天皇記『ヤタノワキの歌』
ヤタノワキの歌
仁徳天皇
つーわけで、明日イワノのこと迎えに行くことになったから。
ヤタノワキ
まったく ・ ・ ・ ・ ・ やっと行く気になったの??
むしろ遅いくらいよ。そしたら、私は明日の朝には帰るから。
仁徳天皇
んーー。
すると、仁徳は下を向いたままボソっと
仁徳天皇
あした ・ ・ ・ ・ ・ ・ 行きたない。
と呟いた。
ヤタノワキ
はぁ??
仁徳天皇
なぁ、ヤタ。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 皇后にならへん?オレ、ヤタとの子供が欲しい。
そう言うと、いつもみたいに軽くあしらわれないように、グッとヤタノワキの手を握る。
彼女はその手をじっと見つめながら、しばらく押し黙った。
ヤタノワキ
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
仁徳天皇
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
そして、何かを決意したような表情で、こちらを直視する。
ヤタノワキ
そんなの無理に決まってるじゃない。サザキ兄が一番よくわかってるでしょう?
仁徳天皇
なんとかなるやろ。
ヤタノワキ
なんともならないのだって、わかってるくせに。だって、イワノちゃんとの間に息子さんがいるんだもの。
ヤタノワキ
もし、私との間に男の子が生まれちゃったら、絶対に皇位争いになるもん。新羅外交で手こずってる時に、葛城と内乱なんかやってられないでしょう?
仁徳天皇
うぅ ・ ・ ・ 女のくせに指摘が的確すぎや ・ ・ ・ ・
ヤタノワキ
だいたい、ヤマモリ兄さんみたいなことはもう嫌だからって、散々遊んでるくせに子供作らないのはサザキ兄じゃない。
ヤタノワキ
サザキ兄のそーゆうとこ、本当サイテーだと思う。
仁徳天皇
グサッ!
ヤタノワキ
超、無責任。みんなかわいそう。
仁徳天皇
グサッ!!グサッッ!!!
ヤタノワキ
それなのに、一時の感情で本末転倒なことしないの。
仁徳天皇
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一時の感情やないし。
ヤタノワキ
それでもダメです。
仁徳天皇
せやかて ・ ・ ・ ・ ・ ・
仁徳が何かこの流れでは言いづらいことを言いたそうに下を向く。
ヤタノワキ
何よ。
仁徳天皇
・ ・ ・ ヤタが帰ったら、誰かんとこ嫁がなあかんやん。
ヤタノワキ
はぁ??そんなこと気にしてたの??
と言うのも『通い婚』のこの時代、天皇など地位の高い人と別れた女性にはプレミアム価値がつくという、今では理解不能な価値観があった。ヤタノワキが実家に帰ったと分かれば、寄ってくる男は後を絶たないだろう。
仁徳は気持ち悪い毛虫にでも触ったみたいにブルブルっと体を震わせる。
仁徳天皇
うぅっ。お前が他の男に抱かれるのとか絶対無理やもん。考えただけでサブイボ立つ。
仁徳天皇
あー無理無理無理無理。サブイボ立ちすぎてサブイボ死する。
ヤタノワキ
何よそれ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ったく、しっかりしてよ。
仁徳天皇
嫌なもんは嫌なん。
ヤタノワキ
心配しなくても大丈夫よ。帰ったって私はどこにも嫁がないから。
仁徳天皇
それもダメや。ヤタが幸せになれないのも耐えられん。
ヤタノワキ
あーっ、もぉーっっ!!ワガママっっ!!!!
ヤタノワキは子供に言い聞かせをするように仁徳の両手を握った。
ヤタノワキ
はい。では、オオサザキくん。小さい頃から散々授業で先生に口を酸っぱくして言われてきましたが、天皇はなんのためにいるんでしょうかっ??
仁徳天皇
ううっ ・ ・ ・ ・ ・ ・ それずるいやん。
ヤタノワキ
ずるくない。はい、なんのため?王様みたいに偉そうにするため?それとも私のためですか??
仁徳天皇
違います。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 国民のため ・ ・ ・ ・ です。
ヤタノワキ
はい、そうですよね??では、そんな当たり前の知識を得意げにイワノちゃんに話して『聖帝』なんて呼ばれてるのはどこのどちら様でした??
仁徳天皇
ゔぅ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ワタクシでございます ・ ・ ・ ・
ヤタノワキ
はい。正解。よくできました。
ヤタノワキ
この国はね、オオクニヌシ様が譲ってくれたから、天皇が治めることができてるの。だからどんなに昔のお話でも、感謝の気持ちを忘れちゃダメなの。
仁徳天皇
・ ・ ・ ・ ・ ヤタのが聖帝向いとるわ。
ヤタノワキ
天皇は古来から男系男子が継ぐものなんです。
仁徳天皇
へーへー。
ヤタノワキ
では、その天皇自ら個人的な感情で国を乱すようなことをしていいんですか?
仁徳天皇
・ ・ ・ ・ ・ はぁ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ だめです。
ヤタノワキ
はい、正解。では明日、あなたが取るべき行動は??
仁徳天皇
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ はぁ。
ヤタノワキ
・ ・ ・ ・ ・ ・
仁徳天皇
ほんま、敵わへん ・ ・ ・ ・ ・ これからしんどなるのはヤタの方やのに。
仁徳は分かりきった答えを口にする前に、彼女をぎゅーっと力強く抱きしめた。
仁徳天皇
分かった ・ ・ ・ ・ オレ、明日、ちゃんと行ってくるから。
ヤタノワキ
・ ・ ・ ・ ・ ・ うん。
仁徳天皇
でも、ヤタ? ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 一番愛しとるのはヤタやから ・ ・ ・
仁徳天皇
世界で一番 ・ ・ ・ ・ ・ ・ それはずっと変わらへん。 ・ ・ ・ 離れててもそれだけは忘れんといて ・ ・ ・ ・ ・ ・
ヤタノワキ
うん ・ ・ ・ 私は大丈夫。サザキ兄ならみんなのこと幸せにできるって信じてるから。
ヤタノワキは仁徳の胸を離れて真っ直ぐこちらを見ると、凛とした微笑みを浮かべた。
仁徳は今まで何人の女性を見てきたかなんて、もう覚えていなかったが、その中の誰よりも誰よりも美しいと思った。
翌日。もう仁徳に迷いは無かった。
ヌリノミの家に着くと、イワノが玄関から緊張した面持ちで顔を出す。仁徳が微笑みかけると、彼女は不機嫌そうに頬をプクーッと膨らませたが、少しやつれたような気がした。
そんなイワノの姿を見て、仁徳は照れ隠しに歌を詠む。
仁徳天皇
『山代の女が植えた大根の葉がワサワサワサワサうるさいみたいに、あんたがうっさいもんやから、
仁徳天皇
こんなにぎょーさん家来 引き連れて、こないなとこまで迎えに来てもうたやないか。』
イワノヒメ
・ ・ ・ ・ ・ ・ うぅっ!
そんなふざけた歌を聴いたイワノは、みんなの前にも関わらず、半べそで仁徳に飛びついてきた。
いつも「人前でいちゃつくヤツがこの世から消えていいなくなれば世界は平和になる。」とかなんとか言ってるくせに。
仁徳天皇
遅なって悪かったな。
イワノヒメ
・ ・ ・ ・ ・ ・ もう ・ ・ ・ 来てくれないかと思った ・ ・ ・ ・
仁徳天皇
ごめんな ・ ・ ・ ・
仁徳も、ぎゅっと彼女を抱き返す。そして、もう本気になってしまうような浮気はやめようと反省をした。
まぁ、一夫多妻性のご時世で「浮気を止める」という選択肢は無かったようだが。
こうしてイワノは、どこか安心したように機嫌を直し、一緒に皇居に戻ってくれた。
それからしばらく経ち、仁徳はヤタノワキへ密かに歌を送った。
仁徳天皇
『なぁ ・ ・ ・ 八田の菅原に凛と生える一本菅は、子供も持たないまま枯れちまうんか?
仁徳天皇
言葉では『菅』原とかゆーても、あんたみたいに『清』々しい人がずっと一人なんて、惜しいやん。』
ヤタノワキ
サザキ兄 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ この切ないシーンで、親父ギャグ入れてこ来ないで欲しいんだけどな ・ ・ ・
そして、ヤタノワキも歌を返す。
ヤタノワキ
『八田の一本菅はそれでいいんです。
あなたが私を他の誰にも渡したくないと望んでくれたから。
ヤタノワキ
その気持ちだけで私は一生一人でも寂しいなんて思わないの。』
そして、ヤタノワキは生涯独身を貫いた。
仁徳はせめて彼女の名前を後世に残したいと思い、『八田部』という部を定めた。イワノもそれに対して文句を言うことはなかった。
ちなみに『部』っていうのは、朝廷で働く人の役職や所属のことだ。そのうち部は『姓』と変化し、現代でも受け継がれている。