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オオモノヌシとは
オオクニヌシがスクナヒコナがいなくなって嘆いていると、海のかなたから光り輝きながらオオクニヌシの元へやって来た。国造りを一緒にする代わりに三輪山に祀るよう望んだ。
オオクニヌシの分身とも、別の神様であるともいわれています。
大和の国(奈良県)の三輪山に住む蛇神で、ヤマタノオロチのモデルという説もあります。
矢に姿を変えてトイレに忍込み、 気に入った姫の陰部を突いたエピソードもあり。神武天皇の義理の父で綏靖天皇(神武天皇の皇子)の外祖父。
名前の意味や由来について
大⇒オオ。大いなる。
物⇒モノ。霊威・霊格のこと。すぐれて不思議な力。
主⇒ヌシ。治める者。王
強力な霊威を称える名前で『物凄く不思議な力の王』という意味。
オオモノヌシの名前はオオクニヌシの別名とする説と、オオクニヌシが荒魂とすると、オオモノヌシは和魂、または奇魂の名前であるとする説があります。
○荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)
日本の神様は基本的に二つの性格(霊力)を持っていると考えられています。
『荒魂(あらたま。荒御魂〈あらみたま〉とも)』と『和魂(にぎたま。和御魂〈にぎみたま〉とも)』の二つの性格があるといいます。
荒魂(あらたま)・・・超アグレッシブな性格。荒々しく勇敢で祟りもするが、その霊威を祀ることによって人間を守護する力になるとされる。
和魂(にぎたま)・・・穏やかで愛情に満ち、人間に平安をもたらす性格。
なお和魂には『幸魂(さきみたま)』と『奇魂(くしみたま)』の区別があります。
幸魂・・・感情的・情緒的な幸福を司る
奇魂・・・知識的・神秘的で霊妙な働きを司る
とされています。
オオモノヌシは水神または雷神としての性格を持ち、稲作豊穣、疫病除け、酒造りなどの神様として篤い信仰を集めています。
また、国の守護神である一方で、祟りをなす強力な神様として登場する話もあります。オオクニヌシの分身であるため、大黒様として祀られることも多いです。
オオモノヌシの別名
倭大物主櫛甕玉神/ヤマトオオモノヌシ クシカミタマノカミ
三諸神/ミモロノカミ
三輪大神/ミワノオオカミ
大国主命/ オオクニヌシノミコト
大黒様/ダイコクサマ
など
オオモノヌシの神話
少名毘古那神との国作り >>
美保岬で凹んでいるオオクニヌシの元に、海の向こうから光りながらやって来た。
一緒に国造りをする代わりに三輪山に祀って欲しいと望み、三輪山に祀ってもらった。
伊須気余理比売の立后 >>
勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)という美女に見惚れたオオモノヌシは、姫が大便をする時に朱塗りの矢に姿を変えた。そして便所場に流れて行き、彼女の陰部を突いた。
ビックリした姫は慌てふためきながらもその矢を持ち帰り、床の傍に置くと、その矢がたちまちイケメンに変身。結婚して産まれた子が比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ。神武天皇のお嫁さん)だという。
美和の大物主神 >>
崇神天皇の頃、疫病や災害が続きました。
その時、崇神天皇の夢にオオクニヌシが現れ『疫病は自分の仕業であり、自分の子である意富多々泥古(オオタタネコ)が私を祀れば疫病は収まる』と伝えます。
速やかにオタタネコが捜し出され、彼が祭主になると、たちまちに疫病は収まり国内は平安を取り戻しました。
また、オオモノヌシと活玉依比売(イクタマヨリヒメ)の恋物語も記されています。
オオモノヌシが美しい乙女・イクタマヨリヒメの元に夜に会いに来るというお話。
二人は恋に落ち、姫は身籠るのだが、姫も両親も毎夜訪ねてくる若者の正体を知りません。
姫の両親は正体不明の若者を不審に思い、若者が訪ねてきた時に赤土を床にまき、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺せと姫に教えました。
姫は早速両親に教わったことを実行しました。
翌朝になると糸は鍵穴を出て、後に残っていた糸巻きは三勾(みわ)だけでした。さらに糸を辿ってゆくと三輪山に辿り着き、神様の社の中で止まっていました。これによって、若者の正体がオオモノヌシであり、姫のお腹の中の子が神の子と知ります。
この時に糸巻きが三巻き(三勾)残っていたことから、この地を『美和(三輪)』と名付けたといいます。 糸巻きのことを苧環(おだまき)とも呼び、糸をたよりに相手の正体を探るという説話は苧環型と言われて、類似した説話が全国各地に存在します。
オオタタネコを祀る『大直禰子神社』の入口脇に、おだまき杉といわれる杉の古株が残っており、物語に登場するイクタマヨリヒメの苧環の糸がこの杉の下まで続いていたという伝説が残されています。
本牟智和気御子 >>
垂仁天皇の頃のお話。垂仁天皇の息子ホムチワケノミコは、髭が長く伸びた大人になっても話すことが出来ませんでした。天皇が困っていると夢にオオクニヌシが現れ
「国譲りの時の約束を守ってくれたら、御子は話せるようになるよ」
と伝えました。
垂仁天皇は早速、曙立菟上王(アケタツウナカミノオウ)をホムチワケに添えて出雲に参らせました。すると、出雲の神様を参拝したホムチワケノミコは話が出来るようになったといいます。
崇神天皇の頃のお話。
オオクニヌシは、崇神天皇により土地の守護神として、皇祖であるアマテラスと供に瑞籬宮(みずがきののみや。桜井市金谷付近と伝えられる)の皇居内に一緒にお祀りされていました。しかし、両神がとても強く、同じ殿内にお祀りすることに不安を覚えた天皇は、二柱をそれぞれ別の場所でお祀りすることを考えました。
アマテラスを豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)を斎王として笠縫邑(かさぬいむら)に、渟名城入姫命 (ぬなきいりひめのみこと)にオオクニヌシを託してお祀りしました。
しかし、渟名城入姫命は髪が抜け、痩せ細って祀ることができなくなりました。なので、大倭直(やまとのあたい)の祖、長尾市宿禰(ながおちのすくね)にバトンタッチをしてオオクニヌシをお祀りしました。前社が伊勢神宮、後社が大和神社の始まりとされています。
垂仁天皇の頃のお話。
別の話では、アマテラスを伊勢に遷宮された時、オオクニヌシが大水口宿禰(おおみなくちのすくね)の夢に現れ 「初めの約束はアマテラスはすべての天原(あまのはら)を治める。代々の天皇は葦原中国(あしはらなかつくに。日本)の諸神を治め、自分には自ら地主の神を治めるようにということであった。先皇は神祗をお祀りになったがその根源を知らずetc・・」
と祀り方に不満を述べました。
そこで、天皇は探湯主(くかぬし。占い師みたいな人のこと)に『誰にオオクニヌシを祀らせるか』と占わせました。
その結果、名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)が占いに出ました。そこで、名城入姫命に命じて引っ越し先を穴磯邑(あなしむら)に定め、大市の長岡岬(ながおかみさき)にお祀りしました。しかし、渟名城入姫命はすでに体が痩せ細って祀ることができませんでした。
なので、大倭直(やまとのあたい)の祖、長尾市宿禰(ながおちのすくね)にバトンタッチをしてオオクニヌシをお祀りしました。
オオモノヌシを厚く敬った崇神天皇は、神に捧げる御酒を造るために高橋邑の活日(いくひ)を掌酒(さかひと。お酒の醸造を司る人)に担当させました。
活日は酒造りの杜氏の祖先にあたる人です。そして活日は、一夜にして味の良い美味しいお酒を醸したそうです。オオモノヌシへの祭りが行われた後の酒宴で、活日は御酒を天皇に捧げて
「この神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久」
(この神酒はわたしが造った神酒ではありません。倭の国をお造りになった大物主大神が醸されたお酒です。幾世までも久しく栄えませ、栄えませ。)
という歌を詠みました。以下省略
崇神天皇の頃のお話。
天皇の伯母、倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)は神様の意思を伝える巫女として天皇のまつりごとを助けました。やがてオオモノヌシの妻となりましたが、オオモノヌシは昼は来ないで、夜にしか姫のもとを訪れません。
「貴方様の顔をはっきりと見たいの。だから明日の朝まで一緒にいてほしい」
と姫はオオクニヌシに願い出ました。
「たしかにそうだね。朝にあなたの櫛笥(くしげ。櫛などの化粧道具を入れておく箱。今風に言えば化粧ポーチ)に入っているから、決して驚かないでね」
と、姫の申し出を聞き届けたオオモノヌシはそう伝えました。翌朝。
姫は不審に思いながらも櫛笥を開けると、そこには白い小さな蛇が入っていました。
姫は驚きのあまり悲鳴を上げてしまいます。すると、オオモノヌシは蛇からたちまちに美男子に姿を変え、 姫が約束を破ったことを責め、二度と会えないと告げると、大空を翔けて三輪山に帰ってしまいました。
後悔した姫は大空を仰ぎ見て、ドスンと座り込みました。その時、箸で女陰を突いて命を落としてしまいました。このことから倭迹迹日百襲姫 の墓は『箸墓(はしはか)』と呼ばれるようになったといいます。
神功皇后が新羅(古代の朝鮮半島南東部にあった国家)を討とうと思い、兵士を集めようとしたが集まりませんでした。その理由を占うと、大三輪の神(おおみわのかみ)という神様がおり、その神様の仕業であるとわかりました。
早速、福岡県朝倉郡筑前町弥永に『大貴己神社(おおなむちじんじゃ)』を建てて刀と矛を奉ったところ、兵士が自然に集まり、神功皇后は新羅を平定したそうです。
オオモノヌシの伝承の地
雄略天皇のころのお話。
雄略天皇は少子部スガル(チイサコベスガル)を呼び
「三輪山の神の姿を見たいと思う。お前は腕力が人より優れているから捕まえてこい」と言いました。スガルは 「試しにやってみましょう」
と答え、三輪山に登って大きな蛇を捕まえてきて雄略天皇に見せました。その大蛇は雷のような音を立てて、目はきらきらと光り輝いていました。
大蛇の姿を見た雄略天皇は物凄く怖がり、目を覆って見ようとせず、御殿の中に隠れてしまいました。そして大蛇を丘に放たせました。その丘を『雷(いかずち)』といいます。
雷は奈良県高市郡明日香村大字雷にある『雷丘(いかづちのおか)』であるとされています。
『大君は神にしませば天雲の雷の上に庵りせるかも』
という柿本人麻呂の句が残っています。また、日本霊異記にも雷丘に関連する伝承が記されています。
その他
崇神天皇の頃、高橋活日命が天皇に神酒を献じて世の中に平安をもたらしたという話により、オオモノヌシは酒造りの神として敬われるようになったとされます。
そして大神神社のご神木は杉で、古来神聖なものとされてきました。やがて時代が下がって、酒の神であるオオモノヌシの霊威が宿る杉の枝を酒屋の看板とする風習が生まれ、軒先に酒ばやし(杉玉)を吊るすようになったといいます。醸造安全祈願祭(酒まつり)では『うま酒みわの舞』が奉納されます。
御利益(神徳)
縁結び・子授け・夫婦和合・五穀豊穣・養蚕守護・医薬・病気平癒・産業開発・交通・航海守護・商売繁盛・方除・造酒・製薬・人間生活の守護・禁厭(まじない)・農業守護・安産・心願成就 など
祀られている神社
その他
甲子碑・全国各地の出雲・伊豆毛(いずも)・出雲伊波比(いずもいわい)・出雲大神宮・大己貴・大穴牟遅・大穴持・大名持・大御和・兵主・子(ねの)神社と呼ばれる神社 など