古事記の原文『雄略天皇』
『雄略天皇』の原文
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原文の概要
天武天皇
雄略天皇は、ワカクサカを迎えに行く途中、皇居に似た家を見つけ怒る。家の主は過ちを認め、謝罪に白い犬を献上する。雄略は許す。雄略は貰った犬を求婚の贈り物とする。ワカクサカは雄略自らの迎えに恐縮し、自分から参上すると伝える。
安万侶
犬をプレゼントするなんて、なんだかかわいいですね。
天武天皇
白い犬は珍しいから、求婚を祝福するものと考えたんだろうな。
原文&読み下し文
【原文】稗田阿礼
大長谷若建命、坐長谷朝倉宮、治天下也。天皇、娶大日下王之妹、若日下部王。(無子。)
【原文】稗田阿礼
又娶都夫良意富美之女、韓比売、生御子、白髪命。次妹若帯比売命。(二柱)
【原文】稗田阿礼
故、為白髪太子之御名代、定白髪部、又定長谷部舎人、又定河瀬舎人也。此時呉人参渡来。其呉人安置於呉原。故、号其地謂呉原也。
【読み下し文】藤原不比等
【原文】稗田阿礼
初大后坐日下之時、自日下之直越道、幸行河内。爾登山上望国内者、有上堅魚作舎屋之家。天皇令問其家云、其上堅魚作舎者誰家。答白、志幾之大県主家。
【読み下し文】藤原不比等
【原文】稗田阿礼
爾天皇詔者、奴乎、己家似天皇之御舎而造、即遣人令焼其家之時、
【読み下し文】藤原不比等
ここに天皇詔りたまひしく、「
【原文】稗田阿礼
其大県主惧畏、稽首白、奴有者、随奴不覚而過作甚畏。故、献能美之御幣物。布縶白犬、著鈴而、己族名謂腰佩人、令取犬縄以献上。
【読み下し文】藤原不比等
その大県主
【原文】稗田阿礼
故、令止其著火。即幸行其若日下部王之許、賜入其犬、令詔、是物者、今日得道之奇物。故、都摩杼比之物云而賜入也。
【読み下し文】藤原不比等
故、その火を著くることを
【原文】稗田阿礼
於是若日下部王、令奏天皇、背日幸行之事、甚恐。故、己直参上而仕奉。是以還上坐於宮之時、行立其山之坂上歌曰、
【読み下し文】藤原不比等
ここに若日下部王、天皇に
【原文】稗田阿礼
久佐加弁能 許知能夜麻登
多多美許母 幣具理能夜麻能
許知碁知能 夜麻能賀比爾
多知邪加由流 波毘呂久麻加斯
母登爾波 伊久美陀気淤斐
須恵幣爾波 多斯美陀気淤斐
【原文】稗田阿礼
伊久美陀気 伊久美波泥受
多斯美陀気 多斯爾波韋泥受
能知母久美泥牟 曽能淤母比豆麻
阿波礼
【原文】稗田阿礼
即令持此歌而返使也。
【読み下し文】藤原不比等
すなはちこの歌を持たしめて、使を返したまひき。
用語解説
天武天皇
現在の奈良県桜井市黒崎あたりとか、同市岩坂あたりとかいわれているな。
天武天皇
第22代天皇で、諡は
天武天皇
中国の南方の人のこと。
天武天皇
現在の奈良県高市郡明日香村栗原あたりのこと。
天武天皇
現在の大阪府東大阪市日下町あたりのこと。
天武天皇
奈良から生駒山の南を越えて大阪に出る道のこと。
天武天皇
神社とかの屋根の横木の上に、それと直角に並んでいるあの装飾の木のこと。
天武天皇
形がカツオ節に似ているから、
天武天皇
現在の大阪府藤井寺市あたりのこと。
天武天皇
頭が地に着くほど礼をしてってこと。
天武天皇
謝罪の贈り物のこと。
天武天皇
求婚の贈り物のこと。
天武天皇
太陽に背を向けてってこと。
天武天皇
あちこちってこと。
天武天皇
山と山の間のこと。
天武天皇
こんもりと茂った竹のこと。
天武天皇
生い茂った竹のことかな。
天武天皇
こもって寝ることはせずってこと。
天武天皇
確かに一緒に寝ることはせずってこと。
天武天皇
後にはこもって一緒に寝ようってこと。
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