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ゆかりの地巡り

阿曇大浜・小浜宿禰の大嶽・小嶽神社

投稿日:2022/09/04 最終編集日:2022/09/06

志賀海神社の遥拝所からは、大嶽神社・小嶽神社が見えるという。

鳥居のすぐ右にポコポコと二つ見えるのは立花山。大嶽神社はそれよりも右にあるらしいけれど、どれかは不明。この写真で見えるのかも不明。

大嶽神社

西鉄バスで、志賀(志賀海神社最寄りバス停)から大岳(大嶽神社・小嶽神社最寄りバス停)へ直通で行けます。

祭神:保食神(うけもちのかみ)

赤い鳥居がたくさん連なっている様子は稲荷神社を思わせます。

元禄年間(江戸時代)に親子の狐が住んでいたということで伏見稲荷大社から保食神が勧請され合祀されたそうです。

なので、きっとそれ以降に稲荷神社っぽくなったのでしょう。

大正には大嶽稲荷講社が結成されたとのことなので、現代では稲荷神社としての側面が強いのかもしれません。

アスリートの聖地

2018年までは旧選手寮・練習施設である西戸崎合宿所が近くにありました。

今でも、福岡ソフトバンクホークスの選手がこの階段をトレーニングに使っているということで、福岡のアスリートの聖地ともいわれているそうです。

https://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/00004116.html

2021年3月のホークスだよりには「かつてホークスの寮があった西戸崎にある大嶽神社の階段上りと坂道ダッシュを行っているが 、例年1 、2回だったものを今年は6回も行った。」とあります。

祭神:風の神

保食神よりも前から祀られているのは、風の神である志那津比古神(しなつひこのかみ)と志那津比売神(しなつひめのかみ)。

なお、古事記・日本書紀には志那津比古神のみが出てきます。

志那津比売神は志那津比古神と男女一対の神であったと考えられています。

社殿には志賀海神社と同様、清めのお砂(御潮井)がありました。

また、「本殿改修奉参のお願い」というチラシがありました。
※2021年3月に改修されたそうです。

大嶽神社は、古来より風の神として信仰されている「志那津比古神」「志那津比売神」をはじめ、神功皇后に従って活躍し、応神天皇の御代には、勅命により諸国で反乱を繰り返す漁民を平定した功労が讃えられ海人の宰となった「大浜宿祢」をお祀りしております。
また、元禄年間に親子の狐が住んでいたということで伏見稲荷大社より「保食神」を勧請し、合祀するようになりました。
更に、ご本殿の後ろには大岩があり、鎮座する大岳山の周りにも大岩が存在するため、古墳であったと云われており、銀印や金の耳飾りが発見されながらも残念ながら盗掘にあってしまい、歴史的にも大変貴重な文化遺産でもあります。(中略)
大嶽神社は砂浜の上に隆起した岩の上に立っており、それらの岩の中には年輪のような層ができている年輪石もあります。(中略)
志賀島は上質な砂鉄が採取できることから、風の神の力を借りてたたら製鉄を行ってきたのではないかと推測しております。

祭神:大浜宿禰

『日本書紀』巻十の応神天皇3年11月に、大浜宿禰の名前が出てきます。

處々の海人、訕哤きて命に従はず。則ち阿曇連の祖大浜宿禰を遣して、其の訕哤を平ぐ。因りて海人の宰とす。故、俗人の諺に曰はく、「佐麼阿摩」といふは、其れ是の縁なり。

「佐麼阿摩(さばあま)」が何を意味する諺なのか、今は分からなくなってしまっていますが、ともかく、「佐麼阿摩」という諺は、命に従わなかった海人達を大浜宿禰が平定したことに由来するということです。

小嶽神社

大嶽神社の近くに、小嶽神社もあります。

祭神:小浜宿禰

『筑前国風土記』逸文には、「糟屋の郡、資珂の嶋」に関する以下の伝承があります。

気長足姫尊が新羅へ向かった際に、船で夜に停泊し、陪臣の小浜に勅令を出して、火を探し求めさせた際に、早くに手に入れられたので戻って来た。それを同じ従者の大浜が、「近くに家があるのか」と尋ねたところ、「この島は打昇(うちのぼり)の浜と近く、地形も相続いている。殆ど同じ土地と言ってしまってよい」と答えた。そこで「近(ちか)の嶋」と言ったものを、訛って、「資珂の嶋」とよんでいる。

秋田県にある蚶満寺にも、神功皇后と小浜宿禰の伝承があります。

神功皇后が三韓征伐の帰路、大シケに遭って象潟沖合に漂着し、小浜宿禰が引き船で鰐淵の入江に導き入れたが、そのとき皇后は臨月近かったので清浄の地に移したところ、無事に皇子(のちの応神天皇)を産み終えたという。その後、象潟で半年を過ごし、翌年の4月鰐淵から出帆し、筑紫の香椎宮に向かったという。蚶満珠寺の名は、干珠・満珠を皇后が持っていたことに由来するとされる。(『蚶満寺縁起』より)

三韓征伐の帰路に秋田まで流れていったというのは無理があるように思われます。

神功皇后は、長崎県対馬市の「鰐浦」辺りに上陸したという伝承もあるので、その辺りの伝承が何らかの理由で秋田の方に伝わり残っているのではないかと私は考えます。

2つの伝承から、小浜宿禰が神功皇后の身近にいて停泊・漂着した場所の様子を見に行くようなポジションにいたことが窺えます。

関連情報

ゆかりの地

●大嶽神社(志賀海神社摂社)

福岡県福岡市東区大岳3丁目24-10

●小嶽神社(志賀海神社摂社)

福岡県福岡市東区大岳4丁目4-1

公式サイト:http://www.shikaumi-jinja.jp/

(福岡ソフトバンクホークス)

公式サイト:https://www.softbankhawks.co.jp/index.html

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●『朝鮮出兵』(原文)

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Writer 筑前 ゆき

着物を着たり着なかったりして、主に福岡県内をウロウロ。マイブームは神功皇后ゆかりの地巡りとお遍路。参拝の為に山に登ったりもしています。

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