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ゆかりの地巡り
投稿日:2023/01/26 最終編集日:2023/01/20
髪をみずらにした
皇后、還りて、橿日浦に詣りまして、髪を解き、海に臨みて曰はく
「吾、神祇の教を被け、皇祖の靈を賴り、滄海を浮渉りて躬ら西を征たむと欲す。是を以ちて、今、頭を海水に滌ぐに若し験有らば髪自ら分れて両に為れ。」
と即ち海に入りて洗ぎたまふに髪自らに分れぬ。皇后便ち髪を結分げたまひて髻に為たまふ。(『日本書紀』)
神功皇后は朝鮮半島に向かう前、香椎宮の近くの海岸に行き、航海の無事を祈り、髪を洗い、その髪を左右に分け髻(みずら)=男性の髪型になりました。
香椎宮からほど近い海岸付近の名前を「片男佐(かたおさ)」、香椎川に架かる橋を「片男佐橋」と言います。
神功皇后が片方(頭)だけ男になったことを片男といい、そこから片男佐という地名になったと伝わっています。
香椎宮の西、浜男と云ふ所の浜、是即ち橿日浦なり。こゝより八、九町ばかり沖に大岩あり。是を御島と云ふ。即ち皇后のいたり給ひて御髪をすゝがせ給ひし処なり。岩島にてその上に御島神社の社あり。(『八幡本紀』)
片男佐橋の向こうに、御島神社が見えます。
海上に浮かぶ鳥居の辺りが、香椎宮の末社、御島神社です。
祭神は綿津見神。
普段は海の中の御島神社に渡ることは出来ませんが、旧暦8月15日(中秋)に行われる御島神社祭の日だけは、潮が引いたタイミングで歩いて渡ることが出来ます。
ただ、かなりぬかるんでいるので長靴は必須とのこと。
神功皇后が髪を洗ったとされる大岩の上に、小さな祠があります。
お祭りの際はこの祠の前に供物を置き、神職の方々が祈りを捧げます。
御島神社を見ながら海岸を歩いていると、御島神社とは真逆の方向に手を合わせる男性の姿が。
その顔の先を見ると、鳥居がありました。
建物等に阻まれているので海岸側から目視で確認はできませんが、御島神社と鳥居を結んだ直線方向に香椎宮があり、その中間地点に、香椎宮末社の濱男神社があります。
海が荒れて御島神社参詣が困難な際に、神功皇后は濱男神社から御島神社を遙拝したと伝わります。
昔はもっと香椎潟海浜に接する場所にありましたが、大正年間に現在地に移されたそうです。
※地図上に「浜男神社」とあるのは、濱男神社の神霊を分けて建てられたもの。
鎧兜を着けた
付近には、神功皇后が鎧兜を着けたと伝わる場所もあります。
神功皇后西征の御時、此の地にて兜を着け給ひしと云ふ。(『香椎廟宮記』)
兜塚の上には二つの石があります。
この石は神功皇后と直接関係はないのですが、塚から発掘された石であり、運び去った者に祟りが起きたといういわくつきのものです。
兜塚から数メートルの場所には鎧坂。
神功皇后御出征の時、この坂で鎧を着け給ひ、「今も、こゝにて往来の人、下馬をし侍る。此所にて落馬すれば、必ず死するよし、村民言ひ伝えておそれをなす。」(『筑前國続風土記』)
神功皇后がここで鎧を着けた、というエピソードだけでなく、馬に乗ったままここを通ってはいけない(うっかり落馬すると死ぬ)と伝わっているのは大変面白いですね。
香椎宮の付近に残る神功皇后出立間近のエピソードと、その地に畏敬の念を抱く地元の人々の思いに触れて、ときめきが止まらなかった私でした。
関連情報
●御島神社
福岡県福岡市東区(香椎潟内)
●片男佐
福岡県福岡市東区御島崎1丁目(古地名:大字香椎字片男佐)
●濱男神社
福岡県福岡市東区香椎駅前1-3-17横
●兜塚
福岡県福岡市東区香椎駅前1-26-6横
●鎧坂
福岡県福岡市東区香椎駅前3-33-7横
※正確な住所が分からなかったので、濱男神社・兜塚・鎧坂の一番近くにある建物の住所を記載しました。
公式サイト:https://kashiigu.com
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