あらゆる自然や事象に霊性を見出した古代人の感性や、みえないモノや生命を大切に守る心が神代から現代まで繋がっている、その永い時間の蓄積を肌で感じ、心にそっとしまっておきたいような、敬虔な気持ちになりますよ。
ちなみに登拝口がある、狭井神社のご祭神は大物主神の荒魂である「大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)」。薬の神さまで、拝殿の左奥にある「薬井戸」では万病に効くご神水がいただけます。狭井神社は疫病のエピソードを色濃く残す神社でもあるんですね。
隠れスポット・山ノ神遺跡が素晴らしい
「登拝する時間はないけれど、神代の息吹を感じたい…」という人には、山ノ神遺跡がおすすめです。三輪山とはちがい、平坦な道をてくてく歩けば、狭井神社から3分・大神神社から8分で着くことができる、神秘と歴史がつまった超穴場スポットです。
山ノ神遺跡は三輪周辺に散在する古代祭祀跡の代表格。発見当初は特徴的な形をした「子持勾玉」をはじめ、大量の出土品が発掘されたそうです(大神神社の宝物収蔵庫で見学可能。ただし、現在はコロナで閉鎖中)。
ここには皮つきの原始的な注連柱があり、そこをくぐって奥へ少し進むと、囲われた結界の中央に厳かに佇む磐座(いわくら)が現れます。
磐座の背後には一本の木がスッと立ち、石を護るように枝葉を伸ばす美しい光景に触れることができます。ここは大物主神の娘である伊須気余理比売(いすけよりひめ)の住まいだったとも伝わる地で、木漏れ日が静かに揺れる清らかな世界が広がっています。
磐座の向かいに木のベンチが用意されているので、のんびりと森林浴をしながら神の姫の暮らしを思い描いて過ごすのもよさそうです。
大いなる神、恋もすれば奇行もする
大物主神は蛇神としても有名です。なぜ蛇神なのかは諸説ありますが、三輪山のような笠型の山は「神が宿る」といわれ、また「蛇がとぐろを巻いた姿」にも似ているので、そのように信仰されたのかもしれません。
日本書紀で大物主神は、日本の異類婚姻譚のはしりともいえるファンタジー要素たっぷりな恋愛エピソードを持っています。
美しい娘・活玉依姫(いくたまよりひめ)のもとへ、見目麗しい若者が訪ねてきました。すぐに二人は恋に落ち、姫は身ごもりました。
姫の両親は、夜な夜な通ってくる素性のしれない若者を訝しく思い、若者が訪ねてきたら、赤土を床にまき、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺しなさいと姫に教えました。翌朝、糸は鍵穴を出て、残っていた糸巻きは三勾(みわ)だけでした。姫が糸を辿りゆくと三輪山に着きました。
こうして若者の正体は大物主神であり、腹の子は神の子と知ることに。このことから、この地は美和(三輪)と名付けられました。
参拝で最初に向かう手水舎では、凛々しい蛇が迎えてお水を与えてくれますし(水口がかっこいい造りの蛇なのです)、境内では白蛇に多く遭遇するともいわれています。特にご神木「巳の神杉」の根元の洞には白蛇が棲んでいるという伝承も。いつも蛇の好物の卵や神酒のお供えで溢れていて、多くの参拝者に親しまれているのが伝わります。
わたしはよく寺社へいくのですが、巳の神杉近くの休憩所で参拝のようすを眺めていると「挨拶にきましたよ、巳さん」という温かい雰囲気の方々が多くて、「親しまれているなぁ」「愛されているなぁ」とほのぼのします。
「お供えしたい」という方には、二の鳥居近くの参道にある今西酒造(創業1660年の奈良を代表する酒造)で、小瓶のお酒と生卵の「お神酒セット」が300円で手に入るのでおすすめです。
美しい異類婚姻譚の一方で、古事記では大物主神の恋物語はありえない珍エピソードも。こんな風に伝えられています。
美しい娘・勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)に思いを寄せた大物主神は、朱塗りの矢に姿を変え、姫が大便をする時に川の上流から流れて近づき、陰部を突きました。
驚いた姫は慌てつつも、その矢が綺麗だったので持ち帰り、床の傍に置きました。すると矢は見目麗しい若者に変身し、二人は結ばれました。
こうして産まれた子は伊須気余理比売(いすけよりひめ)といい、初代天皇・神武天皇のお妃になりました。
なぜ日本書紀のように夜に美しい姿で登場せず、矢となってトイレへ意気込んで向かってしまったのでしょうか。恋する大物主神の大暴走にも、受け止めてしまう姫の天然っぷりにもびっくりです。ちなみに、この時の赤ちゃんが山ノ神遺跡で触れた姫さまです(すごい生まれかたですね…)。
大国主神の国造りをサポート、出雲との関わりも
最後にご紹介するエピソードは国造り。少彦名神(すくなひこなのかみ)という力強いパートナーに去られ、大事な国造りの手が止まってしまった出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ/別名:大己貴神 おおなむちのかみ)に、助け舟をだしたのが大物主神です。
パンデミックを起こしたり、恋に夢中なだけではないのです。大国主神の一大事業・国造りをしっかりサポートして「その代わりに三輪山に祀って」と望み、三輪山に鎮座しました。ご紹介する2つ目の「わしを祀って」エピソード…古事記では大物主が最初に登場するお話です。
このつながりから、大神神社では出雲神話の国造りトリオも祀られています。国造りをした神と、大物主の前にサポートをしていた2柱(神さまは「柱」と数えます)の神ですね。拝殿の配祀に大己貴神・少彦名神、摂社・磐座神社に少彦名神、久延彦神社に物知りなカカシの神・久延彦神。
三輪周辺は、出雲という島根との深い関わりを思わせる地名もあり、神話という架空の物語であるはずの不確かな世界が、実在性を帯びている不思議な土地です。辺りを散策すると一歩、その “ あわい” に足を踏み入れた気持ちになることも。
まとめ
結論、大神神社は「怖くない」けれど「日常では得がたい感覚」に出会える場所かもしれません。三輪ではごくごく自然に、大物主神が風土に溶け込んで、古き神と神話の発生を肌で感じとれる「まほろば」の風景が、そこかしこに今なお広がっています。
三輪山よいとこ、一度はおいでください。
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