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推しと同名神社を訪ねて(前編)―五十瓊敷入彦命の伊奈波神社―

投稿日:2022/06/16 最終編集日:2022/06/10

はじめまして!越の国に世を忍ぶ仮の姿(人型)で生息しているPandaです、我が国の神話や歴史が大好きでしたが、全然違う事を勉強しながら大人になり、でも最近また古事記熱が復活し、再び読んだり調べたり実際その地を訪れたりするようになりました、いわゆる「推し活」ですね、これから色々な推しへの愛を語らせて貰いたいと思います、よろしくお願いします。

推しとの出会い

古事記は上巻・中巻・下巻に分かれていますが、そのうち上巻は我が国の神話として有名で、それほど古事記に興味がなくても天岩戸や八岐大蛇、因幡の白兎のお話をご存じの方は多いと思います。幼児向けの童話としても数多く編纂されていて、自分も幼い頃に両親が色々な神様のエピソードを読みきかせてくれました、おそらくそれが古事記を大好きになった原点だと思います。

その後自分で本を読めるようになってから、読み聞かせて貰った神様の物語は「古事記」と呼ばれる書物に書かれていることを知り、小・中学生に向けて編纂された古事記を自分なりに読みましたが、成長と共にしばらく神話そのものから遠ざかっていきました。

でもその後すっかり大人になってから再び古事記に興味を持ち、本格的に読み始め、ようやく自分が子供の頃何度も何度も繰返し読んだ神々の物語は古事記の上巻であり、古事記は中巻・下巻と続いていく事、自分が子供の頃ワクワクしながら読んだお話はまだまだその一部であり、「倭建命(やまとたけるのみこと)」や「仁徳天皇」といった、神様ではなく我が国の皇子や天皇の話として語られている物語も古事記だと気づくことになります。

そうやって少しずつ古事記を読み進め、古事記の面白さにあらためてはまっていくうちに、別の方向から自分の推しを見つけ出しました、彼らのデビュー以来ずっと自分が最も推し、時間その他愛をつぎ込んでいるロックユニット「B’z」のボーカル・稲葉浩志さん縁の神社を探し始めたのです。

そこで巡りついたのが彼の苗字「稲葉」と同じ呼び方をする、美濃国三宮の「伊奈波(いなば)神社」で、その御祭神が「五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)」様です。でも五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)という名前にピンとくる方は我が国の神話好きな方の中でも少ない気がします、かく言う自分も数年前まで知りませんでした。

五十瓊敷入彦命とは

五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)は古代日本の皇子で、古事記では「印色入日子命」、日本書紀では「五十瓊敷入彦命」・「五十瓊敷命」・「五十瓊敷皇子」等表記されますが、ここでは「五十瓊敷入彦命」で統一します。彼の古事記での登場は少なく、垂仁天皇の段でその血統と血沼池(茅渟池)や 狭山池等の造営灌漑工事や、奈良の石上神宮に刀1千口を納めたという神宝に関する伝承数行に留まります。

しかし五十瓊敷入彦命のファミリーエピソードは古事記の中でもかなりのボリュームを占めています。何しろ御父上は第11代・垂仁(すいにん)天皇、御母上はその皇后・日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)、同母の弟皇子は第12代・景行(けいこう)天皇、同母の妹皇女は我が国最高神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)と一緒に旅をする事で有名な倭姫命(やまとひめのみこと)、甥は古事記の中でも一際突出したエピソードが描かれている「あの」倭建命(日本武尊:やまとたけるのみこと)です。

ラノベ古事記でのご本人の登場は2巻末、一途で直情的な愛情表現のお父さんと、クールなちゃっかり弟の間に挟まる苦労性のお兄ちゃんとして登場し、お兄ちゃんなのに皇位を継がなかったのは御父上に欲しいものを聴かれて兄は弓矢、弟は皇位を欲しがった為、その約束に基づき弟が皇位を継いだからというエピソードが語られていますが、正直これぐらい書いてもらってある古事記本はそうない、というかラノベ古事記だけなんじゃないかと思っていて、五十瓊敷入彦命推しとしてはありがたいかぎりです。

実は彼を主祭神としてお祀りする伊奈波神社の社伝には、もう少し詳しく彼の生涯が書かれているようで、なんと五十瓊敷入彦命は朝廷の命により奥州を平定したけれど、その成功を妬んだ陸奥守の讒言により朝敵とされ、現在神社のある場所で討たれたそうです。

そう、伊奈波神社は五十瓊敷入彦命最期の地でもあるのです。

その五十瓊敷入彦命を主祭神としてお祀りし、自分の最推しと同名の響きの社名を持つ伊奈波神社が、自分が住んでいる越の国からは高速道路を使えば自動車で約3時間程度で行ける距離にあると知り、その年の稲葉さんの誕生日に初めて参拝させて頂きました、それから約8年の歳月が経過しましたが、今では年数回訪ねています。

我ながらなんて単純というか、もしかしたらどこかのどなたかに「けしからん!不謹慎な!」とお𠮟りを受けるかもしれないぐらいの理由から始まった伊奈波神社詣でですが、自分では何かを好きになる理由って案外そんなものなのかもしれないと思っていて、そこから始まったり繋がったりする古事記巡りを楽しんでいます。

岐阜の総産土神 伊奈波神社

では改めて伊奈波神社をご紹介します。

伊奈波神社は現在の地名では岐阜県岐阜市、観光地としても有名な金華山の麓に御鎮座されています。この金華山、旧くは稲葉山といい、山の名は一説によれば伊奈波神社に因みます。五十瓊敷入彦命が因幡国からこの地に来られた事、そして五十瓊敷入彦命の祖父にあたる彦多都彦命(ひこたつひこのみこと)が、稲葉国造(後の因幡国造:現在の県知事のような行政的ポジション)であったことからそうなったようです。

因幡国は今の鳥取県辺り、そこからちょっと南へ下った岡山県の津山市が稲葉浩志さんの生まれ故郷なのですが、稲葉国造は稲葉氏を名乗り、後に因幡姓を名乗るようになるので、もしかしたら本当に御2人は関係があるのかもしれません。

あ、妄想が全開しました、話を元に戻し稲葉山こと金華山です、ここに戦国時代には戦国武将の斎藤道三が稲葉山城を、後にそれを奪取した織田信長が岐阜城を築城しました。

昭和31年(西暦1956年)金華山山頂に建てられた岐阜城模擬天守

斎藤道三・織田信長とくれば古事記ファンだけではなく戦国時代ファンもざわつきそうですが、実際令和2年のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」では、この伊奈波神社周辺が重要な舞台となっていました。

伊奈波神社の社伝によれば、景行天皇14年に当時の権力者・武内宿禰(たけしうちのすくね)が山北西の椿原(現在の岐阜公園内の丸山)に五十瓊敷入彦命を祀ったのが神社の始まりであり、天文8年(西暦1539年)に斎藤道三が稲葉山に稲葉山城を築城するにあたり、現在地に該当する山の麓に遷座し、その際に以前からその地にあった物部十千根命(もののべのとちねのみこと)を祀る物部神社(もののべじんじゃ)を合祀し稲葉山城の鎮守として以降、岐阜の総産土神として近隣住民は勿論、時の為政者の篤い崇敬を受け続けてきました。

斎藤道三が古から御鎮座されていた伊奈波神社を遷座してまで城を築きたがった山、それだけで壮大な浪漫を感じずにはいられないのですが、金華山の岐阜公園内の丸山には烏帽子岩と呼ばれる岩があり、そこが旧伊奈波神社跡地とされています。

伊奈波・神社には各交通手段で岐阜市に着いたら、そのまま金華山を目指せば到着します、金華山はほぼ岐阜市の中心部になるので道を間違う事もそうありません、国道256号線・長良川通りの矢島町1の信号を曲がればそこはもう伊奈波通り、多くの「いなば」を目にしながら神社に向かいます。

斎藤道三が麓に遷座した事からも想像がつくように、伊奈波神社はそのまま金華山の側の伊奈波山に向かうように建っていて、その手前には織田信長の手によってこの地に移された善光寺安乗院があり、その向かい側には駐車場と伊奈波神社末社の松尾神社の祠が池の中に御鎮座されていて、その側の一の鳥居をくぐればそこが伊奈波神社の境内です。

鳥居前に駐車場はありますが、伊奈波神社参拝者は通常坂の上駐車場を利用するよう案内されるので、自家用車でここまできた場合は車で一の鳥居をくぐる事になります。

伊奈波神社一の鳥居 


初参拝時も鳥居をくぐって坂の上駐車場に停めるるように指示されたので、その時は車を停めた後、敢えて歩いて坂を下り、車道から一旦境内外にでて、改めて一の鳥居をくぐり境内に入ってみました。

そのまま伊奈波山に向かい参道を歩いていきます。

伊奈波神社参道 向かって右に車道と坂の上駐車場

伊奈波神社の御本殿ははるか向こう、緩やかな勾配の坂を上って二の鳥居をくぐり、手水舎で手を清め、石段を登って楼門を目指します。

ほぼ移動手段が車という社会で生息しているPandaは、いつもこの坂をみた時点でくじけそうになるんですが、歩き始めてしまえばむしろ気持ちいいのです。

伊奈波神社ニの鳥居と奥にみえる石段と楼門

石段を登り楼門をくぐるとそのすぐ先に拝殿…ではなく、そこからもうひと頑張りして、更に次の石段を登った先にあるのが神門です。

楼門をくぐった先の石段と神門

普段の平日はこの神門前で参拝することになりますが、土・日・祝日は午前9時から午後3時までこの神門が開放されているので、神門内で本殿を参拝する事ができます。

神門奥本殿

現在神社は五十瓊敷入彦命を主祭神とし、御妃の淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと)と御母上の日葉酢媛命、それに外祖父の彦多都彦命と臣下の物部十千根命を伊奈波大神と総称し、本殿ではこの伊奈波大神をお祀りしています。

神門前から望む景色はまるで岐阜の街を一望するかのようです。

神門から眺める景色

伊奈波神社には狛犬さんが複数おられるのですが、初めて参拝した時ふと神門前を護る狛犬さん達の目線が気になり、通りがかった神職さんお尋ねして教えて頂いたんですが、神門前の狛犬さん達、一説によれば伊吹山を向いていると言われているそうです。

阿吽の狛犬 その目線の先には何を見つめているのだろう

古事記、特に倭建命ファンにとってはもの凄く聞き覚えのある伊吹山、狛犬さんが伊吹山を向いているという事はその奥に御鎮座されてる本殿の神々も伊吹山に向かっておられるという事になるのですが、それは…ここでも古代の想像が膨らみます。

楼門内には他に黒龍社・須佐之男神社(津島神社)・和歌三神社・松尾神社が御鎮座されています。

黒龍社は伊奈波神社がご遷座される前からこの地にご鎮座されていて、祈れば願いが叶うと伝わる福徳増進の黒龍大神が祀られています。

福徳黒龍神(高龗神:たかおかみ)をお祀りする黒龍社

我が愛しの最推しが強力な雨男なのはファンの常識で、それ故彼は「稲龍」と呼ばれている事もあり、この福徳黒龍社の水を纏った雰囲気に頷いてしまいまいます。

黒龍社横の須佐之男神社・和歌三神社・天満宮

令和3年までこちらに岐阜東照宮も一緒に祀られていましたが、坂の上駐車場付近に新たな社殿が建設され、岐阜東照宮は今はそちらに御鎮座されることになりました。

伊奈波神社境内には他にもいくつかの神社が御鎮座されているのですが、続きます。

Pandaの浪漫と妄想がつまった後編はこちら→伊奈波神社の浪漫と稽古照今

伊奈波神社へのアクセス

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Writer Panda

我が国の神話と歴史とB’zが大好きな越の国に生息するPanda、伊奈波神社の御祭神・五十瓊敷入彦命様が古事記最推し。アイコンは世を忍ばない仮の姿。

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