日本の神話・古事記の情報発信サイト
同じ話?違う話?
古事記と日本書紀
「古事記」という単語が出てくると、対で思い浮かぶのが「日本書紀」だと思います。
2つは合わせて「記紀」と呼ばれ、ほぼ同時期に完成しました。
では、なんで「古事記」と「日本書紀」の2種類作ったのか。という話ですが、2つはそもそもの性質が違うんです。
海外へアピールするために作られた
教科書的存在
日本書紀は海外(特に中華)に向けて書かれた日本の正史です。
天武天皇の息子、舎人親王がメインになって日本神話と歴史をまとめ、720年に完成しました。読み物というよりは、教科書のイメージです。また、正式な歴史書のため、30巻プラス天皇の家系図1巻という、すんごいボリュームになりました。
当時の共通語、漢文で書かれていて、他国に「日本は独自の文化を持った独立した国家ですからぁ!!」と伝えることが目的だったと言われています。
そのため、近隣諸国の人に「日本すげーじゃん!!」って言ってもらえるように、日本の昔ながらの考え方よりも、最新の中華思想に合わせて書かれたそうです。そのためか、同じ登場人物でも、古事記とは全然ストーリーが違うものもあります。
だからか昔は「日本書紀なんて朝廷サイドから見た嘘っぱちばっかりだー!!」なんて議論が盛り上がっていましたが、最近は発掘調査で事実が証明される事もあり、「あれ?案外ちゃんとした本だったのかな?」と、意見が変わりつつあります。もちろん全部が事実だとは言いませんが、本文に載せきらなかった他の説も、「一書」という注釈のような形で、「あの本にはこんな説も載ってましたよー。」と、いろいろな説を載せていることから、当時、朝廷に集められた大量の資料の中から、どの説を採用するのか、試行錯誤されながら書かれたことがうかがえます。
また、日本書紀の方が古事記より細かく記された正式な歴史書のため、日本人にも読んでもらいたかったので、日本書紀の完成後、
太安万侶など漢文マスターの面々が、各地の豪族に漢文レクチャーの講習会を開いたそうです。
ラフに読める
ライトノベル的存在
古事記は、日本神話のにぎやかな神々と、天皇家と仲良し豪族の内輪ネタがメインのラフなライトノベルのイメージです。
稗田阿礼と 太安万侶の協力で、712年に完成しました。
日本書紀と比べて内容がユルいのは、歴史書などの資料を元に書かれたものでなく、口伝で伝わったきた話をまとめたものだからじゃないか。と言われています。
昔は、言葉には神様が宿ると考えられていたので、日本に漢字が入ってきてからも、「語り部」という、口伝で知識や歴史を伝える部署は無くならず、大切にされていたのです。
日本書紀とは違い、古事記は上中下の3巻にコンパクトにまとめられていています。特に、書き方が特徴的で、漢文で書かれた日本書紀に対して、古事記は日本語で書かれました。平仮名も片仮名も無い時代に漢字を日本語風に並べて書かれ、日本語の昔ながらの発音が残るようにめちゃめちゃ創意工夫されています。
太安万侶自身、「俺、超、苦労した。」って言ってます。
ただ残念ながら、その創意工夫を頑張りすぎちゃったせいで、今では逆にめちゃめちゃ読みづらくなっちゃいましたwwwだって、平仮名と片仮名を手に入れた今の私たちには、ただの漢字の羅列にしか見えないんだもの。(ドンマイ安万侶。)
だからか、最近(と言っても江戸時代)まで古事記は日本書紀のオプションくらいでしか学ばれてきませんでした。しかし、江戸時代の学者、本居宣長さんが、古事記を解説した「古事記伝」を出版したことで、古事記が大ブームに。おかげで、一般の人にも古事記の素晴らしさが伝わり、広く知られるようになりました。ちなみに、彼はこの古事記伝を書き上げるのに35年もかけたそうです。
本居さん、マジでありがとう。
こうして、本居さんのおかげで文学的な価値が認められ、現在では、古事記の方が読みやすいし、面白い。ということで、たくさんの現代語訳本が出ています。
当サイト代表が運営する古事記をキャラ萌えしながら楽しめる読み物コンテンツです。月間約50万PVを記録した人気サイト!ぜひご覧ください!