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ゆかりの地巡り
投稿日:2022/06/17 最終編集日:2022/06/10
古事記とB’zが大好きなPandaが、自分が生息している越の国からそれほど遠くない美濃の国に、1粒で2度美味しい的な伊奈波神社が御鎮座されている事を発見し、参拝に伺った後は当たり前のように毎年伺っている事、そこにお祀りされているの主祭神は五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)という第12代・垂仁天皇の皇子であることなんかを書き連ねた前編→五十瓊敷入彦命の伊奈波神社
さて、後編です。
広い境内の気になる神社
現在伊奈波神社には2本の鳥居と2つの門があります、それぞれ一の鳥居・二の鳥居・楼門・そして神門、そうなると当然境内は結構広いです。
その境内に神社の設備として、一の鳥居と楼門までの向かって左側には社務所と結婚式もあげられる参集殿が並び、右側には坂の上駐車場が整備されています。
坂の上駐車場側には金山神社・愛宕神社・秋葉神社と忠魂碑、そして令和3年に新しく造営された岐阜東照宮があります。
境内には他にもいくつかの神社がご鎮座されていて、まず楼門近くの伊奈波大黒社。
その向かいに楓稲荷神社
楓稲荷神社側には滝と池もあり、この伊奈波神社の水の気を湛えてくれています。
そして境内社の中で一番気になったのがこちらの吉備神社
鳥居から少し高台に登った所にあるお社なのですが、針供養になっているようで、何も知らずに参拝した後に吉備神社だと気づきました。
広がる浪漫 膨らむ妄想
なぜここに吉備神社が?と気づいた時にはびっくりしました。何故か?それは我が推し稲葉さんが岡山県出身という事につきます。岡山の英雄といえば稲葉浩志か桃太郎かぐらいに桃太郎が有名ですが、この桃太郎のモデルの有力候補者と言えば吉備津彦命(きびつひこのみこと)、古事記では比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりびこのみこと)、日本書記では彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)と記される、第7代・孝霊天皇の皇子です。
孝霊天皇は俗に欠史八代とも言われる時代の天皇の御1人で、古事記でもその記載が少ない天皇なのですが、その皇子には第8代・孝元天皇や吉備津彦命がおられ、皇女には三輪山の神と愛し合いながら、それ故命を落とされたという奈良の箸墓古墳伝承で有名な、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)がおられます。
吉備津彦命は垂仁天皇の御父上にあたる第11代・崇神天皇から、後に四道将軍とも呼ばれる、武力で国を平定する皇族の役をおおせつかり西国平定に向かいました。その向かった先は温羅(うら)と呼ばれる統治者が治める吉備国で、その時供として従い戦ったのが犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)・楽々森彦命(ささもりひこのみこと)・留玉臣命(とめたまおみのみこと)であり、この伝承が室町時代に御伽草子として広く民衆に知れ渡るようになったのが桃太郎だとも言われます。
自分の中では似ているのです、五十瓊敷入彦命と彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)が。
吉備津彦命と一緒に四道将軍に任じられた皇族の中に、吉備津彦命の甥にあたる大毘古命(大彦命:おおびこのみこと)がおられます。吉備津彦命と同じように国の平定に向かう途中、不吉な予感がしたので、おばの倭迹迹日百襲姫命の助言を請い、その占いにより味方(異母兄弟の皇子)の謀反が発覚し、それを撃退する伝承が古事記でも語られます。
五十瓊敷入彦命の甥にも武力で国を治めるよう天皇に命じられ、やはり神に近いおばの助言で苦難を切り抜けた皇子がいます。そう、かの倭建命は天照大御神と一緒に旅をした倭姫命の助けを何度も受けて、武力平定の旅を続けました。
古事記は今は昔、様々な時代に人から人へ受け継がれてきた物語を、それを克明に記憶した稗田阿礼が朗誦し、太安万侶達が編纂した物語です。
想像もつかないぐらい遥か昔の神々の時代よりは近くなったとはいえ、遠い過去の出来事だった昔の天皇やそれに纏わる人々の物語は、どこかで交差し、形を変えて伝わり続けたのかもしれません。
古事記が編纂されたのは、我が国が海外諸国の情勢に押し流され、国自体が消えてしまったり、蹂躙され属国になってしまうかもしれなかったりする可能性がある時代でした。
それを近代化を遂げるという手段で必死で対抗しようとした、いわば国家尊属の危機への対抗策として、天武天皇・持統天皇・元明天皇と受継がれた国家プロジェクトが古事記編纂だったのではないでしょうか?
そしてそれから更に千年以上が経つ今を生きる自分は、五十瓊敷入彦命は吉備津彦命で桃太郎は岡山県で岡山県は稲葉浩志さんだから五十瓊敷入彦命は稲…的に角髪(みずら)を結った彼が、金華山の麓に凛々しい姿で佇んでいる妄想を禁じ得ないのです。
古事記の大いなるテーマは「稽古照今」
そうそう、伊奈波神社に何度通っても気づかなかったりする事も当然あって、通い始めて数年後の参拝の時にようやく気づいて、ハッとした碑がありました。
「稽古照今(けいこしょうこん)」とは「古(いにしえ)を稽(かんが)え、今に照らす」、すなわち「昔のことをよく学び現在に活かす」という意味で、古事記のテーマでもあるという事がその序文に書かれています。
この壮大な、そして大らかでありながら繊細で美しく、残酷なのに面白い、古の時代から受継がれ語り継がれた古事記を、末永く多くの我が国の人に楽しんで貰いたいと思いますし、何より自分が楽しみたいのです。
数年前に世界を襲った流行り病がまだまだ予断を許さない状況ではありますが、また日本中の様々な場所で、様々な古(いにしえ)の出来事を、今に伝える何かに出会える旅ができればいいなと思っています。
実はこの伊奈波神社の近くに、御后の淳熨斗媛命をお祀りする金神社(きんじんじゃ)と、御子の市隼雄命(いちはやおのみこと)をお祀りする橿森神社(かしもりじんじゃ)も御鎮座されているのですが、機会があれば改めてお伝えしたいと思います。
Pandaの次の旅の紹介は、やはり吉備国辺りになりそうですかね…
ではでは最後まで読んでいただきありがとうございました。
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