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​​錦絵でたのしむ古事記!天才浮世絵師「月岡芳年」が描く、情感あふれる名場面

投稿日:2022/07/04 最終編集日:2022/07/04

「日本の神」と聞いてパッと思い浮かぶ名画はありますか?

キリスト・天使・仏さまと違い、美術館・博物館でも滅多に見かけませんよね。そもそも「日本の神?古事記?しらないなぁ」という方もいるのでは。

そこで今回は、800以上の美術展に足を運んだライター・ゆりが、幕末の天才浮世絵師・月岡芳年の描いた「古事記の名場面」をご紹介します。奇抜な展開満載の日本神話のストーリーをより楽しめますよ。

芳年の描く神武天皇と、日本神話を題材にした意外なワケ

大日本名将鑑 神武天皇
大日本名将鑑 神武天皇

古事記や歴史に触れる機会が多い方は、このピシャーンと光りを放つ集中線の効いた神武天皇を目にした覚えがあるのではないでしょうか。周囲の人々も「うひゃあ〜」とあまりの眩さに転がってますし、ご威光が強いですよね。

これは神武天皇が長い遠征の果てに、最後の闘いに勝利する名シーン

強敵に苦戦する神武天皇のもとに、暗雲を割って金色に輝く鵄(とび)が現れ、手に持つ弓に止まると稲妻のように光り輝きました。皇軍は敵が目を眩ませ混乱したところを、一気に攻め滅ぼすことができました。


日本神話の書籍や特集でちらほら出番があるこの作品を描いたのが、月岡芳年(つきおか よしとし)です。幕末から明治中期(1839年 – 1892年)にかけて活躍し、最後の浮世絵師とも呼ばれています。武者絵・美人画・新聞挿絵と多岐にわたって描き続け、54年の生涯で日本神話や古代の功臣をモチーフにした作品も多く手がけました。

芳年が日本の古代神話を題材にしたのは、個人の強い関心によるものではなく新時代が訪れたから。キリスト教でも仏教でも宗教画の目的は布教強化で、それが日本で必要となったのが明治時代です。新政府になり外交が始まり、日清戦争(1894年)が勃発。富国強兵が国家的なスローガンとなって愛国心が求められ、挿絵や絵画でも正史の題材が好まれました

大日本史略図会 神武天皇
大日本史略図会 神武天皇

芳年は、庶民の月給が20〜50円の当時で月給100円の超売れっ子。それだけ腕がよく、時代が求める表現をキャッチできる人でした。江戸中期から浮世絵界を牽引した歌川派に12歳で入門して腕を磨き、幕末に入ってくる西洋絵画に強い影響を受け…基本に則りながら、相反する「西洋と日本」「開化と復古」を融合させて、独自の画風へと発展させた稀有な絵師です。国家を意識した連作では「大日本名将鑑」「大日本史略図会」など「大いなる日本」の名称を冠に描き切りました。

この時期は木版技術も最高水準で、彼自身の円熟期にもあたるので、見応えのある作品ばかり。弟子や後続の絵師に超える画力は見受けられません。次第に木版から活版印刷へ、浮世絵から挿絵・写真へと移りかわってゆきます。

臣下のヨイショ姿がたまらない。荒ぶる雄略天皇と、はずむ躍動感

大日本史略図会 雄略天皇
大日本史略図会 雄略天皇

この作品に登場するのは雄略天皇です。どんな人物か、見ればすぐよくわかりますよね。はい、どう見ても紛うことなき荒くれ者です。

先ほどの神武天皇は「国の歴史書に記された、最初の天皇」ですが、雄略天皇は「考古学で実在が確認できた、最古の天皇」。1978年に雄略天皇の別名「ワカタケル」の名が刻まれた鉄剣が、埼玉県の稲荷山古墳で出土され話題になりました。

雄略天皇は5世紀の人物で、記紀では皇位を継ぐために難癖をつけて兄弟たちを殺害したり、独善的な行動が多く描かれ、大悪天皇と呼ばれています。7人兄弟の末っ子なのに皇位につくのですから、実行力のある知略家なのかもしれません。

芳年が描いたのは、葛城山での狩りの場面。

狩場で猪が怒り狂い襲ってきたので、雄略天皇は「殺せばいい」と臣下に命じました。しかし、恐れおののいた臣下は木に登ってしまいます。これに怒った雄略天皇は自ら事もなく猪を退治したあと、命令に応じなかった臣下を斬り殺そうとします。

同行していた皇后が臣下を哀れんで「その行為は獣と同じですよ」と諌めると、天皇は「私でなく、臣下を心配するのか」といいつつも「いい言葉をもらった」と大笑いします。


大日本史略図会 雄略天皇 一部抜粋
大日本史略図会 雄略天皇(一部抜粋)

迷いなく勢いのよい足の上げっぷり、蹴り慣れてますね。体幹もしっかりしている。人の背丈以上もある大猪をひと蹴りでズドーンと転がしております…この凄まじいキック力はサンジやマイキー相当じゃないでしょうか(いきなりの漫画ネタ、失礼しました)。原作では踏み殺すとありますが、芳年は絵的に「らしく魅せるため 」、躍動感がでるようアレンジしているようです。


大日本史略図会 雄略天皇 一部抜粋
大日本史略図会 雄略天皇 (一部抜粋)

臣下たち、「すごいですね〜!」「さすが!」と全力でリアクション。天皇の背後で見られていないのに、全身全霊で賞賛しています。この眉の垂れっぷりは、だいぶムリしていますよね。もう恐くて恐くて気を遣う習性が染み付いてるのかも(一番後ろの人だけ冷やかしっぽい表情ですが)。

このエピソードは日本書紀のもので、古事記では強気でいた雄略天皇は猪に追いたてられるハメになり、木に登って難を逃れます。前述の通り富国強兵の時代で、親しみを持てる古事記での愉快な姿は選ばれなかったようです。残念。


芳年の腕前は、それ以前と比較すると分かりやすいので一例を挙げますね。

歌川国芳  源頼光 四天王 土蜘蛛退治之図
歌川国芳/ 源頼光 四天王 土蜘蛛退治之図

この歌川国芳は芳年が10年くらいお世話になった超人気画塾のお師匠さんです。ダイナミックかつユニークな表現が得意で、自由な表現を禁止された天保の改革下でも、規制を逆手にとってオリジナリティ溢れる絵を描き続けた人気絵師。好奇心旺盛で、西洋画の遠近法や立体的な陰影表現にも挑戦しています。

そんな国芳ですが芳年と見比べると、武者たちの動きがピタッと静止して見えませんか?時が止まったようです。

芳年の雄略天皇は、宙に蹴り飛ばされた猪の重さ・ズドンと落ちる方向・音まで、パッと見ただけで次の動きのイメージが湧くと思います。これは遠近法やアングルの理解・デッサン力で生み出されたもの。紙面に奥行きを捉えて、手前の猪は大きく、遠くの臣下は小さく。人物の骨格を理解しているので、服の皺の入り方も自然です。

芳年は戦に負けた人々を題材にするときは、遺体の残る戦場跡まで実際に写生に赴くほど、リアリティを絵に宿すことに熱心でした。西洋画を見慣れた現代の私たちが、芳年の絵を違和感なく鑑賞できるのは、彼の並はずれた探究心と従来の平面的な描写から脱却する鍛錬に裏付けされたものなのです。

愛するのは夫か兄か…赤子を託し、業火に消えた沙本毘売

大日本名将鑑 上毛野八綱田
大日本名将鑑 上毛野八綱田

炎の強さ・熱がまざまざと伝わってくる作品です。色数を限定した赤・黄と影の黒だけの構成で臨場感が凄まじい。

ふだんなら何もないであろう静寂な闇夜に膨れ上がる黒煙、風に広がり人々の顔さえ赤く照らすほどゴオゴオと燃え盛る火、焼け焦げる灰の匂い、不穏な空気。あまりの熱気に尻込みし、誰も火中の姫に近づけない。たおやかな姫は顔色ひとつ変えず、助けを求めず、業火に包まれながら死を静かに待つ…。

「沙本毘古王の反逆」のクライマックスが、逆光による明暗の対比で劇的に表現されています。

ある日、沙本毘売は大切な兄に天皇殺害を手伝うようにいわれますが、愛する夫の命を奪うことはできず、兄の謀反が露見してしまいます。

討伐軍が兄のもとに攻め寄せると沙本毘売は耐えきれず、身重のまま兄の立てこもる稲城(いなき)へ入りました。天皇も臣下もなんとか后を救出しようとしましたが、沙本毘売の意志は固く、稲城で生まれた御子のみを天皇に託して、兄と運命をともにしました。

このエピソード、悲劇なのに古事記らしい「こんな時に悠長な…」「それ、いま言う?」という面白い掛け合いもあるのでおすすめです。天皇が「君が死んじゃったら、夜ひとりで眠ることになるよね」「いいこ紹介して」と最愛の妻の死に際にサラッと尋ね、「それなら、あのこが…」と燃えている毘売も応えたりしています。

美しさと雄々しさに隠れた悲哀。我らがヒーロー・日本武尊

月百姿 賊巣の月 小碓皇子
月百姿 賊巣の月 小碓皇子

古事記というテーマを抜きにすると、月百姿は1番に紹介したい作品集です。名の通り、月が画中に描かれた100枚の連作。線や配色が柔らかく繊細で、人物のわずかな仕草や表情・後ろ姿にも哀愁が漂い、情感あふれる世界が展開されています。摺りも空押しや雲母摺といった、エンボスやパール加工などの職人技が巧みに取り入れられ、みる角度で白衣に模様が浮かび上がるなど、粋を極めています。

月百姿で描かれる古事記はこの小碓皇子(おうすのみこと=日本武尊)のみで、西征の場面が選ばれています。

ある日、景行天皇は息子のひとり・まだ成人していない小碓皇子に「従わない者たちが西にいる。討ってこい」と命じました。景行天皇は小碓皇子のもつ猛々しさを恐れ、近くにいてほしくはなかったのです。

九州に着くと、小碓皇子は敵の宴席に女装をして潜り込み、酒に酔わせ油断させて倒します。この時、敵は「自分たち熊曽建(くまそたける)より強い者が大和にいた。名をやる。これからは倭建命(やまとたけるのみこと)と名乗るがよい」といい息絶えました。

半月に照らされ、剣を背に隠しながらそっと敵の暗殺に向かう、芳年の小碓皇子の姿…いいですよね。しかも中性的な美男子で、敵の目を欺くために少女の姿をしているという。なにそのワクワクするドラマ設定…です。図像の典拠や有職故実の教科書となった菊池容斎の「前賢故実」の影響が見られる作品で、芳年が常に学び、作品へとアウトプットする姿勢も窺えます。


芳年武者无類 日本武尊・川上梟師
芳年武者无類 日本武尊・川上梟師

こちらは先ほどの続きの場面。美少女だと思い込んで隙を見せた敵・川上梟(かわかみのたける)に日本武尊が襲いかかり剣を胸に突き刺しています。「武者无類(むしゃぶるい)」とあるように武者絵の連作なので、猛々しく躍動感があるアングル。暗闇で揉み合う2人にスポットライトを当てたように、周囲が絶妙なグラデーションで囲われています。神武天皇の集中線もですが、芳年はこうした演出が巧みなのです。かっこいいですね。


大日本史略図会 景行天皇
大日本史略図会 景行天皇

ここに描かれているのは「大日本史略図会 景行天皇」というタイトルですが、日本武尊。駿河の草原で賊の火攻めにあい、草薙剣で難を逃れたエピソード

西征から戻ると休む間もなく、景行天皇は「東の敵を倒しなさい」と命じました。兵も与えられず、父に疎まれていると嘆く日本武尊に、叔母の倭媛は草薙剣を授けます。

日本武尊は東征の途中、野原で敵に騙されて火攻めに遭うと、草薙剣で草を切り野火の勢いを鎮めて、難を逃れました。その後に騙した敵のもとへいき、斬り殺して火で滅ぼしてしまいました。


同じ炎に包まれる場面でも、業火に消える沙本毘売は赤々とした色使いでしたが、日本武尊は焼け野原の黒々とした鎮火の表現。単調になりがちな灰色を赤寄り・青寄りと多色にし、命からがらの恐ろしい闘いの痕跡を多彩な表現で描き出しています。

日本武尊の、きっと一文字に口を引き結んで立ち尽くす姿は、死闘による緊張だけでなく、父に疎まれていると知りながら、期望に応え、心を強く持とうと耐える息子の心情すら窺わせます


大日本名将鑑 日本武尊
大日本名将鑑 日本武尊

最後は武具を武蔵国にある「秩父の岩倉山」に納める場面です。芳年の時代、武蔵は「武具を蔵めるという意味の国名だ」という話が流布していたそうです。物語も後半にさしかかり、はじまりの川上梟師討伐より威厳に満ち溢れて、貫禄が生まれていますよね。

まとめ

月岡芳年の古事記、いかがだったでしょうか?

芳年は幕末・明治の荒波に筆を折らず、時代を個性に取り込んだ最後の浮世絵師。そして、たいへんな人情家だったそうで、日本武尊の4作品などを見ても、登場人物に深く共感し、映画のように起こる出来事をつぶさに捉えて創作しているように思えます。

月岡芳年の描く古事記は、まだまだたくさんありますので、ぜひ眺めながらドラマチックな神代・古代の物語を楽しんでください。

関連情報

月岡芳年の古事記作品リスト

■ 月百姿
賊巣の月 小碓皇子
■ 芳年武者无類
日本武尊・川上梟師
大臣武内宿弥
■ 大日本名将鑑
天磐戸
素戔嗚尊
神武天皇
道臣命
上毛野八綱田
日本武尊
神功皇后
大将軍田道の霊
大伴金村
■ 大日本史略図会
神武天皇
雄略天皇
天照皇大神
景行天皇
■ 大日本略史之内
素戔嗚尊出雲の簸川上に八頭蛇を退治したまふ図

※ほかにもあるかもしれませんが、知る限りを掲載。

月岡芳年、もっと知りたくなったら

国立国会図書館デジタルコレクション

Japsearch

シカゴ美術館

上記3サイトで検索すると、高画質の作品を閲覧できます。

・書籍「月岡芳年 幕末・明治を生きた奇才浮世絵師 (別冊太陽)」
在庫切れで古本になりますが、1冊目におすすめ。
太田記念美術館
豊富に収蔵しており、芳年の企画展も多い浮世絵専門の美術館です。

古事記、もっと知りたくなったら

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Writer ゆり

奈良の心地よさが好きで橿原に移住しました。歩けば古事記ゆかりの地に出会う幸せ。ガイド本にはない体験を伝えられたらと思ってます。

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