そもそも古事記ってなに?『ラノベ古事記』の著者がわかりやすく解説!
そもそも古事記とは?
『古事記にもそう書いてある』ネットでよく見かける言葉だけれど、実際の古事記の中になにが書かれているか、実は知らない方も多いのではないでしょうか。
古事記とは、現存している日本最古の書物です。
昔ながらの読み方をすると「ふることふみ」。
『ふる』→いにしえの
『こと』→出来事を
『ふみ』→まとめた書物
という、割とそのまんまの意味です。
古事記には天地の始まりから、神々の誕生、日本の島々の誕生、神々による日本の国づくり、そして天皇の御代の始まり、古代の天皇から推古天皇の御代までのエピソードが『日本の歴史』として、上中下の3巻にまとめられています。
『歴史』と言われると、堅苦しいイメージを持つかもしれませんが、中をのぞいてみれば、自由奔放な生き生きとした神々の神話や、ロールプレイングゲームさながらの日本建国の物語、古代皇族の切ない恋物語など、「ラノベですか?」と突っ込んでしまいたくなるような、おもしろおかしな話がたくさん書かれています。(※ライトノベル=漫画風の小説)
天の最高神が引きこもったり、国づくりの神がプレイボーイだったり、日本統一のヒーローがサイコパスな上に女装したり….正直なところ、江戸や明治の人よりも、現代人の方がよっぽどわかりみの深い本になっているのではないでしょうか。
ボケたつもりで『古事記にもそう書いてある』と使っていても、あながち間違っていないケースも、実はよく見かけます(笑)
この記事について
古事記については色々な説がありますが、ここでは古事記原文の前書き『序』に沿って、基本的なところをわかりやすく解説していきます。
『序』は古事記の本編とは切り離された上表文(天皇に何かを献上する時に読み上げる文)と考えられており、古事記の概要、成り立ちの発端、古事記の成立などが大まかに書かれています。
まずは、古事記の公式設定をマスターしましょう!
古事記の成り立ちは?
序によれば、ある日、天武天皇が「自分が聞いた話によると、諸々の家が持っている歴史書は、すでに真実と違って虚偽が加わっているらしい。今のうちに、しっかり歴史をまとめておかないと、幾年も経たないうちに本当の歴史は失われてしまうだろう。歴史は国家の基礎だし、歴朝の功績だ。だから、なにが嘘か、なにが本当か見極めて、撰録した歴史書を後世に残そう」と言ったことにより、歴史編纂(へんさん=資料を集めて編集すること)のプロジェクトが始まったとされます。
日本書紀にも、天武天皇10年(西暦681年)に同じような勅命(天皇の命令)を出した記述が残っているので、この過程で古事記と日本書紀ができたと考えられます。
しかし、この勅命を出した天武天皇は、数年後に亡くなってしまいます。そのためか、古事記が献上されたのは、勅命から31年も経った712年でした。
時は元明天皇(天武天皇の息子の妻)の御代。
和銅4年9月18日(711年11月3日)、元明天皇から太安万侶(おおのやすまろ)が勅命を受け、翌、和銅5年1月28日(712年3月9日)に献上されたそうです。
30年間放置されていたプロジェクトをたった4ヶ月で仕上げたことになります。余談にはなりますが、私は5年以上古事記のラノベ風の現代語訳を頑張っていて、いまだに完成していません。
太安万侶は、天才だと思うんです。
古事記の作者って誰なの?
古事記の作者は、今となってはもう知ることができません。
そもそも一人の作者ではなく、各地の神話、歴史、口伝、史料、色々なものが混ざって1つの作品になっているので、『誰』という答えを出すのは不可能でしょう。
序には、帝紀(系譜)と旧辞(歴史書)が元になって作られたと書かれていますが、文字のない時代からの歴史が書かれているので、他にも家々の言い伝えや、神社に伝わる社伝などの色々な伝承も混ざっているものと考えられます。
古事記を編纂していた当時もすでに何が本当の話なのかわからなくなっていたので、古事記と同時期に書かれた日本書紀には「こっちの資料にはこう書いてある」「こんな説もある」などの異伝が残されています。
ただし、古事記には異伝が残されておらず、1つの説をピックアップして通して繋げてあるので、その説をチョイスした誰かしらの思想が反映されていることは確かでしょう。個人的には天武天皇の趣味趣向が詰まっていると考えていますが、それも今となっては想像する他ありません。
古事記を編纂した人たち。
しかし、古事記の編纂に関わった人たちの名前は残っています。メインとなったのは、天武天皇、稗田阿礼、元明天皇、太安万侶の4人です。
天武天皇(てんむてんのう)
まずは何と言っても天武天皇。この人が言い出しっぺです。
古事記というと神道のイメージが強いですが、天武天皇の時代は仏教が伝わってからすでに100年以上経っており、天武天皇も出家をしたことがあったり、妻が病に倒れた時には薬師寺を作って回復願ったり、仏教の教えを広めた仏教徒でした。
しかし、その一方で自分がピンチの時には先祖の天照大御神に祈ったり、伊勢神宮の式年遷宮を定めたり、昔ながらの日本の神様も大切にする人でした。
最新の仏教の教えを広めると共に、昔ながらの日本の神様も大切にして守ろうとしたのです。古事記はその過程で出てきた、プロジェクトの一つだと考えています。
稗田阿礼(ひえだのあれ)
稗田阿礼については、古事記の序文にしか記述が無く、謎の多い人物です。
序によれば、天武天皇が歴史編纂の勅命を出した時に、稗田阿礼は舎人(雑用係)だったそうです。
しかし、周りと比べても聡明で、目に触れれば言葉に出し、耳に届けば心に覚える能力を買われて、28歳の時に天武天皇にスカウトされます。
そして天武天皇の勅命によって、帝紀と旧辞を見ずに言えるよう暗記をしました。
物語調の歴史だけではなく、系譜もです。この人も天才です。
それをそのまま記したものが、古事記になります。
元明天皇(げんめいてんのう)
最終的に、古事記は元明天皇の勅命によって編纂されました。
天武天皇が亡くなり、妻の鸕野讃良(うののさらら)が持統天皇(じとうてんのう)となりましたが、歴史の編纂まで手が回らず、その次の元明天皇の御世にまでなってしまいました。
元明天皇は本当は天武天皇の次に天皇になるはずだった、草壁皇子(天武と讃良の息子)の妻だったのですが、夫に先立たれ、息子に死なれ、なかなかヘビーな人生を歩んでいます。
しかし、古事記の編纂以外にも、各地の土地の特徴や神話歴史をまとめた『風土記(ふどき)』の編纂も命じているため、「この人、歴女だったのでは?」と考えています。
「天皇の都合のいい歴史が書いてある」と言われがちな古事記ですが、実際に読んでみると、どう考えても天皇にとってマイナスだろうという神話や、自虐ネタや不祥事も数多く残っており、正直、「いやいや、これ、天皇の命令でよく残せたな」と思うような内容が数々書かれています。
それを「良し」としてくれたのが元明天皇だったんだろうなと個人的には考えており、私の中では、聖母です。
太安万侶(おおのやすまろ)
古事記を書き記したのは太安万侶です。
天武天皇の勅命によって、古事記を暗唱した稗田阿礼。しかし、天武天皇の死によって、一度プロジェクトが流れてしまいます。
それから約30年後、元明天皇の御世になり、「天武天皇の勅命により稗田阿礼が暗記した、歴史を撰録して献上するように」という勅命を受け、阿礼の言葉を細かいところまで拾って書き記しました。
しかし、阿礼の覚えた言葉は漢字の無い時代の古い言葉で、文に書き起こすことはとても難しいものでした。まだひらがなやカタカナの無い時代だったので、万葉仮名で一字一字漢字を当てはめていくと、いたずらに長くなって読みづらくなってしまうし、漢文のように訓読みで意味だけ拾うと、昔ながらの『大和言葉』のニュアンスが消えてしまいます。
そこで安万侶は音訓を混ぜて古事記を記述しました。漢字と平仮名を混ぜて記す、現代の日本語の書き方の本当のベースになった文章と言えるでしょう。
やっぱり、安万侶は天才だったとしか…
こうして古事記は、天武天皇と元明天皇は指示によって、稗田阿礼という暗記の天才と、太安万侶という記述の天才によって形になることができました。
この4人の中の誰が欠けても、古事記は残らなかったと考えています。
まるで神様が仕込んだかのような、素敵な奇跡をありがとう…
どんなことが書かれているの?
古事記は上中下の3巻に分かれており、上巻には日本の始まりの神話、中巻には初代神武天皇から15代応神天皇まで、下巻には16代仁徳天皇から33代推古天皇までの御世が書かれています。
ざっくりとした内容は下記の通り。(詳しい内容が気になる方は、ラノベ語訳のリンクを貼っておくので、そちらからどうぞ)
上巻
日本の始まりの神話から、どこかで聞いたことがあるような神々のエピソード。そして天の国から最高神の孫が地上に降りて、生活を始めるまでが書かれています。
中巻
初代神武天皇が、日向(九州)から大和(奈良)に東征をして、日本を治める神話。そして各天皇のエピソードの中で、徐々に勢力を拡大していく様子が伺えます。
下巻
ここまでくると、だいぶ歴史感が強まります。聖帝と呼ばれた仁徳天皇の恋物語や、大悪天皇と呼ばれた雄略天皇のやんちゃすぎるお話…
ちょっと読んでいただくとわかると思うんですけど、本当にこんなネタまみれの話を日本の正式な歴史書として残してよかったのか、疑問です。天武天皇も元明天皇も相当心が広かったとしか思えない。
でも、読めば読むほど好きになっちゃう罠……
古事記…恐ろしい子……
現代に残る古事記
古事記は1300年以上も前に書かれた書物ですので、原本はすでに残っていません。写本が2つ、真福寺のお坊さん賢瑜(けんゆ)が写した『真福寺本』(南北朝時代)と、神道家の卜部兼永(うらべ かねなが)が写した『卜部兼永筆本』(室町時代後期)が残っています。
しかし実のところ、古事記は長い間、日本書紀の副読本として活用されるだけで、注目されてきませんでした。江戸時代になって本居宣長(もとおり のりなが)が発表した「古事記伝」によって、ファンが増えることになり、広く一般にも読まれるようになりました。
ただ一時期、古事記を神道の経典として崇めすぎてしまった反動で、戦後は「古事記に書かれていることは全てウソなんだから、学ぶ必要なんかない」と、学校で学ぶことが禁止され、否定的な見方が増えてしまいました。
しかし、それも最近ではやっと乗り越えて、『文学作品』として古事記の純粋な面白さが注目されるようになり、古事記編纂1300年記念あたりからちょっとした古事記ブームが続いています。
また、今までは創作だと思われてきた、古代の巨大な出雲大社の巨大な柱が見つかったり、神武天皇東征を連想させるような九州から奈良への遺跡群の移動が見つかったりと、古事記や日本書記の記述とリンクするような遺跡が最新の発掘調査で出てきていることもあって、古代の日本を研究する上での史料としても再注目されつつあります。
古事記に書かれていることは、『どこまでが本当』で、『どこまでが嘘』なのか、今となってはもう知ることはできません。当時の人ですら、みんな全てを信じていたのかと聞かれたら、そんなこともないと思います。
でも、712年3月9日の、あの時、あの瞬間に、『そう伝わっていた』という『フルコト』が『記』され形を帯びるという奇跡が起こって、それが現代に至るまでずっとずっと大切に守ってくれた奇跡みたいな人々がいたからこそ、1300年以上経った今でも、私たちは古事記を読むことができています。
それって、すごくすごく素敵で幸せなことだなと思っていて…
そんな古事記が私は大好きで、とっても誇らしくて。微力ながら古事記がより多くの人に好きになってもらえるように、活動をしています。
『古事記について書かれた何か』の前に、まずは『古事記』を読むことで、右も左も向かない、おおらかでまっすぐな日本が見えてくるような気がするのです。
古事記の現代語訳は色々な本で勉強させていただきましたが、個人的には倉野憲司先生訳の古事記が一番好きです。もし、いきなり原文のハードルが高そうであれば、入口として、当サイトもご活用ください。古事記のラノベ訳が全文と、原文も途中まで(作業中)無料で読めます。
この記事が、『古事記を読むきっかけ』になれたら幸いです。
“そもそも古事記ってなに?『ラノベ古事記』の著者がわかりやすく解説!” への1件の返信