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応神天皇の生まれた宇美八幡宮

投稿日:2022/12/14 最終編集日:2022/12/05

応神天皇の誕生日・誕生地

十二月十四日誉田天皇(應神天皇)を筑紫の蚊田に生み給う時今其の産所を號(なず)けて宇瀰という。(『日本書紀』)

というわけで12月14日、応神天皇のお誕生日です!おめでとう‼︎

明治以前はすべて旧暦で12月14日祭神應神天皇御降誕の日で年一度の大祭が行われていました。 誕生会・御降誕祭とも言われていました。同じ御祭神をお祀りする福岡市東区の筥崎宮においては新暦の12月14日、御降誕祭としてお祭りが奉仕されています。(中略)

明治の官制により1月5日を年間を通じての例大祭「御誕生祭」と定め、祭典が執行されることになりました。(宇美八幡宮HP)

というわけで、宇美八幡宮では御誕生祭は1月5日に行われていますが、宇美八幡宮上宮の胞衣ヶ浦では、胞衣ヶ浦祭というものを12月14日に行っています。

比較すると最近で、もっと有名な戦国武将でさえ、生まれた日も場所も分からない人は多いのに、1800年とかそれ位昔の人の生まれた日や場所が伝わってるというのは本当にすごい。

命日だけ分かるパターンが多くて、命日に祝うのも何か違う気がするしどういうテンションで記念日を臨めば良いの⁉︎ってなるのは歴史上の人物推しあるあるだと思うのですが、その点応神天皇の誕生日は素直に祝えますよね⁉︎やったー★

神功皇后もよく頑張りました、って、神功皇后におめでとうを言いたい日でもあります。

安産信仰に関する伝説地 宇美八幡宮

宇美八幡宮には、神功皇后の出産にまつわるものが沢山あります。

その為、神域一帯が「安産信仰に関する伝説地」として、昭和30年に福岡県に指定されています。

子安の木

神功皇后は帰国後、この地に産殿を建て、槐(えんじゅ)の木を手折った枝に取りすがりって出産しました。

そしてその枝を地に刺すと、槐は生い茂りました。

その当時の木そのものはもうないけれど、その種子が残り今の木へと続いています。

皇后皇女を始め、産平安の衣木(みそぎ)には、必ずこの槐を用いたとされています。

槐は中国原産で、中国の本草学によれば、解毒、補精に効果があり、その枝にすがれば安産するという信仰があります。

古くから韓国でも栽培されているので、もしかしたら、神功皇后が朝鮮半島に行った時に手折って持ち込んだ枝なのかもしれません。

産湯の水

応神天皇が誕生した時に産湯として用いられました。

表示石の揮毫者は、元内閣総理大臣、廣田弘毅が十三歳のときの揮毫によるものが刻まれています。

湯蓋の森

宇美八幡宮には、樹齢二千年以上と推定される国指定天然記念物の木が2つあります。

その内の1つがこの、湯蓋の森です。

生い茂る枝葉が湯釜の蓋のような役割をしたから「湯蓋」。

木があまりに大きいから、1本で「森」という名前。


あまりにも大きくて立派なので、私はこの木の周りをしばらくぐるぐるしました。

これはもう、実際に側に行って体感して欲しい!すごく良い気を持っています。

また会いに行きたい木です。

衣掛の森

もう1つの国指定天然記念物、衣掛の森も大変立派な木です。

「木」じゃなくて「森」と呼ばれるだけの事はあります。

応神天皇の産衣を掛けたので、衣掛の森です。

湯方社

助産師の祖神「湯方殿」が祀られています。

湯方大神又は湯方殿とも称され、応神天皇御降誕の際、産婆の役としての御功績によりお祀りされたと伝えられています。

子安の石

「湯方社」を囲むように、玉垣を築きこぶし位の石が山ほど積まれています。

宇美八幡宮以外の神功皇后を祀る神社でもよく見かけるこの石は、子安の石と呼ばれます。

まず、神社で安産祈願を終えた妊婦がお産の鎮めとして此処の石を預かって持ち帰ります。

(前回鎮懐石神社で書いた神功皇后の鎮懐石のエピソードがこれに繋がります。)

そして、無事出産出来た暁には、別の新しい石にお子様の名前等を記して健やかなる成長を願い、安産御礼(初宮詣)の御祈願にてお祓いの後に、預かった石と一緒にお納めするのが慣しとなっています。

この「子安の石」の信仰はいつ頃始まったかは定かではありませんが、「筑前國続風土記」には記されているので江戸時代にはあったことが分かります。

名前の書かれた沢山の石達を見ると、「これだけの子供が無事産まれたんだな!」とも思われて、なんともめでたい気持ちになります。

みんな、お誕生おめでとう!

奥宮「胞衣ヶ浦」

境内を出て「胞衣ヶ浦」へ向かいます。

少ぉし距離がありますが、一本道なので迷う心配はありません。

応神天皇の胞衣は、産舎の後ろにある川(宇美川)にてすすぎ、筥に入れて山に奉安したとされます。
その地を「胞衣ヶ浦」と称し、祠を建てお祀りしています。

胞衣というのは、胎盤や羊膜、臍帯のことをいいます。

古くから、胞衣には呪力があると信じられ、胎盤に願い文を添えて瓶に入れ、戸口の下に埋める慣習が古くからあったことが、奈良時代の「医心方」に詳細に記されています。
明治中期まで、胞衣は甕や壺、桶や筥等に入れ、戸口や土間または山中などの土の中に埋められていました。

今でも、へその緒を桐の箱に入れて保管しておく風習がありますよね。

命に関わる大病をした時に煎じると良いとも言われます。

今、一般家庭の子供の胞衣を埋めた場所をこんなに仰々しく祀ることはありませんが、誕生記念にへその緒をとっておくのの延長線上に胞衣ヶ浦があるのだと思うと、神功皇后や応神天皇をぐっと身近に感じます。

子安餅

こちらは宇佐神宮で食べることが出来る子安餅。

神功皇后が出産間近と聞いた里人達が、餅を献上しましたが、ほどなくして無事出産した為、安産を願う餅として「子安の餅」と言い伝えました。

それはそれで素敵なエピソードなのですが、福岡県民お馴染みの梅ヶ枝餅(太宰府天満宮)と大変良く似ています。

調べると実際に、製法は同じと書いてありました(笑)

きっと、古くから福岡県一体の里人達がよく作っていた、地元の人達からすると特に珍しくもない餅だったけれど、神功皇后や菅原道真など他所から来た人にとっては特別に感じられたとか、そんな感じなのでしょう!

子安餅には神功皇后の思いが、梅ヶ枝餅には菅原道真の思いが込められた餅、ということで。

宇美八幡宮にまつわる歌

宇美八幡宮には、宇美八幡宮にまつわる歌が色々書いてありました。

諸人を はくくむ誓 ありてこそ うみの宮には あとをたれけめ
藤原家隆(萬代集)

藤原家隆は、鎌倉時代初期の公卿、歌人。

上記の歌は、競技かるたの宇美大会での序歌として使われてもいるそうです。

かけまくも 畏けれども うみの宮 我が皇神に しろしあらませ
慈円(拾玉集)

慈円は、平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧侶、歌人。(大河ドラマ、鎌倉殿の十三人にも出ている人物)

朝日さす 香椎の杉に ゆうかけて くもらずてらせ 世をうみの宮
西行(夫木和歌抄)

西行は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士であり、僧侶、歌人。

鎌倉時代の歌人にも愛された、宇美八幡宮なのでした。

関連情報

ゆかりの地

●宇美八幡宮

福岡県糟屋郡宇美町宇美1丁目1-1

公式サイト:http://www.umi-hachimangu.or.jp/

対応するラノベ古事記

●『朝鮮出兵』(原文)

● 天皇・人物 一覧

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Writer 筑前 ゆき

着物を着たり着なかったりして、主に福岡県内をウロウロ。マイブームは神功皇后ゆかりの地巡りとお遍路。参拝の為に山に登ったりもしています。

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