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ゆかりの地巡り
投稿日:2022/06/15 最終編集日:2022/06/15
はじめまして!
福岡県北九州出身の当サイトのライター「りる」と申します。
僕は人気ジャンプ漫画「NARUTO-ナルト-」が大好きで、作中に登場する強力な忍術「天照」「須佐能乎」「月読」「別天神」などから「日本の神様の名前や日本神話に関する言葉」をモチーフにしていることを知り、日本神話に興味を持ち、ネットでググっているうちに「ラノベ古事記」と出会い、「古事記」を知り、見事にハマりました。
初めは日本の神様のお話はあまり知らなく、簡単に語るのは畏れ多いイメージもあり「僕みたいな無知の人間が触れるどころか、簡単に語ってもいいお話じゃないのかも……」と思っていたのですが
「ラノベ古事記」を読み「神様のお話めっちゃ面白い!是非語りたい!」と思うようになりました。
▼もくじ
幼い頃から通っていた北九州市最古の神社「岡田宮」
さて、ゆかりの地のご紹介です。
僕が幼い頃、よく遊びに行っていた馴染みある神社があります。
福岡県北九州市八幡西区にあります「岡田宮」です。鹿児島本線JR黒崎駅から600mほど南に進んだ場所にあります。
近辺の町名も「熊手」「熊西」など「熊」がつく地名が多く「神武東征」の神話を知っている方なら思わずワクワクしてしまうでしょう。
この「岡田宮」は「古事記」「日本書紀」に登場する神社の中では北九州市では唯一の古社で、初代天皇・神武天皇が東征の際、一年間滞在された場所とされています。(筑紫の岡田の宮)
大人になってからも岡田宮のある北九州の副都心「黒崎」に立ち寄る際には、よく参拝させていただきました。
岡田宮について、中殿(岡田宮)右殿(熊手宮)、左殿(八所宮)の御祭神
岡田宮には中殿(岡田宮)右殿(熊手宮)左殿(八所宮)の3つの社があります。
熊手宮と八所宮はかつて別の場所にあったのですが、この詳細についてはまた別の記事でお伝えしたいと思います。
一の鳥居はビルの間にあり、はじめて訪れた方は戸惑うかもしれません。ですが、二の鳥居、三の鳥居と進んでいくと綺麗に整備された境内があり、立派な神門があります。
拝殿の前には神武東征の神話で登場する「金鵄」と「八咫烏」が迎えてくれます。幼い頃に比べかなり綺麗になっています。
「金鵄」は「ラノベ古事記二巻」の表紙にもなっていますね!
さてさて岡田宮の御祭神はご覧の通り
御祭神
■中殿(岡田宮)
神日本磐余彦命 [神武天皇](カムヤマトイワレヒコノミコト)
■右殿(熊手宮)
大国主命(オオクニヌシノミコト)
少彦名命(スクナヒコナノミコト)
県主熊鰐命(アガタヌシクマワニノミコト)
■左殿(八所宮)
高皇産霊神(タカミムスビノカミ)
神皇産霊神(カミムスビノカミ)
玉留産霊神(タマツメムスビノカミ)
生産霊神(イクムスビノカミ)
足産霊神(タルムスビノカミ)
大宮売神(オオミヤノメノカミ)
事代主神(コトシロヌシノカミ)
御膳神(ミケツカミ)
幼い時はまったく「どんな神様が祀られてるのか?」など考えたこともなかったのですが「古事記」を知り、とんでもなく重要な神社だと知り、驚きました!
中殿はこの宮のメインともいえる初代天皇・神武天皇が祀られています。右殿と左殿は拝殿内にあります。
そして右殿には、僕がリスペクトしているプレイボ…じゃなくて国造りの神様「オオクニヌシ様」が祀られているではありませんか!
オオクニヌシの国造りをサポートしたスクナヒコナ様もいらっしゃる!
左殿にはアマテラスをサポートした万物の根源を示すといわれる三柱、別天津神(コトノアマツカミ)造化三神の「タカミムスビ(高木様)」
さらにオオクニヌシが幼い頃、兄の八十神に殺られてしまった時、生き返してくれたオネェ…もとい、こちらも別天津神 造化三神の独神「カムムスビ様」もいらっしゃるではありませんか!
岡田宮すごいところだった!
「神武東征」で活躍した金鵄と八咫烏について
先程にも記述しましたが「八咫烏」と「金鵄」が拝殿前で迎えてくれます。
金鵄
神武天皇が宿敵ナガスネヒコを倒す時に輝いた金の鳶です。
八咫烏
神武天皇が東征する際に荒神達になるべく遭遇しないように導いてくれた導きの遣いです。
「八咫烏」に関しては、現在ヒット中の有名アニメ「鬼滅の刃」の「鎹鴉(かすがいがらす)」の元ネタにほぼ間違いないであろうとされています。(後ほど詳しく記述いたします)
初代天皇・神武天皇とはどんな人物なのか?家系図や「古事記」からわかりやすく解説!
初代天皇「神武天皇」の本名は「神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト)」といいます。
ずばり家系図はこうなってます!
「天照大御神」の名前が!? と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
簡単に説明しますと
お父さんがウガヤフキアエズノミコト、お母さんがタマヨリヒメ、お兄ちゃんがイツセノミコト、ご先祖さまはアマテラスオオミカミ。
アマテラスの孫のニニギノミコト、天孫降臨で有名な神様ですね!高天原の神様、つまり属性は「天」!
そのニニギの子孫が、山の神の娘「コノハナサクヤヒメ」や海の神の血をひく娘、お母さんの「タマヨリヒメ」、おばあちゃんの「トヨタマヒメ」と結婚したことで「天界」「山」「海」の血を引く、超サラブレッドとなられたわけです!
漫画「NARUTO」でいうところの「血継限界」どころではありません、「天」「海」「山」の三属性ですから「血継淘汰」です!(ついナルトに例えちゃう癖があるのでわからない方はすみません)
「神武東征」ってよく聞くけどどんなお話なの?
まずは古事記原文を訳すとこのようになってます。
イハレビコの命は同じ母から生まれた兄のイツセの命とお二人で、高千穂の宮で話し合いました。「どこに行ったら、平らかに天の下にあるこの国の政治をして、臣下たちの奏上する話が聞けるだろうか。やはり、東に行こう。」と言われて、日向を発って、筑紫に行きました。
そこで、豊の国の宇佐に着いたとき、その国の人で、名前はウサツヒコ、ウサツヒメの二人が足一騰宮(あしひとつあがりの宮)を造って、たいそうもてなしました。
そこから移動して筑紫の岡田の宮に一年滞在しました。またその国より、上って、安芸の国の多祁理(たけり)の宮に七年間滞在しました。さらにまた上って、吉備の国の高島の宮に八年間滞在しました。
神武天皇(以降イワレビコと記載)はもともと今の宮崎県の高千穂宮というところに住んでいましたが、イワレビコの兄のイツセノミコトと「どこに行けば平和に天下を治めることができるのでしょうか?」と話し合っていました。
ですが、ここは宮崎県、日本の端の方ですよね。それに本島の方では悪い国つ神が民を困らせているなんて話も聞くし、こんな端っこではそれを確認することもままならない。
なので「そうだ、日本の真ん中行けばいいんだ」となってイワレビコと兄のイツセで「東へ行こう!」となり、日向(宮崎県)最強といわれる「久米兵」とともに船へとのりこみまずは九州北部へ向かいます。
豊国(大分県)の宇佐で、国主のウサツヒコとウサツヒメが豪華にもてなし、宮殿まで建ててくれて大歓迎!次に訪れ、一年間滞在したのがここ、筑紫国(福岡県)の「岡田宮」となっているわけです。
その後、広島、岡山と滞在し、大阪へと進めロールプレイングゲームのようなことが色々あり、現在の奈良県に到着し大和平定を成し「初代天皇」となるわけです。
色々ありのところ、もっと知りたい方はこちらを御覧ください!
ラノベ古事記(カムヤマトイワレビコの東征)
神武天皇の「神武東征」に登場する八咫烏(ヤタガラス)はあの「鬼滅の刃」の鎹鴉(カスガイガラス)の元ネタだった!
皆さんは「鬼滅の刃」をご存知ですか?ほとんどの方が知っていらっしゃると思います。
少年ジャンプの漫画で現在もアニメで大ヒット中の作品ですよね。
その鬼滅の刃に登場する「鎹鴉(かすがいがらす)」の元ネタがこの「神武東征」に登場する「八咫烏」にほぼ間違いないといわれています。
これを説明するにはまずイワレビコの東征の後半を簡単に語らせていただきます。
「神武東征」で記載した、色々ありの一部ですが、岡山まではまったりとした感じだった神武東征は大阪で急変し、イワレビコは大阪湾周辺でナガスネヒコという豪族との戦闘で苦戦して撤退してしまいます。
「我々は日の神の子であるのに(西から進んで)日に向かって戦ったのが良くなかった、だから今度は日を背にむけて(東から進んで)戦おう」と、和歌山県の方から回り込んで進みます。しかし先の戦で深手を追ったイワレビコの兄のイツセはその傷がもとで亡くなってしまいます。
兄の死を悲しみながらイワレビコは更に進み熊野(今の三重県)まで来るとそこに幻の熊が見えたり消えたりし、錯覚に陥ってしまいます。NARUTOでいうといわゆる幻術です!
それをみたイワレビコは急に意識が薄れ倒れてしまいます、側にいた久米兵達もバタバタと倒れていきます。
これを助けに来たのが高倉下(たかくらじ)です、彼が持ってきた刀をイワレビコに献上します、するとイワレビコ達は次々に起き上がり、その刀をイワレビコが高倉下から受け取った瞬間、この幻術を使ってたであろう荒ぶる神は勝手に死んでしまいます。
イワレビコがこの理由を高倉下に聞くとこう言います。
夢にアマテラス様やタカミムスビ様が現れタケミカヅチ様を呼び出し「葦原の中つ国で自分たちの子孫が苦しんでいるから助けに行きなさい」と言いますがタケミカヅチ様は「自分がいかなくてもこの刀あれば大丈夫っす」と私の蔵の屋根に穴開けて落とします。そしてタケミカヅチ様が直接私に「朝、目覚めたら一番に目に入るようにしておきこの刀をイワレビコの元に届けなさい」と言い、目覚めると本当に刀があったので届けに参りました。
この刀は「オオクニヌシの国譲り」でも登場したタケミカヅチの肛門にぶっ刺さっていた刀で後に「フツミタマ」と呼ばれ、現在は奈良県天理市の「石神神宮」に祀られています。
ニワトリが飛ぶので有名な神社です(偶然にもまだ、この話を知らない頃に参拝したことがあります)
また話にでてくる「熊野」ですが、これにも諸説あり、実はここ北部九州ではなかったのかという説もあります。(岡田宮周辺に「熊」がつく地名が多い)
また仲哀天皇の時代、現在の遠賀地方の熊鰐も関係しているともいわれております。
これについてもまたの機会に書きたいと思います。
話がちょっとずれてしまいましたが戻ります。
このあとすっかり回復したイワレビコはすぐに進もうとしますが、突然神降臨のような光がパァーとでた感じになりタカミムスビ様が直々に降臨されます。そして「イワレビコよ、ここから先は荒ぶる神々だらけなので危険だ。高天原から八咫烏を遣わすから、そのカラスが導く方向へと進みなさい」とおっしゃるのです。
その八咫烏の導きにより「ドラクエ」でいう「トヘロス状態」になります。荒ぶる神とエンカウントしなくなり、しかも協力者もあらわれ次々と仲間にし、勢力を拡大し、途中ボス戦がありながらも最終決戦、兄の仇であるナガスネヒコを打ち破ることができたのでした。
このナガスネヒコを打ち破るときに現れたのが「金鵄」です。強烈な光を放ってナガスネヒコ達の目をくらませます。
この話を詳しくラノベ古事記で見たい方はこちら
天皇記『八咫烏』
さて、本題です。なぜ「八咫烏」が「鎹鴉」の元ネタだと言えるのでしょうか?
まずは「導き」です。
鬼滅の刃の鎹鴉は、鬼殺隊の隊員の伝令係であり鬼のいる所へと導いていきます。この鎹鴉はお館様である産屋敷一族から「子どもたち」である鬼殺隊員に授けたものです。
鬼滅の刃
「親から子へ授けたこれからの進むべき道を導く役割を担う遣い」
神武東征
「先祖から子孫へこれからの進むべき道を導く役割を担う遣い」
鎹鴉の「鎹」という意味は?
そしてもう一つは「つなぎとめる」という意味。
「鎹」とは、大工さんをされている方はわかると思いますが、木材同士をつなぎとめる釘の一種です。
この釘を使用したことわざで「子はかすがい」という言葉があるくらいです。
鬼滅の刃
鎹鴉は、鬼殺隊員同士をつなぎとめるカラス
神武東征
アマテラスとイワレビコ、高天原の神と葦原の中つ国の人間の間柄をつなぎとめる遣い
竈門炭治郎の鎹鴉の名前から
そして最後に
「鬼滅の刃」の主人公、竈門炭治郎の鎹鴉の名前をご存知ですか?
「天王寺松衛門」といいます。
大阪に天王寺という地名があります、イワレビコの宿敵ナガスネヒコがいた場所に近いところとされています。またイワレビコの兄が亡くなりその御墓は和歌山県の竈山です。
カンの鋭い方はもうおわかりと思います笑(フッフッフッ)
鬼滅の刃
竈門炭治郎の鎹鴉は天王寺松衛門
神武東征
八咫烏がイワレビコを竈山から天王寺でまつナガスネヒコのもとへ導いた
面白いですね!
岡田宮にある「鬼滅の刃」にちなんだ無料衣装貸出し
さて、八咫烏が鬼滅の刃の鎹鴉の元ネタに間違いないだろうということで、岡田宮では境内にある写真館「有川写真館」さんが、なんと「七五三」の時に訪れたお子様たちに「鬼滅の刃」に登場するキャラの衣装無料貸出しをされています。いわゆるコスプレですね!
もちろん「鎹鴉」の元ネタとされる「八咫烏」の像の前での撮影OKです!
いや~羨ましい!僕もやりたいですけどもうこの歳じゃ……(誰かタイムフロシキ!)
有川写真館ホームページ
厄を祓い、福を招き入れる「厄除け玉」と「開運石」
岡田宮にはパワースポット的な祓いがあります。
それは厄除け玉と開運石。
社務所にいくと6色の色の付いた石があります。
これが「厄除け玉」といい、それぞれの石に意味があります。
黒・災厄 ストレスや降りかかる良くない出来事を祓い清める
赤・縁切り 悪い縁を断つことができ、前向きに進むことができる
青・仕事運 人間関係や仕事での悩みを打ち消し、努力が報われる
緑・健康運 病気を祓い健康な体へと導き、運動神経も良くなる
黄・金運 散財を防ぎ、豊かな生活をおくることができる
桃・恋愛運 素敵な出会いの場が増え良縁が舞い込んでくる
自分が切りたい縁や悩みを表す色の石を購入し、境内、神門の正面から右手にある「開運石」に投げつけて厄を落とします。
まず開運石に一礼は忘れずに。
「えい!」って思いっきり言いましょう!
念を込めて投げつけます。
そしてまた開運石に一礼。
宮司さんのお話によるとこの開運石は神武天皇が大和を平定した場所(奈良県)から持ってこられたありがたい石だそうです。奈良県はホントに神秘的な場所だというのを体感したことがあるのでご利益は抜群だと思います!
初穂料:2個で500円
向かって神門の正面から左手にはこんなものも!
これであなたも神武天皇になれます!笑
お隣はホトタタライススキヒメ改めヒメタタライスケヨリヒメでしょうか?
パートナーができたら一緒に行きたい♡
神武天皇が本当に滞在されたのはここではなかった!?熊西ニ丁目にある石碑と御手洗公園と一宮神社について
いよいよ最後です。ここまで取材を続けてきてわかったこと。
それは、宮司さんのお話によれば、
「この宮は江戸時代にここに遷宮されたもので、神武天皇を祀られた所は一宮神社です」とおっしゃっておりました。
一宮神社!? 地元中の地元です!
熊西中学校のすぐそばにあり、中学の時以来、何度か参拝したことのある神社です。また僕は地元のお祭り「黒崎祇園山笠」に20代半ばまで出させていただいてました。
このお祭りには幾つか山があり、僕のいた「熊西山笠」のご奉納がこちら「一宮神社」なので結構お世話になったご縁のある神社です。
雰囲気もすごく良いです。中学時代に「あ、ここなんか他と違う……」って思わず思っちゃったぐらいだからそりゃもうパワースポットでしょう。
岡田宮はどこにあったのか?というのも諸説あります。もともと神武天皇を祀っていたのが一宮神社で、さらに本当の岡田宮跡は
「熊西二丁目のチン電(かつての路面電車)の熊西電停付近」だということもわかりました。
この辺には「王子」という地名も数多くあります。「南王子」「西王子」「東王子」など。
この「王子」というのがまさに神武天皇のことではないのでしょうか?
このあたりよく中学時代にウロウロしていたので、なんか石碑みたいなのやたらあるなと、思っていた点と点が繋がりました!
また、神武天皇が祀った神々が祀られている左殿の(八所宮)ですがこちらももともとは
旧八幡西区役所あたりの公園にあったということも知りました。こちらの方のブログにめちゃめちゃ詳しく記載されていました!(ご参考にさせていただきました)
ひもろぎ逍遥
岡田宮・神武天皇とタカミムスビ神と熊鰐
旧八幡西区役所あたり……?あ!
おそらく「御手洗公園」ここに間違いない、この公園も幼いながらに公園とは思えない雰囲気を感じていた場所です。
また神社って夜になると独特の雰囲気だすじゃないですか? あの雰囲気と同じでうかつに夜遅くまでこの公園で遊んでいるとガラッと空気感変わっちゃうんですよ(子供の頃の直感や感性って意外とあたると勝手に思っています笑)
さらに話は飛びますが「皇后崎」という地名もあります。
「神功皇后」が上陸した岬と伝えられ、地名となっています。
このあたりにもなにか不思議なオーラを放った石碑があったような……。
これは地元を根掘り葉掘り回らねば!調べつくすぞ!
次回は一宮神社、熊西電停、皇后崎、御手洗公園を取材していきたいと思います!
まとめ
・現在の「岡田宮」は遷宮された場所で古事記記載の岡田の宮は「一宮神社」また「熊西電停付近」
・「鬼滅の刃」の「鎹鴉」の元ネタはほぼ「八咫烏」で間違いなし!
・「岡田宮」では七五三に「鬼滅の刃」のコスプレができる!
ここまでお読みいただいて、誠にありがとうございます。
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