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ゆかりの地巡り

ヤマトタケルとミヤズヒメゆかりの地(氷上姉子神社、斎山稲荷神社、寝覚の里)

投稿日:2022/12/09 最終編集日:2022/12/05

こんにちは!『古事記FUN!!』ライターのY.Yです。
今回の舞台は愛知県名古屋市と東海市。
ヤマトタケルとミヤズヒメゆかりの地を巡ります。

ヤマトタケル

記紀がバイブルの皆様には釈迦に説法ですが…。
まずはヤマトタケルについてご紹介します。

醒ヶ井の日本武尊の像(滋賀県米原市)

ヤマトタケルは景行天皇を父、吉備氏とゆかりの深い播磨稲日大郎姫を母に持つ皇子で、日本書紀では非の打ち所のない“正統派のヒーロー”として描かれています。

一方の古事記では、些細な勘違いで兄を惨殺・解体して景行天皇をドン引きさせるエピソードも載っており、荒ぶったヒーローとして描かれています。

ラノベ古事記での兄解体の話はコチラ

ヤマトタケルの兄 大碓命を祀る猿投神社(愛知県豊田市)

このように、記と紀でキャラ設定が大きく異なる点も注目したいポイントです。以降は古事記寄りで話を進めます。

ヤマトタケルに対して言い知れぬ恐怖心を抱いた景行天皇は、彼に熊襲や東国などの征討を次々と命じ、自分の元から遠ざけてしまいます。
※日本書紀では至極円満に送り出しています。

ヤマトタケルはそんな父に認めてもらいたい一心で頑張ります。健気…。

持ち前の知恵と力、一抹の猟奇性を遺憾なく発揮し、主人公補正も相まって、神がかった強さで次々と対抗勢力を討ち果たしていきます。

ラノベ古事記でのヤマトタケルの平定シーンは以下の通り

女装して熊襲を平定するヤマトタケル

剣を偽物にすり替えて敵を斬殺するヤマトタケル

草薙の剣を手に入れるヤマトタケル

草を剣で薙ぎ払って駿河を平定するヤマトタケル

草薙神剣(熱田大神)を祀る熱田神宮の大楠(愛知県名古屋市)

色々な意味で伝説的な英雄であることがわかるかと思います。

さて、英雄色を好むとはよく言いますが、
それは神代の昔から変わらぬようで。

七所社の日本武尊腰掛岩(愛知県名古屋市)

八千矛神には及ばぬものの、ヤマトタケルも正妻 両道入姫命の他に多くの女性と浮名を流しています。

特に有名なのは、海の神を鎮めるために身を投じてヤマトタケルを守ったオトタチバナヒメ!

ラノベ古事記での入水シーンはコチラ

白和瀬神社の日本武尊像(福島県福島市)

そして、ヤマトタケルの最後の女として名高いミヤズヒメです!!

尾張に立ち寄ったヤマトタケルは、ミヤズヒメを見初め、結婚の約束を交わして東征に赴きます。苦難の末、東征を無事成功させたヤマトタケルは、尾張へと舞い戻りミヤズヒメと感動の再会を果たします。

ラノベ古事記、ヤマトタケルとミヤズヒメの再会シーンはコチラ

そのまま二人は祝言をあげ、月が出ているのも厭わず新枕を交わします。

オオクニヌシも驚きのスピーディーさです。

伊吹山にある伊吹神社(滋賀県米原市)

かくして一夜の逢瀬を楽しんだ二人でしたが、幸せな時間は長くは続きません。ヤマトタケルは草薙の剣をミヤズヒメの元に残して、すぐに伊吹山の神を退治しに出発します。

無謀にも素手で戦いに挑んだヤマトタケルは、(神の使いと勘違いして)ぞんざいに扱った伊吹山の神の怒りを買って失神させられます。

そして、この時に受けたダメージがもとで三重県の能褒野で悲劇的な最期を遂げてしまうのです。

ミヤズヒメ

ミヤズヒメの出自も軽く紹介しておきます。

真清田神社(愛知県一宮市)

ミヤズヒメは天火明命を祖神とする尾張氏の女性です。この天火明命は瓊瓊杵尊の兄という説もある謎多き神様です。愛知県西部の尾張地方には一宮市の真清田神社をはじめ天火明命を祀る神社が多く存在します。この辺りのお話は、また別の機会にでも。。

ミヤズヒメの父を祀る上知我麻神社(愛知県名古屋市)

ミヤズヒメは尾張地方の出身と言われています。中でも今回めぐる名古屋市の大高と東海市の名和にまたがる地域は彼女の故郷とされており、「ヤマトタケルとミヤズヒメゆかりの地」が点在しています!

いざ、ゆかりの地へ!!

それではゆかりの地めぐりスタートです!!

斎山稲荷神社

まず向かったのは斎山稲荷神社。

名鉄常滑線の名和駅で下車。駅からは常滑街道、名和古墳群の横を通って25分程で着きました。道が分かりづらいので注意が必要です。廻間池側から細い小路を登れば辿り着けます。

名和古墳群

ちなみに、ヤマトタケルは東征の際、伊勢から尾張に向かうために海路を利用しており、現在の東海市付近に船をつけて縄で松の木につないだといいます。この伝承からこの一帯は名和(なわ)と呼ばれるようになったそうです。

斎山稲荷神社

こちらには宇迦之御魂神(ウカノミタマ:稲荷神)、日本武尊(ヤマトタケル)、宮簀媛命(ミヤズヒメ)の三柱が祀られています。

斎山稲荷神社の鳥居

ヤマトタケルとミヤズヒメの両方を御祭神とする神社は珍しい気がします。他では一部の八剣神社くらいでしょうか?

さすが、ミヤズヒメのお膝元です!

稲荷社が勧請されたのは江戸時代になってからで、古くは氷上姉子神社の境内社として軻遇突智命(カクヅチ)を祀っていたようです。

斎山稲荷神社は斎山古墳の上に鎮座しています。

斎山稲荷神社の拝殿

扁額の手前に「斉」の文字が掲げられていました。

扁額

拝殿の右側に奥の院に続く道がありました。

行ってみましょう。

斎山稲荷神社 奥の院への道

石段を降りると奥の院の鳥居が見えました。

斎山稲荷神社の奥の院

鳥居の奥には3つのお社がありました。御祭神である三柱の神を祀ったものと考えられますが詳細は不明です。

奥の院

かつては この奥にミヤズヒメ宅(跡)につながる道もあったそうです。

奥の院の鳥居

木々の間からは大高や名和の町並みを見ることができます。昔の海岸線は今よりもずっと内側で、斎山稲荷神社の周りは海でした。

奥の院

ヤマトタケルやミヤズヒメが見た景色を想像しながら町を眺めるのも、とても楽しいと思います。

斎山稲荷神社 アクセス
〒459-8001 愛知県名古屋市緑区大高町斎山44

氷上姉子神社

次に向かったのは氷上姉子神社。

熱田神宮の摂社です。

斎山稲荷神社から常滑街道まで戻って東北東に向かって進み、東正地の信号を右に曲がってひたすら真っすぐ歩くとたどり着けます。斎山稲荷神社からは20分弱で着きました。

玉根社

道の脇に小さなお社を見つけました。

玉根社です。

玉根社

立て札を見てみます。

玉根社の説明

玉根社

祭神 少彦名命

医薬・医療・酒造りの神様
長寿・病気平癒の信仰が厚い大国主命と共に国造りに力を尽くされた神様です

氷上姉子神社

御祭神は少彦名命(スクナビコナ)となっています。

スクナビコナは造化三神(カムムスビあるいはタカミムスビ)の子どもで、手のひらサイズの神様です。オオクニヌシの国造りをサポートした神として知られます。

余談ですが、スクナビコナはオオクニヌシと共に多くの温泉を発見したこと(伝承)でも有名です。温泉地の神社では二柱の神が仲良く祀られている光景をよく目にします。

玉根社

なぜこの場所にスクナビコナが祀られているのでしょうか?

地図を見てみると、この一帯は「常世島」という地名であることがわかりました。スクナビコナが最期に渡ったのは、「常世の国」。

キーワードは「常世」でしょうか?

玉根社

常世の国は「死後の世界」や「海の彼方にある異界」を表したものと考えられています。

記紀では(イザナミ在住の「黄泉の国」とは異なり)永遠に変わらない理想郷のような場所として ややポジティブに描かれています。

垂仁天皇の時代に田道間守が非時香菓を探しに行ったのも常世の国であり、不老不死などの生命観と深く結びついた場所でもあります。

玉根社の手水舎

古代の人々は、ヤマトタケルや尾張国造とゆかりが深く 海に面していたこの地を、常世の国に浮かぶ島に見立てたのかもしれません。

あるいは尾張氏の永遠の繁栄を願い「常世」と名付けたのかもしれません。

そして…いつしか 常世の国ゆかりのスクナビコナが祀られるようになったのかな…。などと想像してみたりします。

大高斎田

玉根社を後にして、少しだけ歩くと水田が見えてきました。

熱田神宮の御斎田(大高斎田)です。斎田とは神様にお供えするお米を栽培する田んぼのことです。

大高斎田

毎年6月には御田植祭が行われ、9月には抜穂祭が行われるとのことです。

訪れた時期は夏の終わり。たわわに実った稲穂はとても美しく、信仰の厚さがうかがえます。

大高斎田の稲穂

元宮(宮簀媛命宅趾)と神明社

さらに歩くと、右側に元宮の鳥居が見えてきました。ミヤズヒメの宅趾はこの先にあります。

元宮の鳥居

森の中を縫うように一本の道が続いています。

参道

しばらく歩くとお社が見えてきました。

木々の間にお社が見えます

道の途中にあるこちらのお社は神明社でした!

神明社
神明社
神明社

参道はまだまだ奥へと続いています。

少し歩くと開けた場所に辿り着きました。

奥にお社と石碑が見えます。

本宮(宮簀媛命宅跡)

こちらが元宮のようです!

元宮
元宮

石碑を見てみます。

元宮の石碑

宮簀媛命宅趾とあります。ミヤズヒメはここに住んでいたのですね!

石碑(宮簀媛命宅跡と刻まれています)

肩書きは、

「尾張国造之祖」「倭武天皇妃」

となっています。

『先代旧事本紀』(第10巻の「国造本紀」)には、乎止与命(ミヤズヒメの父)を尾張国造に定めたことが記されています。

元宮の地は尾張国造の館跡ともいわれているため、ミヤズヒメの実家ということになりますね。

東征を終えて帰還したヤマトタケルを優しく迎え入れる一家の様子が目に浮かびます。とても温かい気持ちになります。

宮簀媛命の肩書きは「尾張国造之祖」「倭武天皇妃」

「倭武天皇」はヤマトタケルのことを指していると思われます。即位していないヤマトタケルを“天皇”と表記することには少し違和感を覚えますね。

この「倭武天皇」の名は、尾張から遠く離れた地で編纂された『常陸国風土記』の中にも見られます。しかし、人物像は記紀のヤマトタケルとは異なり、ヤマトタケル=倭武天皇とは言い難い気もします。

さらに、興味深いことに『尾張国熱田太神宮縁起』や『尾張国風土記(逸文)』などの尾張で編纂された文献では、ヤマトタケルの表記は「日本武尊」や「日本武命」となっており「倭武天皇」の名は登場しないようです。

不思議です。

碑に「倭武天皇」の名が刻まれているのは何故なのでしょうか。碑が建てられたのは明治時代以降のようですが、どのような意図があるのか気になるところです。この辺りの事情に詳しい方は、是非Y.Yまでご一報を。

現在の鎮座地へ

元宮の鳥居まで戻ってきました。氷上姉子神社の鳥居は元宮の鳥居と(道路を挟んで)向かい合うように建っています。

氷上姉子神社

鳥居のわきには御由緒の石碑がありました。

御由緒の石碑

熱田神宮摂社
氷上姉子神社 
御祭神 宮簀媛命
当神社は昔から「お氷上さん」と親しく呼ばれ、尾張氏の祖神として、大高町はもとより、広く当地方一円の人びとから厚い崇敬を集めています。
御祭神の宮簀媛命は尾張国をおさめておられた。乎止与命の女(むすめ)で、古代随一の英雄とたたえられた日本武尊が東国平定からの帰途、この地に留まられた時に結婚されました。その後、尊が伊勢の国の能褒野で亡くなられてからは、尊から託された草薙神剣をこの地で守護してこられましたが、やがて神剣を熱田へお祀りされ、熱田神宮御創祀の貴い道を開かれた方です。
御社殿は、乎止与命の館跡(現在の元宮の地)に、仲哀天皇四年に創建、持統天皇四年に現在の地に遷座されました。以後、延喜式(西暦九二七年)の小社に列せられ、江戸時代の貞享三年(西暦一六八六年)には幕府によって御造営が行われるなど、厚い処遇を受けて今に至ります。
例祭 十月第一日曜日
太々神楽 三月最終日曜日
頭人祭 五月六日
御田植祭 六月第四日曜日

この地は古くは「火高」の「火上」という地名だったようです。ただ、「火」の文字は火事を連想するため、後の時代になって「大高」の「氷上」に改められたそうです。

氷上姉子神社 御祭神と主な祭典

氷上姉子神社の氷上姉子(火上姉子)はミヤズヒメの事を指しているといいます。

東征の帰途、ミヤズヒメに逢いたくて仕方がなくなったヤマトタケルは

年魚市(あゆち)潟 火上姉子は 我来むと 床去るらむや あはれ姉子を

という歌を甲斐国坂折宮で詠んだといいます。これが氷上姉子神社の名前の由来になったのだとか。

いにしえのノロケです。

氷上姉子神社 拝殿前の鳥居

車も通れる舗装された参道を進むと、拝殿前の鳥居に辿り着きました。

鳥居の榊
氷上姉子神社の手水舎

拝殿の隣に立て札がありました。

境内にある立て札

氷上姉子神社
熱田神宮摂社で祭神宮簀媛命を祀る。「寛平熱田縁起」によれば日本武尊を建稲種命が火上(現 大高町)にお迎えした時、妹の宮簀媛を妃とされ、東征の帰途にも立ち寄られ、草薙劔を留められたという。仲哀天皇四年、館跡に社殿を設けて媛を祀ったのが起源で、持統天皇四年(六九〇)に現在地に移ったとされる。
名古屋市教育委員会

新しい登場人物 建稲種命について軽くご紹介します。

建稲種命は乎止与命の息子(ミヤズヒメの兄)で、ヤマトタケルの東征に副将軍として同行した人物です。景行天皇に仕えていたので、ヤマトタケルとは旧知の仲だったと考えられます。

この建稲種命の最期も、なかなか悲劇的です。

東征後、ヤマトタケルと建稲種命は尾張での再会を約束して別れます。ヤマトタケルは陸路、建稲種命は船で尾張を目指しました。

航海の途中、美しい声で鳴く鳥を見つけた建稲種命はヤマトタケルに献上しようと考えます。しかし、この鳥を追いかけまわした結果、船から転落して水死してしまうのです。

建稲種命の訃報に接したヤマトタケルは非常に悲しみ、「うつつかな」と嘆いたといいます。ヤマトタケルと建稲種命の絆を感じさせるエピソードです。

このような尾張国造関連のエピソードは記紀ではバッサリとカットされており、『尾張国熱田太神宮縁起』をはじめとする尾張で編纂された文献にのみ見ることができます。

氷上姉子神社の拝殿

話をミヤズヒメに戻しましょう。

『尾張国熱田太神宮縁起』や『尾張国風土記(逸文)』には、ヤマトタケルが草薙の剣をミヤズヒメのもとに残していった経緯が書かれています。

氷上姉子神社の拝殿

ミヤズヒメ宅に着いたヤマトタケルは、桑の木に草薙の剣を掛けっぱなしにして寝てしまいます。

翌朝、桑の木を見に行くと、草薙の剣は異様なほど光り輝き、触れることができなくなっていました。

これを見たヤマトタケルは、ミヤズヒメに「我が床の守りとせよ」と告げ、草薙の剣を置いていくことにしました。

まるで草薙の剣自身が尾張の地に留まることを選んだようにも思えますね。

氷上姉子神社の拝殿

ヤマトタケルとの約束をしっかりと守ったミヤズヒメは、彼の死後も火上の地で草薙の剣を守り続けました。

手水舎側から見た鳥居

しかし、ミヤズヒメも歳を取ります。老いたミヤズヒメは親族と相談し、熱田に社を創建して剣を移すことにしました。これが今日の熱田神宮の起源とされています。

朝苧社

続いて向かったのは朝苧社です。氷上姉子神社に案内があったので、これに従って行ってみることにしました。

朝苧社へのご案内
参道脇の階段 ここを降ります

案内看板は、住宅地の奥にひっそりとありました。

朝苧社の入口

少し迷って行ったり来たりしたものの、拝殿前の鳥居からは25分ほどで辿り着くことができました。

山の中にあります

ここからは山登り。道なき道を進みます。
比婆山久米神社 奥宮を彷彿とさせる参道です。

参道…?

とはいっても距離は短く、数分も歩かないうちにお社が見えてきました。

お社が見えてきました

朝苧社です!

祭神として祀られているのは火上老婆霊。この火上老婆霊が誰のことを指すのかは はっきりとはしませんが、ミヤズヒメの母や祖母、乳母であるという説があります。また、老いてこの世を去ったミヤズヒメ自身の御霊だとする説もあります。

朝苧社

山の中にポツンと佇む朝苧社は、まさに隠棲の地といった雰囲気。亡夫を偲び、静かに余生を過ごしたミヤズヒメの姿と どこか重なる気がします。

氷上姉子神社 アクセス

〒459-8001 愛知県名古屋市緑区大高町火上山1−3

寝覚の里

最後に向かったのは、二人の楽しい思い出がつまった場所。「寝覚の里」です。

氷上姉子神社には「日本武尊寝覚の碑への御案内」も掲示してありました。これを頼りに来た道を引き返します。

日本武尊寝覚の里への御案内

この場所、実は斎山稲荷神社と氷上姉子神社のほぼ中間にあります。実際に皆さんが訪問される際は、参拝の順番を考えた方が良いかもしれません。

寝覚の里

立て札を見てみます。

寝覚の里の立て札

風化が著しく判読は困難ですが、概ね以下の内容が記されている…と思います。

寝覚の里

ここは日本武尊と宮簀媛命が新婚のひと時を過ごした館があったと伝えられる所です。
当時海辺であったこの地は、毎朝寄せてくる潮騒に寝覚めを得ていました。そのことから里人はここを「寝覚の里」と呼んできました。
初めはここよりやや東の田の中に塚が設けられていましたが、伊勢湾台風で散逸してしまいました。今の碑は昭和五十五年、この場所に再建されたものです。碑文は次の通りです。

大高里なる この寝覚の地名はしも千八百年の昔倭武天皇の火上の行在所に坐せる時、朝な朝なに海潮の波音に寝覚し給ひし方なる故にかく云い効ハセるものならは故この地名を万代に傳へまくを予に其事この石面に書付てよと里人の請はるるままにかくなむ
明治四十三年十月
熱田神宮宮司 正五位勲六等 角田忠行
大高学区
大高歴史の会

この場所にはヤマトタケルとミヤズヒメの新居があったのですね。しかも、今で言うところのオーシャンビューです。

寝覚の里

寄せては返す波の音を聞きながら寝起きする、仲睦まじい二人の様子を想像できます。

寝覚の里の碑

今は碑と立て札が残るのみですが、とてもロマンを感じられるスポットだと思います。

● 寝覚の里 アクセス

〒459-8001 愛知県名古屋市緑区大高町中ノ島19

最後に

最後までお読みいただき、ありがとうございます。今回は、氷上姉子神社を中心にヤマトタケルとミヤズヒメゆかりの地を巡ってみました。いかがでしたでしょうか?

今回 紹介したスポット以外にも、「ヤマトタケルとミヤズヒメゆかりの地」は沢山あります。愛知県を観光される際には是非こういった「ゆかりの地」にも目を向けてみてください。

ディープな日本神話の世界が貴方を待っています。

熱田神宮 参道(愛知県名古屋市)

主な参考文献・URL

  • 氷上姉子神社(熱田神宮公式HP)
  • 神社本庁(2012). 『神社検定 公式テキスト2 神話のおへそ』. 扶桑社
  • 小野寺優(2022). 『ラノベ古事記 日本の英雄と天翔ける物語』.KADOKAWA
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Writer Y.Y

日本の歴史や日本神話、化学と生き物と歌を愛してやまない妖怪です。研究者の端くれです。神秘的な場所を求めてさまよう旅人でもあります。

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