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天菩比神・天穂日命アメノホヒノカミ
天穂日命アメノホヒノミコト

アメノホヒノカミ
アメノホヒノカミ

アメノホヒとは

アマテラスの子で次男。国譲りの為に交渉役として選ばれました。
出雲国(島根県)と、とっても縁の深い神様です。

オオクニヌシを説得する為に出雲に派遣されましたが、オオクニヌシに惚れこんで3年経っても帰って来ませんでした。国譲りの後、アメノホヒは出雲国造の祖先となったとされています。

子孫は出雲国造(いずもこくそう。県知事みたいなもの)になり、出雲大社の創建以来、現在も祭祀を担っています。

また、子孫に相撲の神様の野見宿禰(ノミノスクネ)がおり、そのまた子孫には学問の神様の菅原道真(すがわらのみちざね)がいます。

名前の由来

天穂日命/アメノホヒノミコト

アメノ⇒天の。天津神につく苗字みたいなもの。
ホ⇒秀・穂・秀等の意味があるとされる。特に優れた
ヒ⇒日・火を意味する。

アメノホヒは『生命力が火のように燃え盛る優れた稲穂』という意味。ホヒ(穂霊)は『農耕や稲穂の神様』とされる。

また、ホヒは『優れた日(火)』を意味する名前であるという考えもあります。
なのでアメノホヒは『太陽神』とも考えられているそうです。
アメノホヒは太陽と農耕に関する神様であるとされています。

一般に各地方の豪族の祖神とされる神様は、その地の国土開発・産業振興の神様としての性格を持ち、さらに人々の生活全般の守護神として信仰されていることが多いそうです。アメノホヒも同じで、今日でも農業・養蚕・絹糸・木綿の神様として、全国各地に祀られています。

アメノホヒの別名

天穂日命/アメノホヒノミコト
天乃夫比命/アメノホヒノミコト
天之菩卑能命・天穂比命/アメノホヒノミコト
天菩比神/アメノホヒノカミ
菩比命/ホヒノミコト

アメノホヒの神話

古事記

誓約 >>
スサノオとアマテラスの誓約の際に誕生した五男三女神の一柱。アメノホヒはアマテラスの子で、次男坊。

天之菩卑神と天若日子 >>
国譲りの為に派遣されたアメノホヒ。
オオクニヌシとの交渉役として出雲に派遣されたが、オオクニヌシに惚れこんで、3年経っても帰って来なかった。

アメノホヒの伝承の地

天穂日命の磐座(あめのほひのみことのいわくら)

兵庫県神戸市の六甲山にある、六甲山に点在する巨岩の一つ。
六甲山に降りたアメノホヒをお祀りした磐座で、神籬(ひもろぎ)と呼ばれています。
(六甲山カンツリーハウスの敷地内に安置されている為、拝見については有料)

神籬(ひもろぎ)とは、木材を使って神社を建築しなかった大昔に、巨大な石をもって築いた古代祭場のこと。

神代塚古墳(こうじろづかこふん)

島根県安来市吉佐町アメノホヒのお墓とされる『神代塚古墳』がある。
また、神代塚古墳の近くの神社『支布佐神社』はアメノホヒを祭神として祀っている。
他に、中海に浮かぶ『穂日島』など、安来市はアメノホヒに関わる伝承が多い。

その他

信仰

農業神・稲穂の神・養蚕の神・木綿の神・産業の神など幅広い神徳があるとされています。
アメノホヒは、出雲だけでなく全国的に広く祀られています。

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)

出雲国造神賀詞とは、アメノホヒを祖神とする出雲氏が天皇に対して献上する賀詞(よごと。寿詞とも)のことです。賀詞とは祝いを表す言葉のこととされています。
出雲国造神賀詞によると、国譲りの時に地上に派遣されたアメノホヒは、地上を駆け巡ってその様子をアマテラスに報告しました。さらに、自分の息子のアメノヒナドリと剣の神様のフツヌシを派遣し、見事に地上を平和に治めました。こちらではきちんと使命を果たし、地上世界を平和に治めた偉大な神様であることが強調されています。

神魂神社(かもすじんじゃ)

島根県松江市大庭町にある神社。本殿は現存する日本最古の大社造りで国宝。
社伝によれば、アメノホヒがこの地に降りてきて創建したものと伝えられています。
伝説によれば、アメノホヒがお釜に乗り、この地に降りてきたそうです。

御利益(神徳)

学問上達・受験合格・縁結び・農業・蚕守護・国土開発・産業振興・商売繫盛・金運招福

祀られている神社

神社一覧

亀戸天神社
桐生天満宮
能義神社
出雲大社境内・ 氏社
芦屋神社
道明寺天満宮
馬見岡綿向神社
天穂日命神社(鳥取)

など