古事記の原文『履中天皇と墨江の謀反』
『履中天皇と墨江の謀反』の原文
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原文の概要
天武天皇
履中天皇は宴会で酒に酔って寝る。弟の墨江が、履中を殺そうと屋敷に火を点ける。阿知直が履中を助け出す。履中たちは大坂で一人の女に出会う。女は履中たちに、この先は危ないから回り道するよう教える。履中たちは回り道をして石上神宮に到着する。
安万侶
いきなりピンチですね。
天武天皇
そのはずなんだけどな、逃げる途中に詠んだ履中の歌が、緊張感なくて笑えるんだ。
原文&読み下し文
【原文】稗田阿礼
子、伊邪本和気命、坐伊波礼之若桜宮、治天下也。
【原文】稗田阿礼
此天皇、娶葛城之曽都毘古之子、葦田宿祢之女、名黒比売命、生御子、市辺之忍歯王。次御馬王。次妹青海郎女、亦名飯豊郎女。(三柱)
【読み下し文】藤原不比等
この天皇、葛城の
【原文】稗田阿礼
本坐難波宮之時、坐大嘗而為豊明之時、於大御酒宇良宜而大御寝也。爾其弟墨江中王、欲取天皇以火著大殿。
【読み下し文】藤原不比等
【原文】稗田阿礼
於是倭漢直之祖、阿知直盗出而、乗御馬令幸於倭。故、到于多遅比野而寤、詔此間者何処。爾阿知直白、墨江中王、火著大殿。故、率逃於倭。爾天皇歌曰、
【読み下し文】藤原不比等
ここに
【原文】稗田阿礼
多遅比怒迩 泥牟登斯理勢婆
多都碁母母 母知弖許麻志母能
泥牟登斯理勢婆
【原文】稗田阿礼
到於波迩賦坂、望見難波宮、其火猶炳。爾天皇亦歌曰、
【原文】稗田阿礼
波迩布邪迦 和賀多知美礼婆
迦芸漏肥能 毛由流伊幣牟良
都麻賀伊幣能阿多理
【原文】稗田阿礼
故、到幸大坂山口之時、遇一女人。其女人白之、持兵人等、多塞茲山。自当岐麻道、廻応越幸。爾天皇歌曰、
【読み下し文】藤原不比等
故、大坂の山口に到り
【原文】稗田阿礼
淤富佐迦迩 阿布夜袁登売袁
美知斗閉婆 多陀迩波能良受
当芸麻知袁能流
【原文】稗田阿礼
故、上幸坐石上神宮也。
【読み下し文】藤原不比等
故、
用語解説
天武天皇
現在の奈良県桜井市池之内の稚桜神社あたりとか、同市谷の若桜神社あたりとかいわれているな。
天武天皇
大嘗祭のこと。
天武天皇
天皇を殺そうってこと。
天武天皇
現在の大阪府羽曳野市あたりのこと。
天武天皇
風を防ぐために立てるむしろのこと。
天武天皇
大阪府羽曳野市野々上あたりの坂のこと。
天武天皇
明らかだったって意味だが、ここは燃えていたってことだろうな。
天武天皇
天武天皇
奈良県葛城市當麻あたりに抜ける道のこと。
天武天皇
まっすぐに行けとは言わずにってこと。