古事記の原文『允恭天皇』
『允恭天皇』の原文
現在、古事記の原文は最低限の情報のみでお届けしております。詳細は『古事記の原文更新お休みのお知らせ』をご確認ください。
古事記の原文をそのまま載せても眠くなってしまうので、天武天皇の時代の人たちのセリフと合わせてお届けしています。
原文を記載するにあたってのルールについては、プロローグ内『原文掲載のルール』をご確認ください。
原文の概要
天武天皇
允恭天皇は初め、持病を理由に天皇の位を辞退する。允恭は、皇后や役人たちから強く願われたので、皇位に就く。新羅からの使者に薬に詳しい人がいて、允恭の病気を治す。允恭は氏姓の乱れを正す。
安万侶
臣下の人たちからもお願いされるなんて、すごく信頼されてたんですね。
天武天皇
ああ、この後に出てくる皇太子の話とは、正反対だよな。
原文&読み下し文
【原文】稗田阿礼
弟、男浅津間若子宿祢命、坐遠飛鳥宮、治天下也。
【原文】稗田阿礼
此天皇、娶意富本杼王之妹、忍坂之大中津比売命、生御子、木梨之軽王。次長田大郎女。次境之黒日子王。次穴穂命。
【原文】稗田阿礼
次軽大郎女、亦名衣通郎女。(御名所以負衣通王者、其身之光自衣通出也。)
【読み下し文】藤原不比等
次に
【原文】稗田阿礼
次八瓜之白日子王。次大長谷命。次橘大郎女。次酒見郎女。(九柱)
【原文】稗田阿礼
凡天皇之御子等、九柱。(男王五、女王四。)
【読み下し文】藤原不比等
凡そ天皇の御子等、
【原文】稗田阿礼
此九王之中、穴穂命者、治天下也。次大長谷命、治天下也。
【読み下し文】藤原不比等
この九王の
【原文】稗田阿礼
天皇初為将所知天津日継之時、天皇辞而詔之、我者有一長病。不得所知日継。然大后始而、諸卿等、因堅奏而、乃治天下。
【読み下し文】藤原不比等
天皇初め
【原文】稗田阿礼
此時、新良国主、貢進御調八十一艘。爾御調之大使、名云金波鎮漢紀武、此人深知薬方。故、治差帝皇之御病。
【読み下し文】藤原不比等
【原文】稗田阿礼
於是天皇、愁天下氏氏名名人等之氏姓忤過而、於味白梼之言八十禍津日前、居玖訶瓮而、定賜天下之八十友緒氏姓也。
【読み下し文】藤原不比等
ここに天皇、天の下の氏氏名名の人
【原文】稗田阿礼
又為木梨之軽太子御名代、定軽部、為大后御名代、定刑部、為大后之弟、田井中比売御名代、定河部也。
【読み下し文】藤原不比等
また木梨の
【原文】稗田阿礼
天皇御年、漆拾捌歳。(甲午年正月十五日崩。)御陵在河内之恵賀長枝也。
用語解説
天武天皇
奈良県高市郡明日香村のどこかだろうってことしか、わからないな。
天武天皇
第20代天皇で、諡は
天武天皇
第21代天皇で、諡は
天武天皇
新羅と同じだな。
天武天皇
金が姓、波鎮漢が新羅の官位、紀武が名前かな。
天武天皇
薬の処方に詳しいってこと。
天武天皇
治したってこと。
天武天皇
世の中のありとあらゆる人々のこと。
天武天皇
氏は代々受け継がれる家の名前のことで、姓は朝廷から与えられる家の階級のこと。
天武天皇
本来のものに反して間違っているってこと。
天武天皇
奈良県高市郡明日香村にある
天武天皇
意味としては、甘樫丘のウソを言ったら災いを起こす神のいる先端ってとこかな。
天武天皇
天武天皇
盟神探湯は、
天武天皇
たくさんの職業団体の長のこと。
天武天皇
大阪府藤井寺市にある市ノ山古墳に治定されているな。