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八千矛神とは
オオクニヌシの別名。
日本最古のチャラ男エピソード『八千矛神の歌物語』がある。
全国の美女をコンプリートする旅に出たり、沼河比売(ヌナカワヒメ)に会いに新潟県まで行ったりと、とにかくチャラい(お嫁さんゲットも国造りの一環らしいが)
だが正妻スセリビメの事はちゃんと愛しているようで、今もずっと出雲で仲良く暮らしているという。
名前の由来
八千⇒やち。はっせん。とても数が多いこと。
矛⇒ほこ。鉾。諸刃の剣に長い柄(つか)を取りつけた武器。枝のあるものもある。敵を突き刺すのに使う。
神⇒神様。
八千矛神は『多くの武器を持つ神様』という意味。
猛々しい武力の神様で、その名の通り武力・軍事力を象徴している。
なので、戦の神様と考えられている。
一方で、『矛』は『おちんちん』の意味もあるそうだ。
オオクニヌシは沢山の女神様と結婚しており、子供も多い。
つまり、沢山のおちんちんを持つ神様という意味もあるとか。
ヤチホコノカミの別名
廣矛魂神/ヒロホコノカミ
大国主命/ オオクニヌシノミコト
大穴牟遅神/オオナムチノカミ
大己貴・大汝命/オオナムチノミコト
大穴持・大名持神/オオアナモチノカミ
大穴六道尊/オオアナムヂノミコト
国作大己貴命/クニツクリ オオナムチノミコト
国作坐志大穴持命/ クニツクリマシシ オオナムチノミコト
天下治めし大穴持神/アメノシタオサメシ オオアナモチノカミ
五百津鉏々なお取り取らして所造天下大穴持命/イオツスキスキ ナオトリトラシテ アメノシタツクリシシ オオカミ
葦原許色男/アシハラシコオ
大物主葦原許色/オオモノヌシアシハラシコ
葦原醜男・葦原志許乎命/アシハラシコヲノミコト
大物主神/オオモノヌシノカミ
倭大物主櫛甕玉神/ヤマトオオモノヌシ クシミカタマノカミ
大物主櫛甕玉命/オオモノヌシ クシミカタマノミコト
三諸神/ミモロノカミ
三輪大神/ミワノオオカミ
大國玉・大國魂大神/オオクニタマノカミ
顕国玉・宇都志国玉神/ ウツシクニタマノカミ
兵頭大神/ヒョウズノオオカミ
農耕祖神/タヅクリノオヤノカミ
伊和大神/イワノオオカミ
八戸掛須御諸神/ヤトカカスミモロノカミ
八戸挂須御命/ヤトカカスミモロノミコト
所造天下大神/ アメノシタツクラシシ オオカミ
幽冥主宰大神・幽冥事知食大神/カクリゴトシメス オオカミ
杵築大神/キヅキノオオカミ
出雲大神/イズモノオオカミ
出雲御蔭大神/イズモミカゲノオオカミ
国造之大神/クニツクラシノオオカミ
国堅大神/クニカタメマシシ オオカミ
国占神/クニシメシタマイ カミ
大地主大神/オオトコヌシノカミ
天下地主神/アメノシタ トコヌシノカミ
大国作神/オオクニツクラシシカミ
縁結神/エンムスビノカミ
福神/フクノカミ
大黒様/ダイコクサマ
など
ヤチホコノカミの神話
系譜(天照大御神と須佐之男命)
スサノオのずーっと後の6代目くらいにオオクニヌシが生まれる。
ヤチホコも含めて別名は5つある。
八千矛神の歌物語 >>
ヌナカワヒメと全国の美女をコンプリートしようと出かけるオオクニヌシ。
なんやかんやとあったが、今に至るまでスセリビメと仲良く出雲で暮らしている。
この一連の物語を『神語(かみがたり)』という。
朝山にカムムスビの娘のマタマツクタマノムラヒメという女神がいた。
その女神に会いにオオクニヌシが毎朝通ったという。
朝山は、島根県出雲市朝山町の一部と稗原町の一部を中心とした地域が比定地とされる。
出雲市矢野町・大塚町・白枝町・小山町・高松町・渡橋町付近の地域に、スサノオの娘 のヤノワカヒメがいた。その時オオクニヌシが結婚しようとして、屋を造らせた。
なのでこの地域を『八野(やの)』という。
カムムスビの娘のアヤトヒメに求婚した。
だが、アヤトヒメは求婚を断り、逃げ隠れた。その時に、オオクニヌシがアヤトヒメを伺い求めた場所を『宇加(うか。伺いが由来とされる)』という。
ちなみに宇加の所在地は
・出雲市国富町北端
・口宇賀町南部
・奥宇賀町南部
・別所町東部付近
の地域とされる。
スセリビメの元へ通っている時、スセリビメの居る社前の渓流が岩苔の上を滑らかに流れているのを見て、「滑らかな岩だなぁ」と言った。
なのでこの岩を『なめしいわ(滑磐石)』と呼ぶ。
この『なめしいわ(滑磐石)』が『なめさ』になり、滑磐石のある地域のことを『滑狭郷(なめさのさと)』と呼ぶようになったという。
島根県東部の出雲市・東神西町にある『那売佐(なめさ)神社』の近くを流れる九景川の渓谷にある甌穴のことであると考えられている。
(甌穴とは、岩坪(いわつぼ)のこと)
また、この付近に那売佐神社(なめさじんじゃ)の旧社地があると考えられ、近くには 岩坪明神の祠が置かれている。那賣佐神社は二社あると記されており
・岩坪
・岩坪明神の場所
が比定地になっている。
ヤチホコノカミの伝承の地
オオクニヌシの鉾であるとされる山。
陰山、稲山の東方にある山で、南と西に樹林がある。東と北は磯。
オオクニヌシの冠であると伝わる山。
陰山、鉾山南方の標高250メートルほどの山。
オオクニヌシの御門(みと。鳥居の事と考えられる)があった場所。
なので『三刀矢(みとや)』という。
島根県雲南市三刀屋町中部から北部にかけての地域が比定地とされる。
オオクニヌシが神聖な宝を積み置いた場所。
なので『神財郷(かんたから)』という。現在は『神財(かんたから)』『神原(かんはら)』となったとされる。
島根県雲南市加茂町神原、延野、大竹付近を含む地域が比定とされる。
オオクニヌシが土を盛って的を置き矢を射った場所。
だから『矢代(やしろ)』という。
島根県雲南市加茂町一体から、神原、延野、大竹を除いた地域が比定地とされる。
オオナムチが矢を射立てた場所。
だから『矢内(やうち)』といった。
島根県雲南市大東町の赤川の北の北西部が比定地とされる。
スクナヒコナと一緒に日本を巡った時、稲の種をこの土地に落とした。
稲の種を落とした場所を『種(たね)』という。
多祢郷の比定地は、島根県雲南市掛合町とされる。
下鴨の里に碓居谷(うすいたに)、箕谷(みたに)、酒屋谷(さかやたに)がある。 その由来は
碓居谷(うすいたに)⇒オオクニヌシが臼を造って稲を臼いた所
箕谷(みたに)⇒オオクニヌシが箕を置いた所
酒屋谷(さかやたに)⇒オオクニヌシが酒屋を造った所
とされる。
穴師の里に穴師比売(アナシヒメ)に由来する穴師川があった。
ある時の話。
里を通ったオオクニヌシが、アナシヒメに一目ぼれしてしまい求婚したが、ものすごく拒否された。フラれたオオクニヌシが大激怒してしまい、腹いせに穴師川の源を石を積んで塞き止めて、川の流れを三方(みかた。兵庫県一宮町三方)の里の方へ変えてしまった。
そのおかげで川の上流の水はなくなったが、山にはヒノキ・ニレ・ツツジなどが多く茂っている。後にアナシヒメは安志姫(アンジヒメ)となり里の名前にもなったという。
志深の里の三坂に、八戸挂須御諸命(やとかけすみもろのみこと。オオクニヌシの別名とされる)がいた。オオクニヌシが国を作り固めた後、天から三坂の峰に下ったという。
三木市志染町に「ヤトカケスミモロノカミ」「オオモノヌシノカミ」「アシハラシコオノカミ」三柱を祀る『御坂神社(みさかじんじゃ)』がある。
宍禾という名がついたのは、伊和大神(いわのおおかみ。オオクニヌシの別名とされる)が、国を作り堅め終えてから後に、山・川・谷・峰の正しい国の境を定めに国内を巡行した。その時に、大きな鹿が自分の舌を出して歩いており、矢田の村で、オオクニヌシと出会った。そこでオオクニヌシは『矢は、鹿の舌にある』と言った。
だから、シサハ(鹿(シシ)に会(アウ)。シシアハがシサハになったと考えられる)と名づけ、村の名を矢田の村(やだのむら)と名づけたという。宍禾は兵庫県宍粟市が比定地と考えられている。
その他
オオクニヌシという名前の惑星がある。
御利益(神徳)
縁結び・子授け・夫婦和合・五穀豊穣養蚕守護・医薬・病気平癒・産業開発・交通・航海守護・商売繁盛・方除・造酒・製薬・人間生活の守護・禁厭(まじない)・農業守護・安産
祀られている神社
その他
甲子碑・全国各地の出雲・伊豆毛(いずも)・出雲伊波比(いずもいわい)・出雲大神宮・大己貴・大穴牟遅・大穴持・大名持・大御和・兵主・子(ねの)神社と呼ばれる神社など