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山田邑の斎宮に伝わる神功皇后の神託とは

投稿日:2022/07/20 最終編集日:2022/07/19

小山田邑の斎宮

『古事記』には出てきませんが『日本書紀』によると、神功皇后は仲哀天皇が亡くなった後、小山田邑というところに斎宮を造りました。

皇后、傷天皇不從神教而早崩、以爲、知所崇之神、欲求財寶国。是以、命群臣及百寮、以解罪改過、更造齋宮於小山田邑

 

《現代語訳》

皇后は、天皇が神の教えに従わず早く崩御したことに心痛めて、祟った神を知り、財宝の国を求めようと思いました。それで群臣と百僚に命じて罪を祓い、過ちを改めて、更には斎宮を小山田邑に造設しました。(『日本書紀』)

この小山田邑の斎宮と伝わる場所があります。

 

山田邑斎宮

その1つが、福岡県糟屋郡久山町山田にある斎宮です。

豊浦宮跡(忌宮神社)に伝わる「朝鮮半島の新羅国の塵輪が熊襲を煽動し豊浦宮に攻め寄せた」に対応した記述がありました!

第十四代仲哀天皇は、仲哀八年巳卯の春、神功皇后と御一緒に熊襲征伐のため筑紫の香椎宮に行幸啓された。そのとき皇后に

「熊襲の服せざるは新羅の後援なれば本幹たる新羅を攻め給わば、支葉の熊襲はみづから枯れん」

という神のおつげがあった。しかし仲哀天皇は神のおつげを無視して熊襲を討たれたため、失敗されて香椎宮に帰られ、翌年二月病気で崩御された。

『古事記』や『日本書紀』では神は、「海の向こうに財宝がある」という理由で仲哀天皇らに朝鮮出兵を勧めていますが、現地に伝わる話はそうではありません。

攻め入られたから、攻めに行くのです。

「天皇に反抗的な熊襲ってやつらは、新羅の後援があるから反抗的な態度を取れている。だから新羅をやっつけようぜ」と、そういうことです。

『古事記』を最初に読んだとき、仲哀天皇が「海の向こうに国なんか見えない」って言って、神託を無視する描写がどーにも納得がいきませんでした。

だって、新羅の血をひく神功皇后を妻にしておきながら、海の向こうの国の存在を否定するとかなくない?

『ラノベ古事記』ではそこを、「新羅って知ってるけど、熊襲以外のことは聞きたくないから知らないふりをした」って書き方をしていたので、「なるほど上手いな!」と思ったものです(笑)

地域伝承を見て思うところとしては、神託の内容は本当は、「熊襲の服せざるは新羅の後援なれば本幹たる新羅を攻め給わば、支葉の熊襲はみづから枯れん」というものだったのでしょう。

しかし古事記や日本書紀を編纂した人は、「朝鮮半島の新羅国の塵輪が熊襲を煽動し豊浦宮に攻め寄せた」という事実を隠したくて、それで、神託もそれに触れないものにしたのではないかと私は思います。

この時、仲哀天皇が新羅を攻めなかった理由は記載されていませんが、素直に、「新羅を攻める前にある程度国内を平定するべきだと思ったから」なのかなーと私は考えております。

実際、仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后だってすぐに新羅へ向かってはいません。

まず先に、九州のあれやこれやと戦って平定した後に、新羅へ向かっています。

仲哀天皇が神に背いた罰当たりな天皇というわけではなく、もう、しょうがなかったのです。

でも、しょうがないじゃ気持ちはおさまらないもので、やっぱり、神様のせいにしたり神に祈ったりして気持ちを鎮めるものではないかと思ったりなんかするのでした。

審神者神社

斎宮の近くには、中臣烏賊津を祀る審神者神社があります。

三月壬申朔、皇后選吉日、入齋宮、親爲神主。則命武內宿禰令撫琴、喚中臣烏賊津使主爲審神者。因以千繒高繒置琴頭尾、而請曰「先日教天皇者誰神也、願欲知其名。

 
《現代語訳》
3月1日。皇后は吉日を選んで斎宮に入って、自ら神主となりました。武内宿禰に命じて琴を弾かせ、中臣烏賊津使主を呼びよせて審神者としました。多くの幣帛を琴の前後に積み重ね、神に願って言いました。「先日天皇に教えて下さった神はどちら様でしょうか?そのお名前を知りたく存じます」 (『日本書紀』)

神託を受けた際、『古事記』では一度目も二度目も武内宿禰が審神者を務めたことになっていますが、『日本書紀』では二度目の審神者は中臣烏賊津(なかとみのいかつ)となってます。

そしてそこで、神の名を聞きます。

爾具請之、今如此言教之大神者、欲知其御名、即答詔、是天照大神之御心者。
亦底筒男、中筒男、上筒男、三柱大神者也。

 

《現代語訳》

今このようなことを教えて下さった神はどちら様でしょうか?そのお名前を知りたく存じますと伝えたところ、応えて仰った。「これは天照大御神の御心だ。また、我らは底筒男、中筒男、上筒男の三柱の大神である」(『古事記』)

こうして、神託がアマテラスの意志であり住吉三神のものと知ることとなります。

※『日本書紀』では、神の名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(アマテラス)、尾田の吾田節の淡郡にいる神、天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神(コトシロヌシ)、表筒男、中筒男、底筒男(住吉三神)となっていますが、ひとまず私はここ(古事記FUN‼)では、アマテラスと住吉三神に絞って話を進めます。

 

六所宮跡

審神者神社の前には、伊弉諾尊・伊弉冊尊・速玉男命・豊受大神・瓊々杵尊・ 軻遇槌命を祀っていた六所宮の跡があります。

現在では山田邑斎宮に合祀されていますが、江戸時代には伊野天照皇大神宮(九州の伊勢)を内宮とし、六所宮は外宮として尊ばれていたそうです。

関連情報

ゆかりの地

山田邑斎宮

住所:福岡県糟屋郡久山町山田232

審神者神社

住所:福岡県糟屋郡久山町山田660-1

● 六所宮跡

住所:福岡県糟屋郡久山町山田842

 

対応するラノベ古事記

● 『神功皇后の神がかり』 (原文

● 『朝鮮出兵』 (原文

● 天皇・人物 一覧

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Writer 筑前 ゆき

着物を着たり着なかったりして、主に福岡県内をウロウロ。マイブームは神功皇后ゆかりの地巡りとお遍路。参拝の為に山に登ったりもしています。

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