日本の神話・古事記の情報発信サイト
古事記とは、日本神話から古代天皇の時代までをまとめた、日本に現存する最古の歴史書です。
……え?
歴史書なのに、神話から始まるの?
と、思った方もいるかもしれません。
そうなんです。
古事記には、天地がまだ分かれていなかった世界から始まり、神々が生まれ、日本列島が生まれ、やがて天皇の時代へとつながる、一連の流れが日本の歴史として描かれています。
特に上巻には、イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、オオクニヌシ……などなど。
今も神社に祀られている神様たちが続々と登場します。
そのため古事記は、
とは、きれいに分かれていません。
なぜなら、日本という国の始まりそのものが、あまりにも昔だから。
日本の皇室は、ギネス世界記録にも「世界最古の王家(Oldest ruling house)」として認定されているほど、長い歴史を持っているのです。
古事記では、その始まりを初代・神武天皇までさかのぼって語ります。
でも、そのさらに前は?
世界はどうやってできたのか。誰がこの国をつくったのか。
昔すぎて、全く分からない……
実はその悩み、1300年前に古事記をまとめた太安万侶本人も、同じことを書いているんです。
安万侶は、古事記の序文でこんな趣旨のことを語っています。
「世界の始まりはあまりにも遠く、まるで雲をつかむようで、直接知ることはできません。けれど、古くから伝わる教えや先人たちのおかげで、国が生まれ、神が生まれ、人の世が始まった頃のことをうかがい知ることはできます」
――つまり、古事記を書いた本人ですら、「最初のことは昔すぎて、はっきりとは分からない」という前提で書いているんです。
それでも、白く霞んだ遠い昔の向こうに、先人たちが残した言葉をたどれば、その輪郭は見えてくる。
だから古事記では、天皇や人の歴史からではなく、昔から人々の間で語り継がれてきた神様たちの物語から、日本の歴史が始まるのです。
神話から始まり、人と神の境が曖昧な時代を経て、やがて人の時代へつながっていく……
古事記は、そんなちょっと珍しい歴史書なのです。
「歴史書」と聞くと、年号と出来事がずらっと並んだ教科書を想像するかもしれません。
しかし、古事記は違います。
神様が恋をして、嫉妬して、喧嘩して、泣いて、逃げて、盛大に失敗する。
そして、その神々の物語の先に、私たちの知る日本の歴史が続いていきます。
日本という国は、どこから始まったのか。
古事記は、その問いに1300年以上前の日本人が答えようとした物語でもあるのです。
古事記は、上巻(かみつまき)・中巻(なかつまき)・下巻(しもつまき)の全3巻に分かれています。
そして面白いことに、この3巻を順番に読んでいくと、さっきお話しした
「神話から始まり、やがて人の時代へ」
という流れが、そのまま見えてきます。
ものすごーーーくざっくり分けるなら、こんな感じ……
です。
上巻は、ほぼまるごと日本神話です。
まだ天も地も分かれていない世界から神々が生まれ、イザナギとイザナミが日本列島を生み、アマテラスやスサノオ、オオクニヌシたちが登場します。
天地開闢、国生み、黄泉の国、天岩戸、ヤマタノオロチ、因幡の白兎、国譲り、天孫降臨……。
現在「日本神話」として知られている有名なお話の多くが、この上巻に詰まっています。
そして物語の最後には、アマテラスの孫・ニニギが地上へ降り、その子孫として、のちに初代・神武天皇となるカムヤマトイワレビコが誕生します。
つまり上巻は、神様たちだけの世界から始まり、人の世を開く初代天皇が生まれるところで終わる。
日本神話は、ここでいったん幕を閉じます。
そして中巻からは、その神々の子孫である天皇たちの物語へ。
神話の世界から、人の歴史へ。古事記はここで大きくバトンを渡すのです。
中巻は、初代・神武天皇から第15代・応神天皇まで。
ここからいよいよ、天皇たちの物語が始まります。
……とはいえ、まだまだ神話の世界は終わりません。
神武天皇はアマテラスの子孫ですし、神様からお告げを受けたり、不思議な力に助けられたり、結婚相手が神だったり。
ヤマトタケルの物語にも、神剣・草薙剣や山の神が当たり前のように登場します。
人間が物語の中心になっているものの、すぐ隣には神様がいる。
上巻の「神様の時代」と、下巻の「人間の時代」の間にある、まさに神と人の境が曖昧な時代なのです。
下巻は、第16代・仁徳天皇から第33代・推古天皇まで。
ここまで来ると、神様が物語へ直接登場することはぐっと少なくなります。
代わりに増えてくるのが、
恋愛、嫉妬、兄弟争い、皇位継承、裏切り、復讐――。
めちゃくちゃ人間臭い。
天地すらなかった世界から始まった古事記が、下巻に入る頃には、人間たちが恋をしたり争ったり、皇位をめぐって争ったりする世界へと移っていきます。
そして物語の内容も、考古学やほかの史料と重ねて「歴史」として認められる時代になっていきます。
とはいえ、神様たちが完全に姿を消すわけではありません。
雄略天皇の章では一言主神も登場し、人の世のすぐ隣に神の気配を残しています。
上巻で世界の中心にいた神々が、中巻で人と並び、下巻ではゆっくりと背景へ退いていく。
そんなグラデーションのような変化も、古事記の面白さの一つ。
上・中・下巻を通して読むと、「日本のはじまり」から「人の世」までを、一つの物語としてつながったまま楽しむことができるのです。
では、古事記の物語を最初から最後まで、さらにギュッと縮めてみましょう。
古事記の始まりには、まだ日本どころか、世界すらちゃんとできていません。
天と地が分かれ始めた世界に神々が現れ、やがてイザナギとイザナミという男女の神様が生まれます。
二柱は力を合わせ、国生み神話で日本列島を生み、続く神生み神話でたくさんの神様を生み出していきます。
ところが、イザナミは火の神を生んだことで命を落としてしまいます。
妻を取り戻したいイザナギは、死者の世界・黄泉国まで追いかけます。
これが有名な黄泉の国神話。
しかし、そこで二人は永遠に別れることになります。
その後、黄泉国から戻ったイザナギが禊をすると、アマテラス、ツクヨミ、スサノオという三柱の神様が誕生します。
ここからは、
アマテラスの天岩戸神話、
スサノオのヤマタノオロチ退治、
と、有名な日本神話が次々に登場します。
そしてスサノオの系譜から現れるのが、オオクニヌシ。
因幡の白兎や兄神たちとの争いを経て、オオクニヌシは地上の国をまとめていきます。
ところが、その国を見たアマテラスたちは、
「そこ、私たちの子孫が治める国なんだけど」
と、国を譲るよう求めます。
これが国譲り神話です。
オオクニヌシが国を譲ると、今度はアマテラスの孫・ニニギが地上へ降ります。
これが天孫降臨神話。
ニニギはコノハナサクヤヒメと結ばれ、その子は海幸彦と山幸彦の物語の主人公として登場します。
有名な神話の多くが、古事記の物語の一部なのです。
そして、その系譜の先に生まれるのが、のちの初代・神武天皇となるカムヤマトイワレビコ。
中巻に入ると、神武天皇が東へ進み大和を目指す神武東征が描かれ、ここから天皇たちの物語が本格的に始まります。
そして登場するのが、古事記屈指の英雄・ヤマトタケル。敵を討つために女装して宴へ潜り込んだり、草薙剣を手に各地を遠征したりと、かなり波瀾万丈な人生を送ります。
さらに、神のお告げを受けた神功皇后の朝鮮半島遠征へと物語は続き、中巻はその子・応神天皇の時代まで。
下巻に入ると、物語はさらに人間臭くなります。
仁徳天皇と嫉妬深い皇后・石之日売の夫婦模様。
実の兄妹で愛し合い、最後にはともに死を選ぶ軽太子と軽大郎女の悲恋。
父を殺した天皇への復讐として、わずか7歳の目弱王が安康天皇を暗殺する事件。
そして、兄や政敵を次々と倒していく雄略天皇・大長谷王の暴虐――。
神話の世界から始まった古事記は、こうして恋愛、復讐、皇位継承、暗殺といった、ぐっと歴史らしい人間社会の物語へ移っていきます。
それでも神様が完全に消えるわけではなく、雄略天皇の章では一言主神も登場します。
そして物語は、第33代・推古天皇の時代で幕を閉じるのです。
世界の始まりから、国生み、天岩戸、ヤマタノオロチ、因幡の白兎、国譲り、天孫降臨、神武東征、ヤマトタケル、仁徳天皇、雄略天皇――。
「聞いたことある!」という日本神話や古代の物語が、実は一つにつながっている。
これが古事記という、とんでもなく長い物語の大筋です。
ここまで読むと、
「じゃあ、こんな壮大な話を誰がまとめたの?」
という疑問が出てきます。
古事記が完成したのは、和銅5年(712年)。
奈良時代が始まったばかりの頃です。
ただし、712年になって突然、
「そうだ、古事記つくろう!」
となったわけではありません。
その前には、かなり長い前史があります。
『日本書紀』によれば、推古天皇28年(620年)、厩戸皇子(聖徳太子)と蘇我馬子らが、『天皇記』『国記』などの史書を編纂しました。
ところが、その馬子の子・蘇我蝦夷の代になると、政局は大きく揺れます。
645年、中大兄皇子と中臣鎌足による乙巳の変で、蝦夷の子、つまり馬子の孫にあたる蘇我入鹿が殺害されると、父・蝦夷は自邸に火を放って自害しました。
その際、『天皇記』などの史書も焼失しましたが、船史恵尺が燃えさかる屋敷の中から『国記』を持ち出し、中大兄皇子へ献上したと『日本書紀』には記されています。
こうして、それまで編纂されていた歴史書の一部が失われてしまいます。
そして時代は、中大兄皇子こと天智天皇の弟、天武天皇へ。
古事記の序文によると、天武天皇は、当時伝わっていた帝紀や本辞に、事実と違う内容や食い違いが生まれていることを問題視していました。
このまま放っておけば、年月が経つほど本当のことが分からなくなってしまう。
つまり、
となったわけです。
そこで天武天皇は、稗田阿礼という人物に、それまで伝わってきた歴史や伝承を誦習させます。
ところが――。
完成する前に、天武天皇が亡くなってしまいます。
企画、止まる。
そのまま20年以上が経過。
そして711年。
この長らく止まっていた編纂事業を再び動かしたのが、元明天皇でした。
元明天皇は太安万侶に、稗田阿礼が誦習していた内容をまとめるよう命じます。
そして翌712年、ついに『古事記』が完成。
元明天皇へ献上されました。
天武天皇が始めた事業が、約30年の時を経て、ようやく一冊の書物として形になったのです。
ちなみに私は古事記をラノベ化して10年以上経っていますが、まだ最後まで終わっていません。
安万侶、仕事が早すぎる。
「古事記の作者は誰?」
というのも、よくある疑問です。
しかし古事記は、小説のように、
「この人が一人で書きました!」
という本ではありません。
古事記の成立に大きく関わった人物として、特に重要なのが、
天武天皇・稗田阿礼・太安万侶・元明天皇
の4人です。
まずは天武天皇。
何が本当で、どこからが偽りなのか分からなくなりつつあった歴史や伝承を整理し、正しい形で後世へ残そうと考えた人物です。
言ってしまえば、古事記編纂プロジェクトの発案者。
そして、その大仕事に抜擢されたのが稗田阿礼でした。
稗田阿礼は、古事記の序文によると当時28歳。
非常に聡明で、「目に触れたものは口で読み、耳で聞いたものは心に刻む」ほど、記憶力に優れた人物だったと記されています。
そこで天武天皇は阿礼に、帝皇日継や先代旧辞を誦習させました。
要するに、
「日本の神話と歴史まとめるから、全部覚えて☆」
という、とんでもない仕事を任せたわけです。
なお、稗田阿礼について分かっていることは非常に少なく、舎人と記されていることから男性とみる説が有力ですが、女性だったという説もあります。
古事記を語るうえで欠かせない人物なのに、本人は謎だらけ。
そこも阿礼のおもしろいところです。
そして、阿礼が誦習していた内容を実際に文章としてまとめたのが、太安万侶です。
元明天皇から命を受け、古くから伝わってきた言葉を整理し、文字にしていきました。
今風に言えば、編集者兼ライターみたいな役割でしょうか。
ただし、この仕事。
現代人が想像するより、ずっと大変だったようです。
なぜなら当時は、まだ現在のようなひらがな・カタカナがなかったから。
日本語で語られてきた言葉を、漢字だけでどう書くんだよ問題が発生します。
この問題については、安万侶本人も序文でかなり苦労を語っています。
この話は、後ほど「古事記の原文」のところで詳しく見てみましょう。
そして忘れちゃいけないのが、元明天皇。
天武天皇が亡くなったことで止まっていた事業を、20年以上後になって再始動させた人物です。
元明天皇が、
「あの企画、ちゃんと完成させよう」
と動かなければ、古事記は現在の形では残っていなかったかもしれません。
天武天皇が始め、阿礼が伝え、安万侶が書き、元明天皇が完成へ導く。
誰一人欠けても、古事記は成立しなかったのではないでしょうか。
ただ、ここで忘れてはいけないのが、古事記をつくったのは、この4人だけではないということです。
厩戸皇子(聖徳太子)や蘇我馬子は『天皇記』『国記』などの史書を編纂し、乙巳の変では船史恵尺が燃える屋敷から『国記』を救い出しました。
さらに、古事記が一冊の本になるよりずっと前から、日本神話や歴史は、口伝で人から人へ語り継がれてきました。
文字で記録される以前には、それを覚え、語り、次の世代へ渡してきた人たちがいました。
各地にそれぞれの伝承を受け継いできた人々がいて、朝廷にも歴史を記憶し、伝える人々がいたはずです。
そして、古事記の中に名を残した神々や天皇、皇族、氏族の物語も、誰かが語り継いだからこそ、後の時代まで残った。
つまり古事記は、
一人の作者がゼロから書いた本ではなく、名も残っていない人まで含めた、何世代もの記憶と言葉が最後に一つへ集まった、奇跡の書物
なのです。
古事記について調べると、必ずと言っていいほど一緒に出てくる本があります。
『日本書紀』です。
「どっちも日本神話と歴史が書いてあるんでしょ?」
「何が違うの?」
と思いますよね。
まず一番分かりやすい違いは、成立した年。
| 比較 | 古事記 | 日本書紀 |
|---|---|---|
| 成立 | 712年 | 720年 |
| 巻数 | 全3巻 | 全30巻+系図 |
| 範囲 | 神代〜推古天皇 | 神代〜持統天皇 |
| 編纂 | 太安万侶ほか | 舎人親王ら |
| 文章 | 漢文を基礎に、日本語の表現や音も残す | 基本的に漢文で記される |
| 神話 | 一つの物語としてまとめる | 異なる伝承も「一書曰」として残す |
古事記は712年。
日本書紀は、その8年後の720年に完成しました。
古事記が全3巻なのに対し、日本書紀は全30巻+系図。
書かれている時代も、日本書紀の方が後まで続きます。
そして神話を読むと、二つの本の性格の違いがかなり見えてきます。
古事記は基本的に、伝承を一つの物語としてつないでいくスタイル。
対して日本書紀では、本文とは異なる伝承を、
「一書曰(あるふみにいわく)」
としていくつも残しています。
つまり、
「メインではこう書くけど、別の資料ではこうなってるよ」
「ちなみに、こんなパターンもあるよ」
という情報まで残してくれている。
これがめちゃくちゃ面白い。
たとえば、同じ神様でも古事記と日本書紀では名前が違ったり、家族関係が違ったり、活躍する場面そのものが違ったりします。
だから日本神話は、
「この神様は絶対こう!」
と一つの設定だけ覚えるより、
「古事記ではこう。日本書紀ではこう。さらに別説ではこうだし、社伝では……」
と比べていくと、神話の世界はどんどん広がっていきます。
そして気づけば、どっぷり沼の深みにハマっているのです。
同じ神様や人物を扱っているのに、語り方も残された伝承も違う。
古事記と日本書紀は、どちらか片方だけが正解というより、並べて読むことで、古代の人たちが残したさまざまな伝承が見えてくる二つの史書なのです。
そして、古事記といえばやっぱり日本の神様。
古事記には、とにかくたくさんの神様が登場します。
有名どころだけでも、
イザナギ、イザナミ、アマテラス、ツクヨミ、スサノオ、オオクニヌシ、ニニギ、コノハナサクヤヒメ……。
さらに読み進めると、
「誰!?」
「また神様増えた!」
「名前長っ!!」
という神様が山ほど出てきます。
大丈夫です。
私も最初は「誰!?」でした。
しかし、神様同士の親子関係や役割が分かってくると、古事記はぐっと読みやすくなります。
たとえばアマテラスとスサノオは姉弟。
オオクニヌシはスサノオの系譜につながり、ニニギはアマテラスの孫。
そしてニニギの子孫が、やがて神武天皇へとつながります。
つまり、神様を一柱ずつバラバラに覚えるより、「誰と誰がつながっているのか」を見ると、古事記そのものの物語が見えてくるんです。
このサイトでは、古事記に登場する神様を、名前・系譜・登場する神話などから調べられるようにまとめています。
「この神様、誰だっけ?」
となったら、ぜひ神様一覧を使ってください。
では、1300年以上前に書かれた古事記。
実際の原文は、どんな文章なのでしょうか。
ここで大問題があります。
当時、ひらがなもカタカナもまだありません。
でも、残したいのは日本語です。
じゃあどうするの?
漢字でなんとかするしかない。
そこで古事記では、漢字を意味どおりに使ったり、意味とは関係なく音だけを借りて日本語を表したり、いろいろな方法を組み合わせています。
たとえば神様の名前などには、漢字の意味ではなく音を表すための文字がたくさん使われています。
しかも安万侶本人も、
「全部意味に合わせて書くと、本来の言葉が伝わらない」
「かといって全部音で書いたら、めちゃくちゃ長くなる」
という趣旨のことを序文で説明しています。
つまり1300年前の編集者も、
「日本語、漢字だけで書くのムズすぎ!!」
と悩んでいたわけです。
そして、その苦労のおかげで、私たちは現在も古事記の言葉を読むことができます。
当サイトでは、古事記の原文・読み下し文・現代語訳を並べて読めるようにしています。
ラノベで物語を楽しんだあと、
「これ、原文ではなんて書いてあるんだろう?」
と覗いてみるのも面白いですよ。
ここまで読んで、
「ちょっと古事記、読んでみようかな」
と思ってくださったら嬉しいです。
ただし。
いきなり原文から挑むと、
まあまあ苦行です。
神様の名前は長いし、知らない言葉は出てくるし、そもそも文章の書き方が現代とは全然違う。
だから最初は、ラノベ風現代語訳やあらすじから入って全然OK。
まず物語として楽しむのが正解!と私は思っています。
なぜイザナギとイザナミは別れなければいけなかったのか。
なぜアマテラスは天岩戸に隠れたのか。
なぜオオクニヌシは国を譲ったのか。
ヤマトタケルはなぜ女装をしたのか。
物語を読んでから原文を読むと、
「うわ、こういうことか!」「これ、本当に書いてあるの!?」「待って! ココとココ繋がってるのぉぉ…!!!」
という楽しみ方ができるようになります。
『ラノベ古事記』では、古事記の流れをできるだけ大切にしながら、神様や人物をキャラクターとして描き、現代の言葉で物語を読めるようにしています。
だって、日本の神々は本当にかわいくて愛おしいから。
失敗するし、泣くし、怒るし、嫉妬するし、とんでもないこともする。
そして、それは天皇たちも同じです。
戦って、恋をして、兄弟で争って、親子ですれ違って、ときにはどうしようもない選択をする。
神話が終わって人の時代に入っても、古事記の登場人物たちはずっと生々しくて、ちゃんと人間くさい。
それでも誰かを愛したり、誰かのために戦ったり、次の世代へ国を渡したりする。
神様の時代も、天皇たちの時代も、全部ひっくるめて私は古事記が好きです。
そんな神様や人々の姿も含めて、古事記を楽しんでもらえたらと思っています。
古事記について調べていると、もう一つよく出てくる言葉があります。
『古事記伝』です。
『古事記伝』は、江戸時代の国学者・本居宣長が著した古事記の注釈書。
全44巻という、とんでもない大著です。
愛ですね。
古事記が完成したのは712年。
でも、そこから1300年以上ずっと、今と同じように親しまれてきたわけではありません。
長いあいだ、日本の正史として重視されてきたのは『日本書紀』の方でした。
一方の古事記は、使われている言葉も古く、時代が下るにつれて読み方や意味が分からなくなっていきます。
そんな古事記に真正面から向き合ったのが、本居宣長でした。
宣長は古い文献や日本語を徹底的に調べ、
「この言葉はどう読むのか」
「これは何を意味しているのか」
「古代の人は、どんな感覚でこの物語を語ったのか」
と、一つひとつ古事記を読み解いていきます。
その研究に費やした年月は、30年以上。
……30年以上ですよ。
全44巻。
愛ですね。(2回目)
そして、この『古事記伝』によって、それまで長いあいだ広く顧みられてこなかった古事記は、日本を代表する古典として再び大きく注目されるようになりました。
今では、日本神話と聞けば、
イザナギ、イザナミ、アマテラス、スサノオ、オオクニヌシ――。
古事記の物語を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
現在の私たちが持っている「日本神話」のイメージの中心に、古事記はしっかり根付いています。
その大きなきっかけをつくった人物の一人が、本居宣長でした。
いわば、現代まで続く古事記ブームの大きな火付け役だったのです。
でも、それもまた古事記を受け継いできた長い歴史の一部です。
安万侶が文字にしたあとも、写本を残した人がいて、古い言葉を研究した人がいて、それを現代語へ訳した人がいる。
そして今も、研究者や作家、神社に関わる人、古事記を読む一人ひとりが、それぞれの視点から古事記を読み直しています。
古事記は、712年に完成して終わった本ではありません。
1300年以上、何度も何度も再考されながら、人から人へ読み継がれてきた本なのです。
ここまで、古事記とはどんな本なのかをざっくり紹介してきました。
でも古事記は、一つの記事だけで全部説明できるような本ではありません。
日本神話を最初から読みたい。
歴代天皇の物語を読みたい。
アマテラスについて調べたい。
古事記と日本書紀を比べたい。
原文を読みたい。
とりあえず、あらすじだけ知りたい。
入口はどこでも大丈夫です。
このサイトでは、それぞれの読み方ができるようにコンテンツを分けています。
気になったところから、自由に覗いてみてください。
最後に、これだけは伝えたい。
古事記について書かれた解説書や研究書を読むのも、もちろん楽しいです。
でも、その後でもいい。
一度だけでも、古事記そのものを読んでみてほしいと思っています。
そこに出てくる神様や人々は、後世に「立派な神様」「偉大な天皇」として語られる姿よりも、ずっとポンコッ……
いや、不敬ですね。すみません。
人間味にあふれているというか……言葉を選ばなければ、ポンコツです。
神様も天皇も、正しいことばかりするわけではありません。
負けるし、間違えるし、嫉妬するし、とんでもないこともする。
愛する妻を失って、死者の国まで追いかけてしまう神様がいる。
腹を立てて引きこもり、世界を真っ暗にしてしまう神様がいる。
兄たちに何度殺されても生き返り、苦労して造った国をさらっと譲る神様もいる。
天皇たちの時代に入ってからも、恋をするし、兄弟で争うし、復讐もするし、時には「これを後世に残して本当に大丈夫だったの!?」と思うような話まで、しっかり書いてある。
たまに私は思います。
なんで、こんな物語を天皇主導で残しちゃったんだろう。
後世であれこれ言われること、想像しなかったんだろうか……。
でも、その飾らなさまで含めて残したところに、古事記のおもしろさがある。
神様の失敗も、天皇の迷いも、恋も嫉妬も、時には「そこまで書く!?」と思うような、自分たちに都合の悪い話まで残してしまう。
そこには、人間の弱さや可笑しさまで含めて物語として残そうとする、大らかさを感じてしまいます。
天武天皇も案外、人間のちょっと可笑しくて愛おしいところを面白がれる、ユーモアのある方だったのかな――なんて、私は思ったりするのです。
そして、その神様たちから始まった物語は、人と神の境が曖昧な時代を通り、少しずつ私たちと変わらない人間たちの物語へと変わっていきます。
この記事の最初に、太安万侶の言葉を紹介しました。
「世界の始まりは、あまりにも遠い。
はっきりと見ることはできない。
それでも、先人たちが残した言葉をたどれば、その輪郭をうかがい知ることはできる。」
その言葉が書かれてから、もう1300年以上が経ちました。
古事記はその間、何度も何度も読み直され、考え直されながら、ここまで受け継がれてきました。
そして今度は、私たちがその言葉を受け取る番です。
1300年以上前の日本人が残してくれたこの物語を、難しい古典のまま眠らせず、今の私たちの言葉でもう一度楽しんでもらいたい。
それが、私が『ラノベ古事記』を作っている理由でもあります。
ここまで読んで少しでも気になったなら、ラノベ古事記も読んでいただけると嬉しいです。
そしてそのまま、
古事記という、とんでもなく深い沼にどっぷりハマって、一緒に楽しんでいただけたら最高に幸せです!
『ラノベ古事記』は、古事記をキャラクターと現代語で楽しめる読み物です。初めて古事記を読む方も、ぜひ日本神話の最初から楽しんでみてください。
この記事を書いた人
小野寺 優(おのでら ゆう)
『ラノベ古事記』シリーズ著者。古事記学会所属。著書に『いちばんわかりやすい日本神話』『マンガ古事記』など。日本神話や古事記を、初心者にも分かりやすく伝える活動を続けています。