天皇記『兄妹婚の結末』
兄妹婚の結末
大前小前
安康様、約束通りキナシ様を捕らえて参りました。
安康
うん、ご苦労様。
大前小前がキナシを差し出すと、安康の後ろから急にカルが飛び出し、抱きつく。
軽大郎女
キナシっっ!!
木梨之軽王
カル!?
どうやら問題が発覚してから、カルは安康の元にいたらしい。
安康
うわっ、カル!?人前で恥ずかしいでしょ!!お願いだからやめてよ ・ ・ ・
しかし、制止する安康をよそに、久しぶりに会えたキナシとカルは、強く抱きしめ合う。
軽大郎女
キナシ ・ ・ ・ ごめんなさい ・ ・ ・ ・
木梨之軽王
会えてよかった ・ ・ ・ ・ 。大丈夫だよ。君は何も悪くない。
安康
ゔぅ。兄妹同士でそーゆうの、ほんとにやめて ・ ・ ・ 鳥肌立つ。
木梨之軽王
安康 ・ ・ ・ ・ ・ オレらのことは処刑するつもりか?
安康
あぁ、それは ・ ・ ・ ・
木梨之軽王
オレのことはいい。でも、頼むからカルだけは助けてもらえないか?
軽大郎女
嫌だよキナシ!キナシが死ぬなら私も死ぬ!!
安康
もう ・ ・ ・ ・ なんだよそれ。僕を2人の愛を引裂く悪役にして、勝手に話を進めないでくれ。
安康
僕だって、兄妹を殺したくないんだ。キナシ兄のことは島流しにする。カルは自宅謹慎だからね。
木梨之軽王
島流し ・ ・ ・ ・ ・ ・ そうか。
木梨之軽王
礼を言うべきだな。
軽大郎女
キナシ ・ ・ ・ 離れたくないよ ・ ・ ・ ・ ・
安康
ねぇ、お願いだから2人とも冷静になってよ。しばらく離れていれば、きっと気持ちも落ち着くから ・ ・ ・ ・
軽大郎女
そんなことないもん。
カルがキナシの胸の中でポロポロと涙を流す。キナシはカルをぎゅーっと抱きしめると耳元で歌を詠った。
木梨之軽王
天を舞うカルの乙女 ・ ・ ・ ・ お願いだから、そんな風に泣かないで。人が知ったら、また君が悪く言われてしまう。
木梨之軽王
つらくても隠れて泣いて欲しいんだ。波佐山の鳩みたいに ・ ・ ・ 姿が見えないようにひっそりと。
軽大郎女
・ ・ ・ ・ ・
木梨之軽王
そして天を舞うカルの乙女、近い未来、したたかに寄り添ってまた一緒に抱き合おう。愛しいカルの乙女よ。
軽大郎女
キナシ ・ ・ ・ ・
木梨之軽王
大丈夫。このまま流されて終わりになんてさせなから。
軽大郎女
・ ・ ・ ・ うん。
安康
なんだよ、その反省感ゼロの歌。やめてよ ・ ・ ・ ・ これ以上、事を荒立てないでくれ。
こうしてキナシは
道後温泉 ・ ・ ・ ・
道後温泉って言ったら、『千と千尋の神隠し』のモデルになったところじゃないか。当時はまだ田舎だったらしいが、正直、羨ましい。
そして、刑の執行日。
元皇太子が流されると聞いて、船着場には多くの野次馬が集まっていた。小舟の上のキナシと、彼を心配そうに見守るカルは、一見ただの美男美女カップルにしか見えない。あれが本当に噂の兄妹なのかと野次馬たちがザワつく。
キナシは、その野次馬の多さに苦笑いをした。
木梨之軽王
はは。もう、オレらのことは国中にバレバレみたいだね。あれだけ必死に隠れていたのがバカみたいだ。
軽大郎女
人を見世物みたいに ・ ・ ・ ・
カルが悔しそうに、ギュッとキナシの
木梨之軽王
ねぇ、カル。天を舞う鳥はオレの遣いだよ。
木梨之軽王
鶴の鳴く声が聞こえたら、オレの名前を尋ねてごらん。
軽大郎女
キナシ ・ ・ ・ ・
なんだか、2人の世界に入り込んでしまっているが、人前だ。
安康
ひぃっっ!!キナシ兄、なに詠ってんの!?
安康
みんなの前でやめてよっ!!船長さん、早く船を出して!!!!
もうこれ以上、変な噂を立てたくない安康は、船頭に早く舟を出すように促した。するとキナシはまた詠う。
木梨之軽王
そう。皇子のオレを島に放つんだね。別にどこに流されようが、舟に乗って帰ってくるから構わないんだけど。
木梨之軽王
だから、オレが帰った時すぐ寝られるように、布団を綺麗に清めておいてくれ。
安康
いい加減にしてよ、キナシ兄。反省してないどころか、開き直ってるじゃないかっ!!
キナシが右手でそっとカルの頬を流れる涙を拭うと、船頭は舟を漕ぎ出し、2人は離れてしまう。
軽大郎女
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ キナシ ・ ・ ・
すると、キナシはさっきよりも大きな声で歌の続きを詠った。
木梨之軽王
ま、さっき言葉では『布団』って言ったけれど、本当は君のことだよ、カル。
オレがいないからって、浮気しちゃダメだ。
木梨之軽王
オレは自分の妻と一緒に寝るため、必ず戻ってこよう!
軽大郎女
・ ・ ・ ・ ・ っ!!
この歌を聞いていた主婦層の野次馬が、羨ましそうに、ため息を漏らす。
安康
ちょっ!!なんで脱獄前提の歌をココで詠うのっ!?キナシ兄の歌はいっつもキザなんだっっ!!!
安康
船長さんも空気に飲まれてないで、早く行ってくれっっ!!!!
安康の声にハッとして、船頭は慌てて舟を漕いだ。キナシが徐々に遠くなると、カルは答えの歌を彼に聞こえるように大きな声で詠い出す。
軽大郎女
キナシィっ!!
軽大郎女
夏草茂るアヒネの浜には牡蠣がたくさんいるって聞いたの。
軽大郎女
殻を足で踏まないように、夜が明けてから帰ってきてね!!
安康
んぁぁっ!!!カルも脱獄の応援しないでっっ!!!
慌てる安康をよそに、なんだか浜辺が2人を応援する空気になる。
安康
ああーー!!だからなんで、僕が悪役みたいになってんのっ!!!
安康
ダメなものはダメだよ。ここはアニメの世界でもゲームの世界でもない現実なんだからっっ!!兄妹が結ばれちゃダメなんだ!!
安康
頼むからいい加減、目を覚ましてくれ!!!
やがてキナシを乗せた舟は見えなくなった。
安康
はぁ。あれじゃ、キナシ兄は本気で帰ってくる気だろうな ・ ・ ・ ・
安康
でも、絶対にそんなことさせないから。
安康は先手を打ち、キナシが絶対に舟を手に入れられないように手配をした。
安康
どうか、時間が解決してくれますように ・ ・ ・
しかし、そんな弟の心配をよそに、離れ離れになった2人の想いは、余計に熱くなってしまう。
キナシを失ったカルは、庭のニワトコの葉っぱがどれもペアになって生えていることすら疎ましく思えた。
軽大郎女
あぁ!もぅ無理っっ!!!
そして、そのニワトコに八つ当たりでもするように詠い出す。
軽大郎女
あの人が旅に出てから、あまりにも長い時間が経ち過ぎたわ!キナシが戻ってこれないなら、私が迎えに行くしかない。
軽大郎女
さよなら私のニワトコ。だってもうこれ以上待つことなんてできないものっ!!!
こうして、船着場へと走り出した。
一方その頃。伊予に流されたキナシも、カルのことを想っていた。
木梨之軽王
安康のヤツ、ガッチガチにセキュリティー固めやがって。アイツ、昔っから心配性が過ぎるんだよ。
木梨之軽王
・ ・ ・ ・ ・ ・ しかし、カルがこっちに来るって噂が流れてたけど、大丈夫かな。
そして詠う。
木梨之軽王
密かに籠った故郷の泊瀬山。
大きな峰と小さな峰に張り立つ旗が、堂々と仲良さそうにたなびく姿を、君は羨ましそうに見ていたね。
木梨之軽王
その横顔が美しくて切なくて、可哀想でならなかった。
木梨之軽王
ケヤキの弓みたいに寝て伏せることになっても、アズサの弓みたいに立ち上がることになっても、芯の強い君のことだから、なんとかしてここまで来るだろう。
木梨之軽王
どうか、この歌が君に届きますように。そうすれば、この後、必ず互いの手を取って、見つめ合おうと約束ができるから。
木梨之軽王
はぁ ・ ・ ・ 本来なら、オレが迎えに行くべきなのにな。君のことを考えると可哀想で胸が痛い。
詠い終わると、キナシはそっと目を閉じた。
木梨之軽王
次にカルと会えたら今度こそ ・ ・ ・ ・ ・
木梨之軽王
永遠に結ばれよう。
そのカルは伊予に着くとすぐに、牡蠣のいる浅瀬を越えて浜辺を越えて、キナシの元へと向かう。
小高い岡の上に人影が見える。キナシだ。間違える訳が無い。
軽大郎女
キナシっっっ!!!
木梨之軽王
カルっ!!
駆けてきたカルをぎゅーっと抱きしめると、キナシはまた詠う。
木梨之軽王
密かに籠った故郷の泊瀬川 ・ ・ ・ ・
木梨之軽王
ねぇ、カル?2人で皇居を抜け出して、河原に行ったのを覚えてる?
軽大郎女
うん!
木梨之軽王
あの時、川の上流には鏡のかかった斎杭が打たれていて、下流には真玉のかかった真杭が打た れていたでしょう?
木梨之軽王
オレはね、水面に反射してキラキラ輝く、あの鏡と真玉がすごく好きだったんだ。
軽大郎女
うん ・ ・ ・ 知ってる。ずっと見てたから ・ ・ ・ ・
木梨之軽王
オレの大好きな君はキラキラしていて、まるであの鏡みたい。それに、オレが愛している君は輝いていて、まるであの真玉みたいだ。
軽大郎女
ふふっ ・ ・ ・
木梨之軽王
その君がいるって言うなら、オレも自分の家に帰りたいと思うだろうし、故郷だって懐かしく思うんだろうね。
軽大郎女
うん。
木梨之軽王
でも、君は今、ここにいる。
軽大郎女
・ ・ ・ ・ うん。
木梨之軽王
もう君のいない故郷に、帰る必要なんて無いだろう?
軽大郎女
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
木梨之軽王
オレはね、君と結ばれることのできない国に、帰りたいとは思えないんだ。
軽大郎女
うん ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
軽大郎女
私もキナシと同じ気持ちだよ。
木梨之軽王
そう ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ なら、カル?
そう言うと、キナシはプロポーズでもするように跪いて、彼女の手を取る。
木梨之軽王
・ ・ ・ ・ ・ オレと一緒に来てくれますか?
軽大郎女
もちろん!キナシとならどこにだって付いて行くよ。
カルの笑顔を見ると、キナシは小さく切なそうに頷き、彼女と手を繋いで歩き出す。
そして2人は自ら命を絶った。