古事記の原文『兄妹婚の結末』
『兄妹婚の結末』の原文
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原文の概要
天武天皇
大前小前はキナシを差し出す。キナシは伊予に島流しにされる。カルはキナシの元へ追っていく。キナシとカルの二人は、自ら命を絶つ。
安万侶
やっぱりこうなるんですね ・ ・ ・
天武天皇
ああ、確かに悲しい話なんだが、数多くの歌に彩られて、美しくもあると思うな。
原文&読み下し文
【原文】稗田阿礼
率参出以貢進。其太子被捕歌曰、
【読み下し文】藤原不比等
【原文】稗田阿礼
阿麻陀牟 加流乃袁登売
伊多那加婆 比登斯理奴倍志
波佐能夜麻能 波斗能
斯多那岐爾那久
【原文】稗田阿礼
又歌曰、
【読み下し文】藤原不比等
また歌ひたまひしく、
【原文】稗田阿礼
阿麻陀牟 加流袁登売
志多多爾母 余理泥弖登富礼
加流袁登売杼母
【原文】稗田阿礼
故、其軽太子者、流於伊余湯也。亦将流之時、歌曰、
【原文】稗田阿礼
阿麻登夫 登理母都加比曽
多豆賀泥能 岐許延牟登岐波
和賀那斗波佐泥
【原文】稗田阿礼
此三歌者、天田振也。又歌曰、
【原文】稗田阿礼
意富岐美袁 斯麻爾波夫良婆
布那阿麻理 伊賀幣理許牟叙
和賀多多弥由米 許登袁許曽
多多美登伊波米 和賀都麻波由米
【原文】稗田阿礼
此歌者、夷振之片下也。其衣通王献歌。其歌曰、
【原文】稗田阿礼
那都久佐能 阿比泥能波麻能
加岐賀比爾 阿斯布麻須那
阿加斯弖杼富礼
【原文】稗田阿礼
故、後又不堪恋慕而、追往時、歌曰、
【読み下し文】藤原不比等
故、
【原文】稗田阿礼
岐美賀由岐 気那賀久那理奴
夜麻多豆能 牟加閉袁由加牟
麻都爾波麻多士
(此云山多豆者、是今造木者也。)
【原文】稗田阿礼
故、追到之時、待懐而歌曰、
【読み下し文】藤原不比等
故、追ひ到りましし時、待ち
【原文】稗田阿礼
許母理久能 波都世能夜麻能
意富袁爾波 波多波理陀弖
佐袁袁爾波 波多波理陀弖
意富袁爾斯 那加佐陀売流
淤母比豆麻阿波礼
【原文】稗田阿礼
都久由美能 許夜流許夜理母
阿豆佐由美 多弖理多弖理母
能知母登理美流 意母比豆麻阿波礼
【原文】稗田阿礼
又歌曰、
【読み下し文】藤原不比等
また歌ひたまひしく、
【原文】稗田阿礼
許母理久能 波都勢能賀波能
加美都勢爾 伊久比袁宇知
斯毛都勢爾 麻久比袁宇知
伊久比爾波 加賀美袁加気
麻久比爾波 麻多麻袁加気
【原文】稗田阿礼
麻多麻那須 阿賀母布伊毛
加賀美那須 阿賀母布都麻
阿理登伊波婆許曽爾
伊幣爾母由加米 久爾袁母斯怒波米
【原文】稗田阿礼
如此歌、即共自死。故、此二歌者、読歌也。
用語解説
天武天皇
後に出てくる「天飛ぶ」の変化した言葉かな。
天武天皇
「軽」にかかる枕詞。
天武天皇
ひどく泣いたらってこと。
天武天皇
どこにあるかわからないんだ。
天武天皇
しっかりとってこと。
天武天皇
愛媛県松山市にある道後温泉のこと。
天武天皇
流刑にしたってこと。
天武天皇
天武天皇
歌曲の名前で、これも最初の句から来た名前だな。
天武天皇
ここは軽太子のこと。
天武天皇
歌を読んでいる本人が、自分自身のことをいっているんだ。
天武天皇
追放したならばってこと。
天武天皇
よくわからないんだが、「帰る」にかかる枕詞かな。
天武天皇
私の敷物に触らずそのままにしておけってこと。
天武天皇
私の妻こそ決して変わらずにいてくれってこと。
天武天皇
歌の後半を低い調子で歌う歌のこと。
天武天皇
「あひね」とかにかかる枕詞。
天武天皇
どこにあるかわからないな。
天武天皇
夜が明けるのを待って行きなさいってこと。
天武天皇
あなたが旅立ってからってこと。
天武天皇
長い月日が経ったってこと。
天武天皇
「迎へ」にかかる枕詞。
天武天皇
待つことはしないってこと。
天武天皇
「みやつこぎ」と読むんだが、ニワトコのこと。
天武天皇
山に囲まれて隠れている土地って意味で、「泊瀬」にかかる枕詞。
天武天皇
現在の奈良県桜井市初瀬あたりのこと。
天武天皇
高い峰のこと。
天武天皇
天武天皇
夫婦の仲と決めているってとこかな。
天武天皇
ケヤキの弓は横にして使ったことから、「臥やる」にかかる枕詞。
天武天皇
横になってってこと。
天武天皇
今後も世話をするってこと。
天武天皇
祓い清めた杭のこと。
天武天皇
神聖な杭のこと。
天武天皇
家にも行こうってとこかな。
天武天皇
故郷も懐かしもうってこと。
天武天皇
歌曲の名前で、朗読するように歌う歌のことかな。