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航海における重要人物、阿曇氏の志賀海神社

投稿日:2022/08/23 最終編集日:2022/08/21

神功皇后が神託を受けた後の、裂田溝の記述より後の『日本書紀』の記述。

於是、使吾瓮海人烏摩呂、出於西海令察有国耶、還曰「国不見也。」又遣磯鹿海人名草而令視、數日還之曰「西北有山、帶雲横絚。蓋有国乎。」

 

〈現代語訳〉
吾瓮海人烏摩呂を派遣して西の海に出て、国があるかと視察させた。帰ってきて言った。「国は見えませんでした。」
また、磯鹿海人名草を派遣して視察させた。数日経って帰ってきて言った。「西北に山があり、雲が横たわっています。国があるようです。」(『日本書紀』)

『古事記』や『日本書紀』内で、仲哀天皇が見えないと言った西海の国でしたが、『日本書紀』内で神功皇后に派遣された磯鹿(しか)の海人(あま)名草は国が見えたと言っています。

この人物は一体何者でしょうか。

磯鹿海人=志賀島の海人というのは、綿津見三神の子孫と書かれる阿曇氏だと考えられています。

綿津見三神と阿曇氏

綿津見(わたつみ)三神とは

イザナギが黄泉の国から帰ってきて竺紫日向之橘小門之阿波岐原で禊をした際に、底筒男(底筒之男命)・中筒男(中筒之男命)・上筒男神(上筒之男命)と共に生まれた底津綿津見神(底津少童命)・中津綿津見神(中津少童命)・上津綿津見神(上津少童命)のこと。
「ワタ」は海の古語、「ツ」は「の」を表す上代語の格助詞、「ミ」は神霊の意で、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になると言われる。


禊より前に生まれたとされる大綿津見神や、豊玉姫や玉依姫の父である綿津見大神(海神豊玉彦)は全て同一神という説、別神という説両方ある。

阿曇(あずみ)氏とは

阿曇(あずみ)は安曇とも書く。海津見(あまつみ)が語源といわれる。
海人族(あまぞく)、海人部(あまべ)として漁業で生活していた人たちで、大陸との交易にも大きな力を発揮した豪族。

次於水底滌時、所成神名、底津綿津見神。次底筒之男命。
於中滌時、所成神名、中津綿津見神。次中筒之男命。
於水上滌時、所成神名、上津綿津見神。次上筒之男命。
此三柱綿津見神者、阿曇連等之祖神以伊都久神也。故、阿曇連等者、其綿津見神之子、宇都志日金拆命之子孫也。
其底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命三柱神者、墨江之三前大神也。

(『古事記』)

ラノベ古事記の原文『イザナギの禊』

※連(むらじ)は臣(おみ)とともに高位の豪族が保持した称号。村の主(むらぬし)が語源ともいわれる。

志賀海神社

志賀海(しかうみ)神社とは

福岡県の志賀島(しかのしま)にあり綿津見三神を祀る神社。
全国の綿津見神社、海神社の総本社であり、阿曇氏ゆかり地として知られる。
2009年に阿曇磯和宮司が亡くなり阿曇家の当主は不在となったということだが、2022年現在もその血族が神職を務めている。

鹿海神社(左)と香椎宮(右)の地図。

JR香椎線西戸崎駅で降りてバスに乗り換え、志賀島で降ります。

海水浴場のすぐ近くに一の鳥居がありました。

御潮井

禊祓いの神様なのでと、階段の手前には御潮井=清めの砂がありました。
御潮井(お汐井)という単語、福岡のお祭り山笠のお潮井取りでよく聞いてはいたけれど、参拝前に身を清める為にって置いてあるのを見たのは私は初めて!
これが本来の姿なんだな~と思いながら、御潮井を左、右、左と軽くふり、先へ進みました。

灯篭に鹿の紋あり。
万葉歌碑「ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも われは忘れじ志賀の皇神」

大山津見神と山誉祭

山之神社 御祭神:大山津見神

志賀海神社には山誉祭(山誉種蒔漁猟祭)といって、山の恵みに感謝し豊漁を祈る祭りがあるそうです。

海と山、両方とも大切にしている様子が素敵だなと思いました。

御朱印はもちろん、参拝が終わった後に頂いたもの。

この立派な門をくぐり、本社へ向かいます。

鹿角庫(ろくかくこ)

拝殿のナナメ前には、鹿の像と鹿角庫。

神功皇后が対馬で鹿狩りをし、その角を奉納したそうな。
鹿の角がいっぱい!志賀島(しかのしま)は鹿の島だった⁉

亀石と遥拝所

遥拝所。逆光の写真の色をいじったのでちょっと変になった。

遥拝所は、右斜めの対岸の大嶽神社・小嶽神社と正面真東の伊勢の神功、宮中三殿等を拝しています。

参考までに、行き方案内の地図。志賀海神社の最寄り飛行場から伊勢神宮の最寄り飛行場までは1時間15分。
志賀明神と勝馬明神が乗っていた黄金雌雄の亀が石となったもの。

神功皇后が三韓へ出兵される際、無事凱旋できるよう安曇磯良丸を通じ祈願され、七日七夜のお神楽を奏されました。すると黄金雌雄の亀に乗った志賀明神と勝馬明神がご出現され皇后へ干珠満珠の玉を授け、船の舵と航路を守り導きました。

ということが、ここには記載されています。

亀石と遥拝所の説明書き。

このエピソードは志賀海神社だけでなく様々な場所に伝わって入るのですが、細かい部分が違います。

神功皇后が七日七夜のお神楽を奏したのは阿曇磯良を召し出す為だったり、干珠満珠を授けたのは龍神だったり、高良神や武内宿禰や豊姫が、志賀明神や龍神に頼みに行っていたりなど。

いずれにせよ、神功皇后が三韓へ出兵するにあたって現実的具体的に力を借りたのは安曇氏であり、阿曇氏や阿曇氏が祀る神に熱心に祈ったんだろうなと思われます。

 

ところでこの勝馬明神。宮地嶽神社の勝村・勝頼大神と関係があったりするのではないかと思ったりなんかするのですが、どうなんでしょうね。

豊浦宮で新羅国の塵輪と戦って討ち死にした阿部高麿・助麿兄弟(=勝村・勝頼大神)は阿曇氏とされています。

「阿倍」は阿曇の別名という説や、阿曇氏の部曲(=豪族の私有民)「阿曇部」の略という説もあります。

今宮神社

志賀海神社の境内にある摂社、今宮神社には、宇都志日金拆命、阿曇磯良丸をはじめ神裔阿曇諸神が祀られています。

 

綿津見三神は、アマテラスよりも前に生まれたとされる神様です。

その力を借りて、神功皇后は海を越えて行ったのです。

関連情報

ゆかりの地

●志賀海神社

福岡県福岡市東区志賀島877

公式サイト:http://www.shikaumi-jinja.jp/

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Writer 筑前 ゆき

着物を着たり着なかったりして、主に福岡県内をウロウロ。マイブームは神功皇后ゆかりの地巡りとお遍路。参拝の為に山に登ったりもしています。

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