古事記の原文『イワノの家出』
『イワノの家出』の原文
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原文の概要
天武天皇
イワノが宴会の準備で出かけている間に、仁徳はヤタノワキを妻に迎える。イワノは、仁徳とヤタノワキが一緒に過ごしていることを伝え聞いて、怒る。イワノは宮には帰らず、山代へ行ってから、筒木のヌリノミの家に滞在する。仁徳はイワノに歌を送り届ける。
安万侶
イワノヒメ様、家出しちゃったじゃないですか!
天武天皇
実家に帰ってないだけ、マシなんだけどなー。
原文&読み下し文
【原文】稗田阿礼
自此後時、大后為将豊楽而、於採御綱柏、幸行木国之間、天皇婚八田若郎女。
【原文】稗田阿礼
於是大后、御綱柏積盈御船、還幸之時、所駆使於水取司、吉備国児島之仕丁、是退己国、於難波之大渡、遇所後倉人女之船。
【読み下し文】藤原不比等
【原文】稗田阿礼
乃語云、天皇者、比日婚八田若郎女而、昼夜戯遊、若大后不聞看此事乎、静遊幸行。爾其倉人女、聞此語言、即追近御船、白之状具如仕丁之言。
【読み下し文】藤原不比等
すなはち語りて云ひしく、「天皇は、
【原文】稗田阿礼
於是大后大恨怒、載其御船之御綱柏者、悉投棄於海。故、号其地謂御津前也。
【原文】稗田阿礼
即不入坐宮而、引避其御船、泝於堀江、随河而上幸山代。此時歌曰、
【原文】稗田阿礼
都芸泥布夜 夜麻志呂賀波袁
迦波能煩理 和賀能煩礼婆
迦波能倍迩 淤斐陀弖流
佐斯夫袁 佐斯夫能紀
斯賀斯多迩 淤斐陀弖流
【原文】稗田阿礼
波毘呂 由都麻都婆岐
斯賀波那能 弖理伊麻斯
芝賀波能 比呂理伊麻須波
淤富岐美呂迦母
【原文】稗田阿礼
即自山代廻、到那良山口歌曰、
【原文】稗田阿礼
都芸泥布夜 夜麻斯呂賀波袁
美夜能煩理 和賀能煩礼婆
阿袁迩余志 那良袁須疑
袁陀弖 夜麻登袁須疑
【原文】稗田阿礼
和賀美賀本斯久迩波
迦豆良紀多迦美夜
和芸幣能阿多理
【原文】稗田阿礼
如此歌而還、暫入坐筒木韓人、名奴理能美之家也。天皇聞看大后自山代上幸而、使舎人名謂鳥山人、送御歌曰、
【読み下し文】藤原不比等
かく歌ひて還りたまひて、
【原文】稗田阿礼
夜麻斯呂迩 伊斯祁登理夜麻
伊斯祁伊斯祁 阿賀波斯豆摩迩
伊斯岐阿波牟迦母
【原文】稗田阿礼
又続遣丸迩臣口子而歌曰、
【読み下し文】藤原不比等
また
【原文】稗田阿礼
美母呂能 曽能多迦紀那流
意富韋古賀波良
意富韋古賀 波良迩阿流
岐毛牟加布 許許呂袁陀迩迦
阿比淤母波受阿良牟
用語解説
天武天皇
先が三つに分かれた柏って意味で、カクレミノの葉っぱかな。
天武天皇
宮中の飲料水とかを管理する役所のこと。
天武天皇
朝廷の労役に使われている人のこと。
天武天皇
皇后の道具とかを管理する女官のことかな。
天武天皇
お聞きになっていないからか、ってこと。
天武天皇
現在の大阪市中央区心斎橋筋あたりにあった岬のこと。
天武天皇
ここは、難波の港を避けてってことだろうな。
天武天皇
で、運河をさかのぼって淀川へ出て、上流の山代まで行ったわけだ。
天武天皇
「山代」にかかる枕詞だが、意味はよくわからないな。
天武天皇
淀川とか木津川のこと。
天武天皇
シャシャンボの木のことかな。
天武天皇
それのってこと。
天武天皇
広い葉がたくさん茂っているツバキのこと。
天武天皇
奈良山の入口のこと。
天武天皇
「奈良」とかにかかる枕詞。
天武天皇
天武天皇
「よし」は感動を表していて、言葉の調子を整えるために付いているな。
天武天皇
「やまと」にかかる枕詞。
天武天皇
現在の奈良県御所市森脇あたりといわれているが、はっきりしないな。
天武天皇
現在の京都府京田辺市あたりのこと。
天武天皇
追いつけってこと。
天武天皇
神がやってくる場所のこと。
天武天皇
ここは地名だろうが、奈良県桜井市にある三輪山か、御所市三室か、特定できないな。
天武天皇
猪の狩り場かな。
天武天皇
御諸の中にある地名だろうが、どこかわからないな。
天武天皇
大きな猪のお腹のこと。
天武天皇
「原」から「腹」に繋げているんだ。
天武天皇
「心」にかかる枕詞。
天武天皇
せめて心だけでもってこと。